見失ったピース
初めて、見た。
こんなに切ない、彼の顔は。
そんな彼が紡いだ拒絶は、私を混乱させるだけで。
「薫……私には、君が何言ってるのか、分かんない、よ?」
涙が出るかと思った。いや、瞳は既に潤んでいる。
呆然としたままの私を、彼もまた、今の私と同じような表情で見つめて、
「俺は……都の側にいたいって……思ってる」
「だったら! さっきの言葉はどういうこと!? 私、だって……私だってねぇっ!!」
意味が分からない。お互いに一緒にいたいって思っているならそれでいいじゃないか、それのどこに問題があるっていうの!?
激昂した私の頭に……聞き分けなく泣き叫ぶ幼い子どもを諌めるように、彼はそっと手を置いた。。
「都は……これからも、こんな思いをしながら俺と付き合わなくちゃならないの?」
「え?」
「俺が……また何か、別の人間関係でトラブルを起こすと、都は手を貸して、きっと俺を助けてくれる。だけど……その度に都は、嫌な思いしなくちゃならないんだろう?」
彼が何を言っているのか、何を伝えたいのか……正直、全く伝わってこなかった。
これが、彼なりの優しさ?
これは、寂しかったって思った私への、試験?
理解できない、理解したくない、訳が分からない!
「そうかもしれない、けど……でも、そんなの私は構わない! 私はっ……!」
「――やっぱり、俺はこれからも、都を傷つけながらじゃないと、一緒にいられないの?」
「違うでしょう!?」
思わず叫んだ。
違う。
そうじゃない。
違うんだよ、薫。
どうして……そういう風にしか、考えられないの?
「ど、うして……どうしてそういう考え方になるかなぁっ! それこそ、薫が自分のことしか考えてないからそうなるんでしょう!? 私の気持ち、考えてくれたこと……」
ここまで一気にまくし立ててから、我に返った。
私は、薫の気持ちを……考えたこと、あった?
林檎ちゃんに言われるまで、気付かなかったくせに。
もしかして、こうなるまで彼を追い詰めたのは――
――私?
「……頭、冷やしてくる」
これ以上一緒にいると、彼に更なる暴言を吐いてしまいそうで。
そんな自分を許せるはずもなく、私はきびすを返して部屋を出て行く。
何かがずれてしまっている気がした。
私のせい? 薫のせい?
分からない、分からないけど……薫が、遠い。
それから……彼の部屋に戻れなかった。
薫が言いたいことは、何となく分かる。
分かるけど、でも……こうやってすれ違うのって、寂しいというよりも、悲しいね。
そりゃあ、私は寂しかったよ。自分から言い出したことだっていう事実が私を責め続けた。彼女を欺くために徹底して、メールも電話も一切していなかったから……彼との接点がないこと、たったそれだけのことが寂しくて、胸が痛くて、切なくて……気づいたら涙が溢れていたんだ。
それくらい好きになっていた。ゲームをやりたいって理由はとっくに口実で……最近、そんな口実がいらなくなった関係に、飛び上がりたいほど喜んでいたのに。
そんな自分の変化に気づいていた。照れ隠しばかりが先行して上手に伝えられなかったけど……でも、君は気づいてくれているはずだって、確証のない自信が私の唯一の支えだったのに。
それなのに。
考えが、まとまらない。
授業も、バイトも、全然身が入らない。彼の言葉の意味が理解できずに、ネガティブな思考はマイナスのことばかり考える。
薫は……もう、私のことが好きじゃなくて、でも、彼は優しいから、私を傷つけないように断ったんじゃないか、って……何度も、考える。
でも、それを本人に確かめる勇気がなくて、財布の中に入っている合鍵を握り締めては、一人、やるせない思いでベッドに転がっていた。
そんな日々が、4日ほど続いた……ある日の、こと。
「あ――都ちゃん、ちょっといいかな?」
大学からの帰り道、コンビニの前で私を待っていた大樹君は、近づいてきた私を見るなり、苦笑。
「すっかり表情が死んでるね。誰かさんと同じってわけか」
「誰かさん?」
「そ。すっかり説明する順番を間違えて自滅した、俺のアホな親友と……だよ」
大学構内は、夕方になれば人の数が少なくなる。
風が少し冷たい、図書館前のベンチ。互いにジュースを買って座っている私たち以外に、人影は、ない。
大樹君も黙っていれば女の子が放っておかないので、正直、誰もいないのは助かる。これ以上変な噂を立てられたくはない。
「あ、そうだ。聞こうと思ってたんだけど……大樹君、綾美と知り合いなの?」
「あぁ、知ってるよ? 彼女は俺のライバルだからね」
ライバル?
