good night[1]
彼はそれ以上何も言わず、無言で、扉を閉めた。
再び薄暗い室内。外からのわずかな明かりだけで浮かび上がる2人の姿は……やけに、幻想的で。
目の前にいる薫は幻で、手を伸ばしたら消えてしまうんじゃないかって、思った。
「都、だよな?」
「……そう、だよ」
先ほどまで爆発寸前だったんだ。一瞬で泣き顔を隠せるほど、器用な人間じゃない。
今だって、薫が目の前にいるってことだけで……今すぐ胸に飛びついて泣きたいのに。
彼は電気をつけようとはせず、ベッドに座っている私へ、一歩一歩、近づいてきて。
「泣いてるのか?」
「……泣いてないわよ」
泣けない、泣くもんか。彼に自分の言葉で、ちゃんと伝えるまでは。
本当は立ち上がって、彼を正面から見据えたかった。だけど、ベッドに座ってうつむいたままが精一杯の私は……声を震わせながら、切り出す。
「ねぇ、新谷氏……あんた、バカよ」
唐突に言い放った言葉。だけど、私の前に立った彼は何も言わず……ただ、次の言葉を待つ。
「そう、大馬鹿なのよ……いつまで過去の恋愛を引きずってるの? そりゃあ、忘れろなんて言わない、そんな酷なこと、言える立場じゃないと思ってる」
そう、君の過去は私に関係ないって思ってた。だから今まで踏み込まなかったし、あえて強く尋ねることもなかった。
だけど、君が現在だけで「新谷薫」であるわけがない。君が君になった過去を知らないまま、この先、付き合っていけるわけがないんだ。
そして、私は君のそんな過去を知って……もっと、君に近づきたいんだよ。
「だけどね、今の女に過去の女の影を重ねてどうするのよ? 情けないなぁ……これからもずっと、そうやって生きていくつもり?」
もっと、君を好きになりたいんだよ。
彼は、何も言わない。
最後までちゃんと言えるかな? 我慢しきれずに涙がこぼれる。泣くな、まだ泣いちゃダメだ。泣いたら喋れなくなる、伝えられなくなる。もう少し、もう少しだから。
私は歯を食いしばって、泣き出す自分を制御し続けた。
「新谷氏がどんな価値観で生きてても……私は否定出来ない。だって、新谷氏の生き方は、新谷氏が決めるべきだもの。そうでしょう? いきなり出会った事情も知らない女に……我が物顔で指図されたくなんか、ないわよ、ね……」
だけどね、薫。
「だけ、どっ……新谷氏は、私に名前で呼ぶことを許してくれた! それは、少なくとも私が「いきなり出会った事情もしらない女」からランクアップしたんだって……私は、そう、思って……っ……!」
嬉しかった、本当に嬉しかったんだよ?
合鍵をもらった瞬間も、名前で呼んでって抱きしめてくれた瞬間も、薫と過ごした時間、全部。
「私はずっと、新谷氏に認めてほしかった! 新谷氏が過去に辛い思いをしてるなら、そのことも……事実そのままじゃなくてもいいから、伝えてほしかった! 私だけ何も知らないなんて、ずっと、嫌だった……」
私が林檎ちゃんを好きになれなかったのは、彼女が私の知らない彼を確実に知っていたから。
そして、薫はそれを知りながら……私に何も話してくれなかい、そんな状況だったから。
「信じて……欲しかった、そんな保障が……ほしかった、からっ……!」
だから、ね、薫。
私の言葉に、逃げずに、真っ直ぐ返答して。
今の薫の気持ちを、私にぶつけて。
私は、逃げないから。
「私は……沢城都は、新谷薫が好きなの!
今更薫がどんな過去を背負ってたって、BL好きっていう事実の方が私にとっては衝撃的だったに決まってるでしょう!?
でも……私は、薫のそういう一面しか知らないから、これからもっと色々知って好きになっていきたいと思ってるの! だから教えてよ、直接言ってくれなきゃ何も分からないんだから!
それに……いいわよ別に、女教師でもロリでも誰でもかかってきないさいよ!
