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旅の途中の終わりに

 むかし、むかし一人のおじいさんがいました。

 おじいさんはおじいさんしか住んでいない、町から随分離れた森に住んでいました。人と関わるのが苦手で、人里から離れた場所に住む口下手なおじいさんですが、不思議と動物が相手だと心の通う、良い友人となれました。

 

 おじいさんは貧乏でしたが、優しく、どんなに広い家を持っている人よりも、どんなに多くのものを持っている人よりも、豊かな心を持っていました。

 

 ある真夜中におじいさんが目をさましました。とても寒い夜でしたが、そのぶんまるい月とそのまわりにちりばめられた星がとてもきれいな晩でした。

 おじいさんは言いました。

「今、夢をみた。神様が、わたしに旅に出るようにおっしゃったのだ。」

 

 おじいさんは心から神様を信じていたのでこれは神様からの御言葉だと思い、旅の準備を始めました。とは言っても、旅立ちに必要そうなものはほんの少しの食べ物以外なにも、おじいさんの家にありませんでした。


「もしかしたらわたしが旅に出た後に、誰かがこの家に来て住む事になるかもしれないし、雨宿りにくるかもしれない。だから、部屋をきれいにしといてあげよう。」

 

 おじいさんは旅支度としてこれから出て行く、小さな家の掃除を始めました。

 帚でちりひとつないように木の床を掃き、窓ガラスを曇りひとつないように拭き、小さなベッドを整え、暖炉のそばにはおじいさんの持っている中で一番綺麗な敷物をひきました。

 

 最後におじいさんの持っている食べ物の全部、干し肉と、少しの野菜、小麦を机の上におきました。


「旅には食べ物が必要だが、もう先も短い旅だ。それよりも、いつかここに来るかもしれない誰かは、お腹を空かしているかもしれない。食べ物を置いておこう。きっと神様もそうするようにおっしゃるから。」

 おじいさんはドアを少し開けて外へと出ました。

 おじいさんは静かに歩き出しました。空に浮かぶ美しい月と星たちがおじいさんを静かに見つめています。





 家からあまり遠く離れないうちにおじいさんはうさぎの子供に出会いました。今年の夏に生まれたまだ小さなうさぎです。


「おや、子うさぎさん。こんな真夜中にどうしたんだい。お母さんうさぎも心配しているだろうに。」

 おじいさんは近くの倒木に腰をかけて子うさぎに目線を合わせました。


 子うさぎはおじいさんの言葉に返事をせずにじっと、じっとおじいさんの目を見つめました。何秒か何分か。そうした後に子うさぎは言いました。


「わたし、おじいさんを待っていたのよ。心のうんと奥の方でおじいさんがいなくなってしまうって、そんな気分になったの。だから、わたしここで待っていたの。」


 おじいさんも子うさぎの、真っ赤なビー玉のように丸い目をしばらく見つめました。それから月を見上げて、もういちど子うさぎの目を見ました。


「神様が、子うさぎさんに最後のお別れを言うのを許して下さったのだろう。ああ、神様感謝します。」

 子うさぎは、小さな体をめいっぱいのばしておじいさんの膝のあたりに前足をのせ言いました。悲しそうな顔でした。


「おじいさん、どうしても旅にでなければいけないの。おじいさんがいないとさびしいし、恐いわ。別れというのはわたし、とても恐いのよ。」


 おじいさんは優しい顔で子うさぎの頭をなでて言いました。


「旅に終わりはないと言うけれど、それでも、今、わたしに与えられている道がもう短いんだ。その道を今戻るべきではない。今歩くべき道はもう迷う余地もないほどまっすぐで、そして短いのだよ。それならさっさと歩いてしまおうじゃないか。今までのんびり歩いてきたんだから。」