言葉の真意がつかめない私へ、彼は至極分かりやすい説明をしてくれた。
「俺も同人作家なの」
「え、嘘っ!?」
「本当だよ。まぁ俺が描いてるのは、ある意味綾美と正反対のジャンルなんだけど……綾美とはイベントデビューした時期が同じで、最初の頃はよく隣のスペー スだったんだ。ただ、綾美はもう、結構な人気者になっちまったから……ココ2年くらいはまともに会ってないし、俺のことなんか覚えてないと思うけどね」
「でも、よく私が綾美の知り合いだって分かったね? 綾美から聞いたわけでもないんでしょう?」
私が彼女と知り合ったのは高校生の頃だが、最近彼女と会っていない彼が、綾美と私に関する話をするとは考えられない。
「都ちゃん、薫に自分は綾美の知り合いだって言ったら、スケッチブック渡されただろ?」
「え? うん……薫、なぜか綾美の名前だけは知ってたから……」
……あれ?
ちょっとまって。色々出来すぎてない?
確かに彼はBL好きだけど、同人の世界まで深く把握しているわけではない。むしろ、同人に関しては表紙でジャケ買いするようなタイプだ。
そんな彼が、綾美のことを知っている理由、それは、
「薫をあの世界に――BLの世界にそそのかしたの、実は俺なんだよ」
彼の言葉でパズルがはまった。そんな気がした。
「薫はこの間、自分の口から説明するって言ってたけど……結局説明してないんだろ? 詳細は本人の口から聞いてもらいたいんだけど、概要くらいは、今の都ちゃんも知る権利がある」
手にした缶コーヒーをすすり、彼は、話し始めた。
「俺は今、専門学校の2年生だ。薫は一浪してるから大学1年生。ねぇ都ちゃん、どうして薫は一浪したんだと思う?」
「どうして、って……」
「俺が言っても実感ないかもしれないけど、薫、普通に頭いいんだよ。この大学だって、余裕で現役合格出来るだけの力を持ってた。だけど……俺たちが高3の 夏、産休に入った先生の代わりに、臨時で若い女教師が赴任してきてさ。そいつが教師って立場を忘れて、薫にしつこく付きまとったんだ」
――あ。
思い出すのは、そんなに遠くない過去。私が興味本位で話を振った、その時の言葉だ。
「……付き合ってない。断った」
「あの先生のおかげで女性が怖くなったんだよな……ストーカーみたいで、参ったよ」
半分は冗談だと思った。だけど、実際はそうでもないらしい。大樹君の口調と表情から、十分理解できる。
「薫にはその時、別の学校だったけど付き合ってる彼女がいたんだ。そりゃあ、男子校にいてもモテまくりで、告白されない月はないくらいだったけど……」
「それって、ゲームが好きだっていう……?」
「あれ、都ちゃんも知ってたんだ。そう、やたら格ゲーが強くて、本人も気が強くて、だから上手くいっていたのかもな」
その彼女が、林檎ちゃんが言ってた「元カノ」か。
本人以外から、彼の過去、しかも女性関係に関する話を聞くのは、やっぱりどこか複雑だった。
「どうして別れちゃったの? どうして薫は……BLの世界に逃避するようになっちゃったの?」
聞きたかったけど、聞けなかったこと。
私は何を聞いても受け止める、そんな心境で、大樹君の言葉を待った。
「その教師、性質が最悪の女でさ。臨時の職員ってことで学校を掛け持ちしてたみたいで、教師って立場のクセに、偶然授業を担当している薫の彼女にあからさまな嫌がらせをしたり、薫を待ち伏せたり。そんなことが続いて……さすがに我慢しきれなくなった薫は、教師本人の所に行ったんだ。これ以上、俺に付きまとうのはやめて欲しいって」
あの薫にそこまでさせるってことは、相当、だな。
ある程度予測していたので表情を変えずに聞くことができたけれど、さすがに、次の言葉には絶句するしかなかった。
「その時、薫と教師がどっかの教官室で2人きりだったみたいなんだけど……女教師が突然悲鳴上げて、近くにいた別の教師が教官室に殴りこんでみれば、彼女のうえにまたがる薫を発見した、しかも教師の着衣は乱れてる、ってわけだ」
