たった一つの冴えたやり方
――2週間後。
その日の彼女はハイテンションだった。そりゃあもう気分は有頂天ホテル。なんてったってずっと思い人だったルックル良し、性格良しの先輩から直々に呼び出されたのだ、しかも自宅に。
風の噂で、最近付き合い始めた彼女との関係が少し微妙になっていると聞いた。何やらここ最近、彼の部屋に出入りしていない、大学でも目を合わせていない、らしい。
バイト先で接する限りは特に変わった様子もないのだが、そんな本日のバイト終わり、「ちょっと相談したいことがあるんだけど……時間、あるかな?」なんて真顔で言われてしまったら、二つ返事で引き受けるしかないだろう。
一旦自分の部屋――下宿している親戚の家なのだが――に戻って、メイクをなおし、服も選んだ。自分に何が似合うのかある程度分かっているつもりだから、今日はとにかく攻めていこうと思う。赤いチェックのキャミソールと黒いレースのミニスカートで、小悪魔風に。グロスもピンクのラメ入りを重ね塗りして、厚みを持たせる。
鏡の向こうにいる自分は、完璧に作り上げられた表情で微笑んでいた。
「……ふふっ」
これで接近戦に持ち込めば勝てる、そんな気さえしてくる。
夜も次第に深くなる午後11時、彼の家へ向かいながら、隠せない笑みがこぼれた。
ようやく自分の順番が回ってきたと思う。高校生の頃は姉に遠慮して、結局、遠くから見ていることしか出来なかった。二人が引きあっていく様子、離れていく様子を一番近くで見続けるという拷問に耐えたからこそ、今の自分があると思っている。
変わろう、変わりたいと強く願ってきた。同じ大学に進学できたことも追い風になり、何よりもあの時のように後悔したくなかった。誰よりも彼を強く思ってる、その自信はあるから。
だから、ようやく手に入れたチャンスを逃すわけにはいかないし、手段は選ばない。どんな手を使っても、必ず彼の隣をゲットしてみせるっ!
……なんてことを考えながら、彼女・宮崎林檎ちゃんは彼の家へスキップしながら近づいていく。
街灯やコンビニの明かり、車のヘッドランプに照らされた地上は明るい。明るすぎて……照らされている場所以外、見えないのが現実だけど。
全てを照らす満月を見上げることもなく、彼女は進む。
その先に、どんな惨劇が待ち受けているのかも知らずに。
彼はマンションの入り口で出迎えてくれた。相変わらずの優しい笑顔を、彼女だけに向けて。
「ゴメン。いきなり呼び出しちゃったけど……」
「気にしないでください、先輩。私でお役に立てるのであれば何でも言ってくださいっ」
最初はとにかく笑顔! そして、あまりこれが、彼女が今まで体験してきて実感した勝利の方程式その1である。
その2以降もこれから実践して、押しの弱そうな先輩を自分のペースに巻き込んでしまおう。そのために、今は我慢である。徐々に巻き込んで、彼が巻き込まれていることに気がついたときには、もう、取り返しがつかないように――
「宮崎さん?」
「えっ! あ、ゴメンなさい……って先輩、その呼び方やめてくださいよ~」
むぅっとむくれてみると、彼は苦笑いで何も言わなかった。まぁ、そんなこと些細な問題。これから何とかしていけばいいのだ。
時間は……まだ、たっぷりあるのだから。
彼と一緒にエレベーターで4階まで。そして、部屋までの廊下を歩きながら、ふと、
「宮崎さんなら、俺のこと昔から知ってるし……だから、相談に乗ってほしいんだ。いいかな?」
「はい。私で良ければ、いくらでもお話聞いちゃいますっ!」
ここはあくまでも普段通り。まだ自分の手の内を明かすわけにはいかない。焦らず、機を逃さず、確実に――頭の中で計算を巡らせつつ、普段より人懐っこさと笑みを3割増にしておく。
対する彼は、普段とは違う、真面目な声。覚悟はしていても鼓動が早くなってしまう。動揺を悟られないように、一歩一歩、確実に前へ進む。
そして、部屋の前。彼が、その扉を開いた瞬間――
「――薫、遅かったじゃねぇか」
室内にいた「彼」の姿を目の当たりにして、彼女の思考回路は完全に凍結した。
誰もいないと思い切っていた室内に、彼女の知らない男性が一人。しかも地味にイケメン。思わず胸が高鳴ったのは女性だからしょうがないとして。
友人が遊びに来ている、普通ならばそう考えるだろうし、彼女だってそう思いたい。
……彼の上半身が裸である、という、現実さえ見なければ。
シャワーを浴びた後なのだろうか。だとしても家主でもない彼がこんな格好で玄関に出てくる必要はないはずだ。
水滴が滴り落ちる髪の毛をバスタオルで拭きながら、彼はネコのような眼で彼女を見つめ、決定的な一言を言い放つ。
「初めまして、俺の薫に何か用?」
「――え?」
耳を疑った、聞きたくなかった。
今……目の前の見知らぬ(イケメン)男は何て言った?
