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始まり

 二十年前。六月。 

 低く垂れ込める暗雲から無数の雨粒が降り注ぐ。降水確率は90パーセント、湿度は85パーセント。篠突く雨に往来を行く人々は一様に傘をさし、色とりどりの傘の大群が青信号になった交差点に幾重にもひしめく。

 雑踏の中、傘を忘れた篠田健吾は人ごみを縫うように小走りで家路に急いでいた。天気予報をちゃんと見てくればよかった、と篠田は内心で毒づく。靴底で水音を立てながら駆ける篠田は混雑する交差点を渡り終え、ひとまず目先の喫茶店の軒先で雨宿りする。

 頭をぶるぶると振って水滴を払い落とす。服が水分を吸って若干重い。どうしたものかと途方に暮れる篠田はふいと視線を上向け、我知らず感嘆の息を漏らした。

「はぁ……。すげぇな……」

 密集する層雲の裂け目から眩く輝く陽の光が差し込んでいた。雲の下方に差す薄明光線は地上を仄かに照らし出す。雲の切れ目から洩れ出る柔らかな光の帯は神々しく、思わず眼を奪われる。

 先ほどまでの陰鬱とした気分が少しだけ晴れた気がした。自然と口許にかすかな笑みが滲む。我ながら単純だなと思いつつその一幅の絵画じみた光景を眺め続けた。

 これが普通の反応である。大抵の人間は薄明光線にポジティブなイメージを持つものだ。

 あくまで『大抵』の人間は。



 同時刻、とあるビルの屋上。灰色のコートを寒々しく羽織る男は雨を気にする素振りも見せず、悠々と煙草を咥えていた。葉巻である。口に含む感じで吸いながらゆっくりと吐き出し、白煙がビル風に消えていく。

 年齢を感じさせる目を細めた壮年の男の視線の先には、幻想的な薄明光線。少なくとも彼はその光景にポジティブな感情を抱いてはいなかった。不吉だ、と内心呟くほどにはネガティブな心持ちだった。

「……ふっ……奴等のおでましか。……これは随分大きな仕事になりそうだ……」

 空を仰ぎつつ面倒くさそうに呟いた男は、コートの端を靡かせて戦闘の準備を始めた。



 同時刻、とある路地裏。漆黒のパーカーを着込んだ少年は、ビル壁にめり込ませていた男の頭から手を離して遠くを見詰めた。天気も相まって暗い路地裏の入り口、建物同士の狭間から見える電線に留まっていた鳥の群れが弾かれたように一斉に飛び立った。

 まるで何かを恐れるように。何の前触れもなく、唐突に、その様子は何かが始まる前兆のようだ。

 ビルとビルを縫うこの空間には動かない室外機や空っぽのポリバケツ、錆びついた自転車などが雑然と転がり猥雑な様相を呈している。小柄な少年の周囲にはそれら以外に呻き声を漏らす男共が地に伏せ、少年の手から離れた男が崩れるように倒れた。

 その様に一瞥もくれることなく、少年はおもむろに両耳に装着したヘッドホンをずらして深く被ったフードをちょい上げし、口許に不敵な笑みを刻む。獰猛な獣のような嗜虐的な笑み、それは少年が純粋な戦闘嗜好者であることを示していた。

 雨音と呻き声だけが空気を震わす空間の中、狂喜を孕んだ声が静かに発せられた。

「……へぇ……始まったのか……。……面白くなってきたじゃん、コレ」

 キヒッ、と喉の奥から喜悦の込められた笑い声に呼応するかのように、少年の頭部に生えた丸っこくもピンと立つ耳がぴくぴくと震えた。



 同時刻、マンションの一部屋。住人である少女はおもむろにベランダに出て、銀色の手摺に頬杖を突き空を見上げた。ぱらぱらと降り注ぐ雨粒が涼しげな音を奏でつつ、地上のコンクリートに爆ぜて砕ける。

 少女は湿り気を帯びた小麦色の髪を撫で付けつつ、憂いを漂わせる表情で雲の切れ間から差し込む光の帯を見詰めた。大きな山吹色の双眸にも憂いが満ち、端正な口許から小さな吐息が漏れる。

「はぁ~、私も出陣することになるのかな」

 鈴の音のような綺麗な声でそう呟く少女の華奢な肩に、ぴょんと飛び乗ってきた影があった。天を衝くようにピンと立った耳に水晶のような丸い碧眼、淡い茶色の毛並みと流麗な尻尾がゆらりと揺れる。両掌に収まってしまいそうな小型の小動物は見た目、狐を連想させる。

 その動物はふいっと視線を振って主人である少女を見詰め、可憐な少女のような声で問いかけた。

「厄介なモノがきそうですね。どうします?」

「ん~~……」

 小麦色の短い髪をふらふらと左右に振りつつ、細い指を口許に添える。数秒間黙考し、気丈でありながらどこか軽さを含んだ声で答える。

「戦うしかないんじゃないかな。そうしないとこの世界の人たちにすごく迷惑がかかると思うから。……どうやら察したのは私たちだけじゃないみたいだし」

 反応は二つ。三人と一匹では分が悪い気がしないでもないが、自分たちなら大丈夫だろう。左手で優しく肩に乗る相棒の頭を撫でつつ、少女は凛然と言い放つ。

「私たちの力を見せてあげようじゃないの。侵略者どもに」   

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