「なっ……!?」
フィクションでもシャレじゃ済まない事態。そんなことが実際に起こったら……。
「結局、薫は謹慎処分。ただ、俺たちは薫のキツイ顔を見てきたから、その話を信じなかった。クラス全員で結託して、その女教師に真相を吐かせて辞職には追い込んだけど……それが高3の冬だぜ? 薫は受験に臨めるような精神状態じゃなかったし……付き合ってた彼女が、周囲の噂を、薫が教師を襲ったっていう方を、信じてしまった」
「さすがにああなっちゃった先輩にも同情するけど……」
あの林檎ちゃんの言葉は、彼の過去やその真相を知っていたから。
あれだけ一途な林檎ちゃんのことだ。周囲に惑わされず、自分の力で真実を突き止めたに違いない。だから、あれだけ強く想い続けることが出来るんだろう。
「――やっぱり、俺はこれからも、都を傷つけながらじゃないと、一緒にいられないの?」
あの時の言葉は……このときのことを思い出したからなの、薫?
「彼女とは学校が違ったから、しょうがないんだけどさ。結局彼女は他県の大学に進学を決めて、薫の側からいなくなった。奴は今まで以上に女性への接し方を変えて……それから、誰とも付き合わなかったんだ」
今、彼に会ったら……私は、どういう言葉をかければいいんだろう?
「薫は何とか立ち直ったように見えたけど、でも、それが空元気だってことはすぐに分かった。だから俺はわざと、自分が持ってるゲームや同人誌を奴の近くに置いたんだ。気が紛れればいいと思っただけで、元々、俺がそういう活動をしているってことは知ってたけど、実際手にするのは初めてのものばかりだったみたいだけどな。んで、奴が一番興味を 示したのが――綾美の同人誌だったんだよ」
「綾美の!?」
「言わずもがな、ボーイズラブだよ。薫がBLを読み始めたキッカケは、綾美だったんだ。その親友が今の彼女だもんな。縁ってすげぇや」
思わぬところで繋がった、私と薫。
その事実が、少し、嬉しかった。
それと、同時に、
「私……本当に、何も分かってなかったんだなぁ……」
自分自身が、腹立たしくてたまらない。
彼の辛さを表面的にしか見ていなかった自分が、外見で色々大変、でもそこで終わりなんだと自己完結していた自分が。
名前を呼ばれることへの苦痛も、その先生が彼を名前で呼んでいたからだろう。そしてきっと、当時付き合っていた彼女も。
また、私は……気がつかずに、薫を苦しめていた。知らないなんて言い訳だ。彼が話せる覚悟を決められなかったのは、まだ、私にその資格がないから。
頑張って歩み寄ってくれたのに。名前まで呼んでくれたのに……。
私は……彼に、信用されてなかったのかな。
無意識のうちにハンカチで顔をおさえる。涙が……止まらない。
「都ちゃん、君が自己嫌悪を感じることはないよ。話さないままで、自分の判断だけでキミと距離を置こうとした薫が悪いんだ」
「でも……私、何も知らなかったことを言い訳にしたくない。薫が話してくれなかったのは、私のことを心から信じてくれなかったから。そんな行動をしんかった私も……悪いんだから」
目の前のゲームと、薫。その二つを同時に手に入れた充足感で、大切なことを見失っていた。
そして、ようやく少しだけ彼に近づけた、そんな気がした。
大樹君もこの事実を話す人間は慎重に選ぶはずだ。私はようやく、彼と向き合って話せるだけの情報を手に入れたんだ。
「でもやっぱり、薫も……私に分かってほしいなら、もうちょっと話してくれなきゃ、だよね」
「そこは本当に面目ない。俺の調教が足りなかったみたいだ」
「……大樹君、本当に薫のこと、親友としか思ってないよね?」
涙を拭いた私が疑いの目を向けると、彼は綺麗な笑顔で断言する。
「俺は美少女が大好きだ!」
よし合格。
彼に向って無言で親指を突き出しつつ……私は、脳内で情報を整理する。
これから彼と向き合うには、どうすればいいだろう?