「大樹、紹介するよ。彼女は――」
「先輩! あ、あの……そちらの方は、その……お友達、ですか?」
認めたくない、絶対に認めたくない。
彼が……自分の好きな人が、「そっち系」の人間だなんて!
しかし、そんな彼女の悲痛な願いを、大好きな彼は笑顔で打ち砕くのである。
「彼女はバイト仲間の宮崎さん。俺がちょっと、大樹との今後で相談したいことがあるからって……女性だったら、俺たちとは違う意見が出てくるかもしれないだろ?」
何だろう、これは……一体、何が起こっている?
綺麗な顔いっぱいの笑顔で紹介された彼女は、顔面蒼白。というより灰。今すぐに消えてしまいたい衝動に駆られるのはどうしてだろう?
彼に大樹、と、名前で呼ばれた彼は、「ふーん」と呟きながら近づいてきて、
「そうだな。早く俺と一緒に住みたいっていつも甘えるもんな、薫は」
彼の隣に並ぶと、明らかに「誘っている」流し目で見つめる。
「い、いきなり何言ってるんだよ大樹!」
どもって反論しながらも、完全に頬を赤らめている彼。
ここまで見せつけられれば、確信するしかない。
彼は、女性を恋愛対象として見ていない人になっていたのだ。
自分の近くにそんな人間はいないと思っていた。
まあ、彼の過去を考えれば否定出来ないけれど、そんな結論に達したくなかったのだ。
しかも……絵になる。(笑)←彼女にしてみれば笑い事ではない。
「あ……あのっ! わ、私、お邪魔みたいだから失礼しますっ!!」
2人の間からだだ漏れしているお耽美な雰囲気に、免疫のない彼女が酔ってしまうのも無理はない。
脱兎よりも全力で走っていった(逃げていった)彼女の姿を見つめながら……薫は、いくらなんでもこんな「小芝居」に賛同してしまったことを、少しだけ、多分少しだけ、後悔したのだった。
「――お疲れ様。新谷氏の相談には、的確にアドバイス出来た?」
マンションの入り口でぜぇはぁと呼吸を整えている林檎ちゃんに、私は笑いをこらえながら話しかける。
私の存在に気がついた彼女が、ものすんごい目で睨みつけてきた。
「あなた……最初から全部……知って……!?」
「勿論。私だって彼の相談要員だし……どんなジャンルでも受け入れる人間ですからね」
まぁ、嘘だけど。
肩をすくめながら両手を広げてみると、林檎ちゃんは開き直ったのか……私をあざ笑う。
「ご愁傷様ね。さすがにああなっちゃった先輩にも同情するけど……貴女も絶対、先輩に好きになってもらえないわよ!?」
少し気になる言葉はあったが……ここで私がボロを出すわけにはいかない。
だから、私は口元ににやりと笑みを浮かべて、「それが?」と、聞き返した。
そう、前から一言、彼女には言っておきたかったのだ。どうしても、これだけは私の口から。
「私が好きになったのは彼だもの。彼がどんな人間なのかをある程度理解したうえで覚悟は決めてるわ。私はこれから、彼に好きになってもらう努力をするだけ。外野に何言われたって後には退かない。自分なりにけじめをつけるまで、私は諦めないわよ?」
私の自分でも青臭いと思ったセリフに……林檎ちゃんは「バカみたい」と吐き捨てると、暗い夜道を歩き始める。
その後姿を、私はぼんやりと見つめ、
「……黒い美少女って、いじったり、端から見る分には最高ね」
相変わらずだった。
「こうやって会うのは初まして、ってことになるんだな。類友よ、初めまして。いつも薫が世話になってるみたいで……親友として礼を言わせてもらうよ」
薫の部屋に戻った私を出迎えてくれたのは、今回のためにわざわざシャワーを浴びてBL攻め属性になってもらった私の類友、大樹君。
一応説明しておくが、前話後半から続いていた一連の言動は、全てお芝居。私が計画して大樹君が補完した、林檎ちゃんを諦めさせるための奇策である。
丁度2週間前、林檎ちゃんとのやり取りがあってから……私は、この計画に賛同するようけしかけたのだ。
これ以上思わせぶりな態度を取って、苦労するのは薫だ。この辺で彼女には引き下がってもらおう――と。
まぁ正直、彼が二次元BL好きなことをバラせばそれでよかったのかもしれないけど、どうせならばど派手にどっかんと。
そう思って、私は薫に大樹君を招集し、リアルBLの世界を再現するように提案したのだ。
勿論、彼は渋い顔をしたけど……何とか私が言葉で丸め込み。(あぁ、私もその現場見たかったなぁ……)
そして、今日、スケジュールをやりくりして駆けつけてくれた(彼は本当に忙しいらしい。作戦決行が2週間後になってしまったのも、大樹君のアポが取れなかったからなんだよね……)彼との初対面を果たしたのである。
ギャルゲー好きな彼が調達したゲームを、薫経由で私に回してもらっていたのだから……私に対する綾美的な存在。
こうして会うのは初めまして、なのだが……モデルが雑誌から出てきたかと思った。それくらい、薫と並んでも引き立て役にはならない存在感。
少し猫っ毛なのか、乾き始めた毛先がくるりと踊る。感じる雰囲気から攻めタイプだろうと推察しているんだけど。
いっやー……男性に縁のなかった私が、いきなりこんなイケメン(しかも同類)とお知り合いになれるとは。
自分の運を一生分使ってしまったような気がして、どうしようかと途方に暮れる。
そんな私を、彼はまじまじと見つめて、
「しっかし……君が都ちゃんか。正直意外だな」
「はい?」
彼に不釣合いだって言いたいのかコノヤロウ。歯ぁ食いしばれにゃ!
