第10話「悲しみ」
翌日、クレアは学校に通学した。
いつも通り下駄箱から上履きを出して外履きから履き替える。
そして、階段を上り、自分の教室のドアを開けた。
「おはよう、春日さん」
「…………」
春日さんは黙ったままだ。
いつもなら、あ?とか少しくらい返事してくるのに、何故か今日は黙ってて返事してくれない。
「あの、春日さん。昨日のパーティー楽しかったよね。春日さんがあんなに力喧嘩に強いとは思わなかった」
「…あのさ、お前は私が怒ってるのすら気付かないわけ?」
「え?」
怒ってる?
春日さんが?
どうして。
「詳しいことはお前の自分の胸に聞いてみるんだな」
そう言うと、春日さんは窓のほうを向いてしまった。
クレアは自分が何か悪いことをしたのだろうか。
あの時は大丈夫だった。
そう、春日さんが嫌な男の人にちょっかいを出されて、力喧嘩で勝った時は。
あの時は普通に話してくれた。
クレアは思った、一体、自分は何をしたんだろうって。
「…あの、私…」
続きを言おうとしたが、止めておいた。
このまま何を言っても傷を開いてしまうだろう。
すると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おはようございます」
「おはよう、美鈴さん。今日も美しいね」
「そうそう、昨日何かあった?」
「昨日…ええ、ちょっとね」
どうやら美鈴さんも暗い表情をしている。
二人に何かあったのか。
でも、クレアは知らない。
クレアは美鈴さんに話しかける。
「お、おはようございます、美鈴さん」
「……………」
返事が返ってこない。
聞こえなかったのかと思い声をまたかける。
「美鈴さん、昨日のパーティー楽しかったですよね。また誘ってください」
「……………」
まただ、返事が返ってこない。
何かがおかしいとクレアは思う。
すると、他の生徒が美鈴さんに話しかける。
「美鈴さん、この前借りてた本読んだよ。すごく面白かった」
「ほんと。あの本は私のお気に入りの本なの。続編もあるから今度また貸してあげるわね」
「やった、ありがとう、美鈴さん」
他の生徒に対しては普通に会話をしている。
これは、と思った。
そうクレアは無視されているのだと。
でも、どうしてだろう、無視される原因が分からない。
クレアは昨日のことを思いだす、自分の胸にきいて。
それでも、原因がはっきりしない。
また、クレアは教室で一人ぼっちになってしまった。
春日さんには怒られて美鈴さんには無視されて怒られている。
この孤独感、孤児院にいたほうがよかったと思う、そんなあの時の感情だ。
そうシスターは言っていた、世の中には知ってもいい世界と知らないほうがいい世界があるということを。
この場合、クレアにとって、知らないほうがいい世界、知りたくない世界であった。
ああ、どうして自分はバカだったんだろうとつくづく思う。
このままクレアはずっと一人、教室で、過ごしていくのだろうか。
自分のことだからよく分かっている、クレアは弱虫で、臆病で、寂しい一人ぼっちの存在だということを。
今まで春日さんや美鈴さんと会話できたのが、奇跡のようなものだ。
それをまた当たり前に戻ってしまっただけ、一人ぼっちのクレアに。
そんなクレアに幸せなんて訪れるわけない。
青葉さんだって、そうだ。
青葉さんだって、いつも優しく接してくれるけど、本心では面倒くさがってるのかもしれない。
こんな面倒な子を押し付けられたって。
本当は来て欲しくなかった、あの時、空港で助けるんじゃなかったと思ってるかもしれない。
シスターだってそうだ、シスターもこんな面倒な子、早くいなくなれと思って追い出したのかもしれない。
クレアは目の前が真っ暗になった。
もう誰も信じられない。
信じるのが怖い。
クレアはそのまま、倒れた。
誰だろう、声が聞こえる。
「……す…か?……し……て…ちゃん……」
うっすら声が聞こえる。
その声、聞き覚えのある声だ。
ゆっくりと重いまぶたを開ける。
目を開けると、そこには見知らぬ天井。
嗅いだことない独特の臭い、医薬品の臭い。
「…こ、ここは…」
「クレアちゃん!」
名前を呼ばれ、クレアは横になったままその人に視線を送る。
すると、そこには青葉さんがいた。
「…あお…ば…さん?」
「よかった、クレアちゃん、目を覚まして」