薫がどれだけハーレム状態になったって……私は絶対、薫を攻略してみせるんだからねっ!」
次の瞬間、彼の体が私に覆いかぶさってきて。
座っていたベッドに転がった私へ唇を重ねた彼は、そのまま、強く抱きしめた。
音が、なくなる。
それくらい静かな部屋の中で、ただ、彼の息遣いだけが届く。
「ゴメン……都、俺……」
「謝って欲しいわけじゃ……ない」
私を見下ろし、涙を拭ってくれる薫に、少しだけ、不機嫌な声を返した。
だって、私は欲しいのは……謝罪の言葉じゃないから。
私が欲しいのは、正直なキミの言葉だけ。
それだけ。
「……寂しかった。俺は過去を引きずってて、都のことも、俺のせいで傷つけたくなくて……これが都のためだって思ったけど、これ以上傷つきない自分への自己満足だったんだよな」
「一方的に思えたから、さすがに凹んだよ。でも、私も……薫のこと、きちんと知ろうとしてなかったと思う。ゲームにばっかり目がいってたから、薫が心から信頼してくれなかったのは、私の行動にも責任はあるんだと思う」
「……優しいな、都は」
不意に表情が緩んだ。私の大好きな笑顔が、私だけを見つめている。
「あれから、俺の中にぽっかり穴が空いたみたいで……寂しくて、何度も都の部屋に行こうとしたけど、俺に今更、何ができるだろうって……」
呟きながら、もう一度、私を抱きしめる。
ベッドに沈んだ2人分の重さが、妙に嬉しかった。
「こんなに都のことを思ってたんだって……今更みたいに自覚して。だから、弱い自分から今度こそ脱却して、自分のことしか考えてなかったことを謝って、それで……ちゃんと、ちゃんと言おうって……」
肝心なことが、何なのか。
彼もきっと、自分に問いかけていたんだろう。
一度呼吸を整えた薫は、私の耳元で、はっきりと囁いた。
「……俺は、都のことが、好きだよ」
声が、震えている。
「薫……」
「本当は最初にちゃんと伝えなきゃいけなかったんだ。遅くなってゴメン……俺、は……都のこと、誰よりも好きなんだって。誰よりも大切だから、俺の側にいて欲しいって……伝えたかったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、また、涙が溢れる。
もう、ダメだ……嬉しすぎて息が詰まった。夢じゃない、目の前にいる薫は……幻じゃ、ない。
「分かって欲しい。私が一番辛いのは、薫の側にいられないことなんだよ?」
そう、君が原因のトラブルなんか、私にはどーってことないの。
だって、トラブルを解決するときは……2人で一緒に悩めるんでしょう?
悩もうよ。一緒に考えようよ。
「わた、しは……薫と一緒にいたいの。それだけでいいじゃない。これからまた、色々面倒なことがあるかもしれない、けど……でも、私は、薫と一緒にいたい。それだけなんだから、ね?」
彼の背中に両腕を回し、私からもしっかり抱きしめた。
やっと掴んだ、彼の温もり。同じ空の下にいても、一番遠くに感じた存在が……今、一番近くに、いる。
離さない。離れたく……ない。
「……ね、ねぇ、都……痛い」
「へっ!? あ……ご、ゴメン!」
私の横に顔をうずめ、耳元で息苦しそうに呟いた薫。慌てて両腕をほどくと、起き上がった彼が、笑顔で私を見下ろした。
うぁぁ、思わず力んじゃったよ……自分の失態に言い訳も思い浮かばない。どうしてこう、ロマンチックな雰囲気ぶち壊すかなぁ沢城都。
決まりが悪くなった私を、彼がニヤニヤした表情で見下ろし、
「やけに可愛いキャラだな、都。もしかしてツンデレ?」
そんな薫に、私も思いっきり言い返してやった。
「か、勘違いしないでよね! 私は最初からツンデレよっ」
そして、薫は自分の言葉で話してくれた。
彼と彼女に何があったのか。何が、薫を不安にさせるのか。
都がカッコイイ。やはり、彼女の人気はずば抜けて高いです……薫頑張れ。