私の不機嫌な顔で言いたいことを察したのだろう。「いや、決して悪い印象じゃなくて」と、大樹君はナチュラルに訂正し、
「――安心したんだ」
「安心?」
「ほら、あいつってすぐ女の子に言い寄られるだろ? だから今回も、変な子に引っかかったんじゃないかって……正直、心配してたんだよ」
なるほど。薫と大樹君の付き合いは私より長い。高校時代の薫を知って、世話を焼いていた彼にしてみれば当然の心配だろう。
……本当に君はギャルゲー好きなんだよね? 今日も全部演技だよね?
私が向けた疑いの眼差しを、彼は先ほどの「変な子」発言を気にしたと思ったのか、慌てて取り繕う。
「都ちゃんはしっかりしてるし、薫のこともちゃんと分かってくれてる。だからもう、あの時みたいな失敗は――」
「――大樹!」
刹那、部屋の片づけをしていた彼が、大声を出して大樹君の言葉を遮った。
でも、私は……しっかり聞いてしまったんだ。
あのときみたいな失敗。
一体、何の話だろう?
「大樹、俺のことは自分で都に話す。だから――」
「了解。外野はさっさと退散しますよ」
状況を把握しきれない私を無視して、二人の間で話がまとまった。
立ち尽くしたままの私とすれ違いざま、
「じゃあ、都ちゃん……綾美によろしくね」
私の親友の名を告げる。
「へ!? あ、ちょっと!?」
どうしてそこで綾美の名前が彼の口から!?
問いただす間もなく、扉がバタンと閉まる。
わ……分からない人だ。つかみ所がないというか、何を考えているのか分からないというか。
私が呆然と、彼が出て行ったドアを見つめていると、
「都」
後ろから名前を呼ばれる。心臓が止まるかと思った。
大袈裟な表現じゃない。2週間前にこんな悪戯を仕掛けると決めてから、私は……薫の彼女じゃなかったのだから。
林檎ちゃんを完全に騙すため、私たちはこの2週間、学校以外で顔をあわせなかった。大学ですれ違っても……特別、会話を交わすこともなかった。(まぁ、会うこともほとんどなかったんだけど)
芝居だって分かっている。企画したのが自分自身なのだから、文句は言えない。成功するって確信していたし、しなかった場合の対処法も考えていた。
だけど。
彼は振り返った私の手を掴み、そのまま力任せに引き寄せた。
正直、腕は痛かったけど……でも、そんなこと気にならない。
「会いたかった」
そう言ってもらえるだけで、その分の辛さも吹っ飛んでしまうってもんでしょ。
「こんな思いになったの……初めてなんだ。都に会えないのがこんなに辛いなんて、思わなかった」
「アリガト。そう言ってもらえるだけで嬉しいよ」
「だから……」
だから。
私はその言葉の先にあるのが、幸せな結末だと信じて疑わなかったのに。
「俺……やっぱりダメだ。これ以上、都に辛い思いはさせたくない」
彼の言葉を肯定的に理解したかった。
「薫……? いきなり、何言って……」
だけど、不意に腕をほどいた彼の表情を見た瞬間……私は、立ちつくすしかなかったのである。
BL要因キター!(違)お待たせの大樹登場です。彼は次のエピソードでもキーパーソンなので、見守ってあげてください。
そして…林檎ちゃんに合掌。