 子うさぎは何か言いたげに口をもごもごさせましたが、結局なにも言わずに、おじいさんの目をじっと見つめました。おじいさんもしばらくじっと見つめかえしました。



 どのくらいたったのかわかりませんが、遠くで狼の声を聞いたのと同時におじいさんは優しく言いました。



「最後の時に、子うさぎさんに会えてうれしかったよ。さあ、お母さんうさぎが心配している。お家におかえり。」


 子うさぎは頷きしばらく歩いてから、後ろを振り返り言いました。


「さようなら、おじいさん。わたし、おじいさんが大好きだったわ。」


 おじいさんはとても幸せそうに笑いました。おじいさんは立ち上がって子うさぎが見えなくなるまで見送りました。




 それからまたおじいさんは歩きだしました。





 もうおじいさんは歳をとてっていたので最近では、少し歩いただけで疲れてしまっていました。ですが、今日はいくら歩いても平気なようなそんな良い気分でした。


 おじいさんには目的地はありました。でも、そこに辿り着くための道を知りませんでした。


 ただ、おじいさんは知っていました。大切なのは目的地を知っているということであり、それまでの道のりはあまり重要ではないということを。そして、どんな道を歩いても、どんなにその道のりで失敗をしようとも、その人の想いが強く正しければ目的地にはかならず辿り着くのだと。

 




 月が随分高いところに上がったころ、おじいさんは立派な鹿に出会いました。凛々しい角を持った牡鹿です。


「こんにちは、おじいさん。僕の事を覚えていらっしゃいますか。」

 綺麗な瞳がおじいさんを静かに見つめます。世界の半分を写し出すような綺麗な目は確かに覚えています。


「ああ、覚えているよ。君は、二年前の春に産まれた鹿だろう。よくわたしの小屋の近くに水を飲みに来てくれた。ああ、よく覚えているよ。」


 皺だらけの手で、鹿の顔にやさしく触れました。


 鹿はおじいさんを信頼していました。しかし、鹿というのはたいそう誇り高い動物なのです。だから人を信頼してはいても人に懐くということは決してしません。しかしこの晩、その牡鹿は自分の頬に触れる手の温もりに静かに目を閉じました。


「おじいさん。あなたの道は本当に残りわずかなのですか。」

 雄鹿はそっと目を開き、おじいさんの目を見て尋ねました。おじいさんはしばらく鹿の目を見つめた後、そっと小さく口を開きました。しかし、その口から出てきたのは小さく吐いた息だけでした。


 おじいさんはまた、そっと雄鹿の顔をなでました。心地よさそうに雄鹿はまた目を閉じます。


 しばらく静かな時間が過ぎました。聞こえるのは草木の歌う声とふくろうの鳴き声だけです。


「おじいさん。鹿という生き物は、人よりも一生が短い生き物です。そう遠くない未来に僕もあなたの目的地に窺うかもしれません。」

 そこで鹿は一度言葉を切り、目を開けておじいさんを静かに見つめました。穏やかで静かなる強さを持つ瞳です。おじいさんも静かにその目を見つめました。


「あなたに、もう少しわたしたちのもとにいて欲しいと、そうは言いません。ただあなたを忘れないと、あなたの信じると言う神のもとに行ってもあなたを思うものは大勢いるとお知り下さい。」


 おじいさんは驚いたように、でも嬉しそうにそしてほんの少しさびしそうに微笑みました。お互いに静かに目を合わしています。


 穏やかな風がおじいさんと雄鹿のまわりを駆けて行きます。


「わたしには神様がいる。たとえここから離れても。きみにも神の御恵みがありますように。」

 そうおじいさんは言い静かに微笑みました。先程とは違う、まるで世界のすべてを愛したような、そんな微笑みを浮かべました。


「おじいさん、また会いましょう。」


 牡鹿はそう言うとおじいさんの返事を聞かずに背を向けて走っていきました。暗闇に消えるまでの短い時間、おじいさんは牡鹿を優しく見つめていました。



 おじいさんはまた、静かに歩き出しました。とても満ち足りた気分でした。心地よい風、綺麗な月、闇を深くするような雲。どれも、美しいものでした。





 考えてみれば随分長い時を過ごして来ました。長い時の中で、波乱万丈とは言えぬ、むしろつまらない、語るべきことなどないように思える人生でした。しかし、確かに多くの事がありました。