「……って、複雑に考える必要はないんだよね。私が直接、言いたいことを言って……後は薫が決めることなんだから」
そう、私との今後をどうするのか……それは、私が決めることじゃない。
ようやくスッキリした私に、彼は軽く頭を下げて、
「親友として頼むよ。本当にそう思うなら、薫の近くにいてやってほしい。それで、奴の誤解をといてやってくれないかな?」
彼のいう「誤解」の意味が分からず、私は首をかしげる。
「薫の、誤解?」
「薫は多分、昔の彼女と都ちゃんを重ねてしまってると思う。だから、当たり前だけど彼女とは違うって……バカな親友の頭にこれでもかってくらい。叩き込んで欲しいんだ」
さすがに私は苦笑するしかなかった。
「……ははっ、なるほど、ね……まぁ、しょうがないかな」
本当だよ、彼は大馬鹿だ。
私が……当時の彼女と同じだと思った? 別の女性と噂が立ったら別れを切り出すような、そんな女だと思った?
「正直、何も知らない都ちゃんをここまで引っかき回したんだ。薫が愛想をつかされてもしょうがない状況だってことは分かってる、けど……」
「……大丈夫だよ、大樹君」
彼の言葉に、私は一度だけ頷いた。そして、
「これくらいの問題がないと、単調なシナリオってことでユーザーからクレームが殺到しちゃうわ。大樹君が話してくれたおかげで、私は完全に彼のルートに入ったって確信してるから……後は私が間違えなきゃ、トゥルーエンドに行けるはずでしょ」
精一杯の強がりも、何とか様になって。
私は一度空を見上げて……この場にいない彼を、想った。
そして、私は……今、彼の部屋にいる。
どうやら今日も、部屋の主は夕方からバイトらしい。この時間にいないってことは、多分あと30分後、10時過ぎに帰ってくるはず。
私は電気もつけずにベッドに転がって、ただ、そのときを待っていた。
反射的に布団をギュッと握り締める。抱きしめてくれた彼の温もりはない。何度も私に笑顔を向けてくれた、優しく抱いてくれた彼が……今は、いない。
「あ……」
不意に、彼の匂いを感じた気がした。それだけで彼が近くにいるような錯覚。
でも、手を伸ばしても……誰も、いなくて。
「何、やってるんだろ……いるわけ、ない、のに……っ」
抑えていた感情が、堰を切ったように溢れていた。
あの手を、腕を、離したくなかった。
名前を呼んで、髪を撫でてくれる彼がいない。
いつも床に座って文庫本を読みふけり、ゲームに熱中する私へ苦笑いを向ける彼が……
薫が、いない。
「ぅっ……ぁっ、あぁっ……!」
背中を丸めて嗚咽をかみ殺した。今は泣いちゃいけない、もうすぐ彼が帰ってくる時間だろう。それまでは……彼に自分の正直な思いをぶつけるときまでは、泣かないって……泣かないって……!
「泣かないって……決めたのに……」
ココで泣き出したら、私は自分を見失ってしまう。そんな気がして。
自分の中にある最大の見栄を振り絞り、涙をぬぐう。声を上げて泣くことを必死に我慢していた。
――と。
扉のほうから、鍵ががちゃりと差し込まれる音が聞こえた。けれど――鍵を回す音はしない。ただ、少しだけ沈黙。
そして、ゆっくり扉が開いて、
「みや、こ……?」
確かめるような彼の言葉に、私はベッドから身を起こす。
廊下の明かりで、逆光の状態。だから顔は見えないけど……彼が、そこにいた。
薫にイライラしないであげてください……彼も一生懸命なんです。
大樹、いい奴だ。ある意味彼が元凶ですからね。功労者です。
さあ、物語は大詰めです。最後までお付き合いくださいませ!