「…あの、私…」
「学校で倒れて机の角に当たって頭から血が出てたっていうから、病院に搬送されたの。でも、軽い傷でよかったわ」
「…そうだったんですか」
そうか、自分はあのまま気を失って倒れたのか。
一人ぼっちの暗闇の中で。
「すごく心配したわ、このまま目を覚まさないかと思って」
目を覚まさない。
ああ、もうこのまま目を覚まさないほうがよかったかもしれない。
そうすれば、考えずに済むから。
「…私は別にこのままでも……」
「何か言った?」
「…いや、何でもないです…」
「そう。あと、春日さんと美鈴さんにも連絡したんだけど、二人とも返事ないの。どうしたんだろう?」
やはり春日さんと美鈴さん、私のこと心配してくれないんだ。
もう二人と話さないほうがいいかもしれない。
話しても自分が辛い思いをするだけだ。
「クレアちゃん、何か食べたい物ある? お昼ご飯まだでしょ、何か口に入れないと」
「……今はいいです、一人にさせてください…」
「そう。あ、何かあったらいつでも呼んでね、私、すぐに来るから」
それじゃ、と言って青葉さんは病室を出た。
また一人になった。
クレアは掛布団を覆い、一人、ベッドの上でこもる。
病室の外からは、いろんな声が聞こえてくる。
ナースの話し声、他の患者の話し声、スタスタと誰かが歩いてる音、誰かが見舞いに来たのだろうかその者の話し声。
クレアにとってどうでもいいことだった。
でも、すごい耳ざわりだ。
何の声も音も聞こえない無音の場所に行きたい。
もう誰とも会話したくない、聞きたくない。
二度と解けられないルービックキューブの中に入って一人になりたい。
そうすれば楽になれる。
もう嫌だ、すごくすごく嫌だ。
このまま絶望の中に浸る。
クレアは泣いた、目が真っ赤になるほど。
このままいなくなりたい、みんなの前から去りたい。
去って一人になりたい。
もうどうすることもできない、あがいて、あがいて、あがき続ける。
誰も信じないようにしよう、青葉さんも信じられない。
カチコチ、また時計の音が聞こえる。
きっと青葉さんが小さい置き時計を置いていってくれたのだろう。
そんなことしなくてもいいのに。
自分は時間なんか分からなくても生きていける。
でも、掛布団を少しずらして、時計を見てみた。
時刻は午後六時。
青葉さんが来てくれた時はお昼だった、そのまま、自分は悶々と考えて、たまには泣いてそのまま眠ったりしていたのかもしれない。
時間はあっという間に過ぎていた。
お腹は少し空いている。
でも、食べたい気分ではない。
喉は乾いている、クレアはテーブルの上にある水を少しだけ飲んだ。
「…おいしい…でも、しょっぱい…」
しょっぱいのは何故か、それは涙がまだ頬に伝わり、それが口に入ったからだ。
まるで、塩を舐めているような感じ。
「…もういいや…」
何もかも諦めかけようとまた掛布団の中にこもろうとしようとすると、テーブルの上に一枚の手紙があることに気が付いた。
レインボー色の手紙、便箋、開けてみるとゾウの絵が描いてあった。
きっと青葉さんだ。
いつの間に。
『クレアちゃんへ。あまり一人で抱え込んじゃダメだよ。お姉さんという私がいるんだから。困ったこと、悩みがあったら私に相談して。いつでもクレアちゃんの助けになるから。私がクレアちゃんの味方だってこと忘れないでね。忘れたら覚えられるまで頬を引っぱたくから、あ、これは冗談だよ。でも、本当に忘れたら頬を引っぱたくかも。クレアちゃん、中々信じてくれないから。信じてくれるまで私は言い続ける、説得し続ける、だってクレアちゃんの家族なんだから。家族までもが何も聞かないでクレアちゃんを放っておいたらダメでしょ? 私は世界中で一番の味方でありたい、そう願うよ。だから、お願い、クレアちゃん私を信じて』
「…青葉さんは何も分かってない。でも、こんな私でも思ってくれる人いるんだ」
クレアはまた泣いた。
もう自分が何なのか分からない寂しさと、青葉さんの思いやりで。
本当ならクレアはこのように誰も信じることができず暗い子なんです。
ちょっと途中から飛ばし過ぎて明るくなりすぎたかなと思って暗くしてみました。
とりあえず今後このクレアを維持しながら、お話を進めていこうかなと思います。
急展開すぎましたね、すみません。
次回も読んでくださると幸いです。
それでは。




