初雪
――ねえねえ、雪積もってるよ。外に出て遊ぼうよ。
『彼』がそう呼び掛けた時、『彼女』はこたつの中に体を突っ込んで文字通り丸くなっていた。『彼』は嫌がったのだが、『彼女』はご主人の奥さんが作った手製の服を着ている。似合ってなくもないのだが(彼女は可愛いでしょ、とよく自慢してくる)、なんだかなあ、という心境。『彼』はご主人に連れられて散歩する際に通る人間が変な視線を飛ばしてくるのが嫌なので、服は嫌いだった。
呼びかけても応答がない『彼女』に対し、『彼』はこたつの中に頭をつっこんで、茶色い鼻先で『彼女』の三毛が生えた体をつっついたが、一向に出てくる気配はない。
寒がりな『彼女』は毎年冬になると、ご主人が出したこたつの中にほとんど一日中入りっぱなしになるのが習慣になっている。普段は匂いだけで飛びついてくる煮干にだって、この季節だけは見向きもしない。よっぽどの寒がりらしい。
何度つっついても反応が無いから、気持ちよくて寝てるのかもしれない。起こすのも可哀想だが、今日は今年の冬で初めて雪が積もったのだ。せっかくなので遊ぼうと誘っている、というのが今の状況。
それにご主人が雪下ろしで外に出ている以上、玄関の扉はもちろん閉めてあるわけで、『彼』には扉を開けるスキルがないので、開けるスキルを持っている『彼女』がいないと外に出ることができないのだ。インドアで出不精なくせに、外に出れるというアウトドア必須の特技を持っているなんて理不尽な世界だ。
(もう……。)
だんまりを決め込む『彼女』の尻尾を口で軽く噛んだ。『彼』の歯は肉を噛むためにできているので、鋭い歯しかない。だから優しく噛んだつもりだったのだが、『彼女』には痛かったようで、「ぐにゃあ」とびっくりして飛び起きた。
――痛いじゃん。何してくれるの。外だったら行かないから一人で遊んできて。私は寒いの嫌いなの。
――なんだ。起きてたのか。
正直起きてたのは意外だった。起きてたなら反応くらいしてくれたっていいのに。
顔を突っ込んだ『彼』のせいで、寒い外の空気が中に入ってきて『彼女』はより一層身を丸くした。自慢の灰色の毛で覆われた尻尾は普段、毛が傷まないように伸ばすのだが、そんなプライドも寒さには勝てない(といっても尻尾を伸ばしているとたまにご主人に踏まれて驚くこ とがあるので、ご主人がこたつに入っているときは伸ばさないことが多い)。
今でこそ『彼女』はこんなんだが、昔は一匹狼だった。もともと『彼女』は野良だったのだがなんの所以かこの家にやってきて――『彼』はまだ幼かったのだが――野良というのが信じられないくらいご主人にはすぐになついた。しかし最初の頃は薄汚くて気分屋ですぐ怒って――。その頃は冬だって普通に外に出ていたのだが、いつの間に『彼女』冬嫌いになっていた。その代わり性格は丸くなったが。
――なんだ、って何よ。寒いの。早く出てって。
その時、家の屋根から大量の雪が落ちる音がした。一瞬ご主人が落ちたのかと思ったほど大きな音だった。たぶんご主人が屋根に積もった雪を下ろしてるのだろう。
『彼』と『彼女』のご主人とその奥さんは70くらいにはなろうか、という年で、その割に二人とも元気なのだが、活発すぎて午前中の時間が全部散歩ということもしばしばある。さすがに外が好きな『彼』も6時間以上歩き続けというのは疲れる。『彼女』だったら途中でへばって寝そうだ。
「おおい、タマ。ミー君が来とるぞ」
屋根から叫んだのだろうが、たぶん人間だったら気がつかない音量の声だったが、耳がいい『彼』と『彼女』にはなんの問題もなく聞こえた。タマというのが『彼女』の名前で、ミー君は野良で『彼女』が好きなオス猫だ。
――やった。ミー君だ。
ご主人の声がかかった瞬間、『彼女』はさっきまでの自堕落的な態度が嘘かのようにこたつから飛び出した。嬉しさのあまりか尻尾を左右にすごい勢いで振りながら出ていったので、こたつの中に顔を突っ込んでいた『彼』は尻尾で叩かれるためになった。
『彼』が後ろずさりして顔を引っこ抜いた時には『彼女』は玄関の扉を自分で開けて外へ出ていく瞬間だった。全く現金なんだから。
『彼』も急いで後を追う。『彼女』は気を利かせてくれたのか、閉めるのが億劫なほど早く外に出たかったのか、恐らく後者だが、『彼』もようやく外に出れることになった。
――待ってよ、タマちゃん。僕も出る。
――サブロウはどっか行っててよ。ミー君に変なふうに思われるとイヤ。
――えーひどい。
――じゃあせめてミー君に変なことしないで。
――分かったよー。
外は白色の雪で綺麗な銀世界だった。あまりの感動に一回だけ、ワンと鳴いて鼻で雪をすくって『彼女』にかけた。「にゃあ」と冷たそうに鳴いたが、振り向いた『彼女』の顔は少し照れ隠しに微笑んだ表情だった。
『彼女』がミー君と遊び終わったら、『彼女』と遊びたいな、と『彼』は思った。