 優しい母。上手く同じ年頃の友達に馴染めなくとも、いつも温かいスープと微笑みを持って迎えてくれた。冷たくなった手を握り様々なおとぎ話をしてくれる。


 そう。父に連れられて行った教会も覚えている。美しいステンドグラス、美しい賛美歌。そして神様のお話。厳しい父にほめられたくて沢山の聖句を暗唱してみせた。ごつごつとした大きな手に頭をなでられたのを覚えている。


 美しい妻にも恵まれた。無口で無愛想なわたしにも笑顔をくれる、天使のような人だった。貧乏ながらも、町の端っこの小さな家で、二人で協力して生活をした。


 ああ、そして愛しの我が娘よ。きみが生まれてきた日をまるで昨日の日のように覚えています。小さな指に、目蓋に、頬に、きみの存在にキスをする。眠るきみを起こさないように、しかし抑えきれずに声を上げて笑う。わたしと妻の前で大きく美しく成長し今では立派な母親となっているだろう。


 わたしの妻よ。あなたも最後の時にわたしを思い出してくれたのだろうか。天使のようだったあなたは、早くに神の御許へと旅立っていった。もしも、お金があったら。わたしが立派に都会へ出て毎日スーツを着るような仕事をしていたら、あなたにもっと栄養のあるものを食べさせて、薬を買ってあげられたのに。それなのにあなたは最後まで言う。


「ねぇ、無理をしていない?あなたはがんばり屋さんだから、わたし心配なのよ。」


 今ならなぜあなたがそう言ったのか分かる気がするよ。こんなにも死とは自覚的で、あたりまえで、穏やかなものなのだね。


 優しいあなたは、自分の死よりも大切に思えるものが多いのだろう。


 わたしはあなたのいない世界で大勢の人に囲まれる生活ができなかった。人ごみのなかできみを探せないから。あなたはわたしになんと言うだろう優しいあなたは笑ってくれるのだろうか。


 美しい最愛のあなたよ。





 月が丁度頭の上にやってきました。

 おじいさんは休むことなく、あせることもなく、ゆっくりと足を進めていきます。

 眠りに落ちた森はひたすら静かでした。

 静かな夜は、おじいさんに様々なことを語りかけているようです。


 そこへ森の長老、ふくろうがやってきました。音を立てずに静かににおじいさんの目の高さの木の枝に降り立ちました。


「ごきげんよう、美しい夜に。今夜を旅立ちに決めた貴殿の気持ちがわしにも分かる気がする。」


 いつもどおり少し気取ったようにふくろうは言うと、くるりと首をまわしました。闇夜に光る黄色い光。月色の目を持つ長老におじいさんは少し困ったように首をかしげました。くるりと森の長老が、もう一度首を回すのを見た後でおじいさんはそっとふくろうに言いました。


「旅立ちを選んだのはわたしではなく神様だ。わたしはその御心に従っただけなのだよ。」

 その声は若々しく力強く、確信に満ちていました。そして暗闇の中、月の光に照らされるその顔は美しいものでした。


 ふくろうはつまらなそうに嘴をならしました。

 ふくろうというのは神様を信じない生き物です。神様ではなく自分を信じ、仲間を信じる生き物です。おじいさんもそれを知っていました。


 しかしおじいさんは神様を信じています。心の底から神様がいると知っています。だから何度も何度もおじいさんとふくろうで神様はいるかどうかを、討論をしてきました。しかし長老は言葉が上手く、おじいさんは言葉が下手だったので勝負は目に見えていました。


 それでもおじいさんにとってもふくろうにとってもそんな小さな討論会は、楽しいものでした。


 ふくろうは、おじいさんを言い負かすのにそれでも毎回つまらなそうに嘴をならします。


 お互いを良くわかっていたので、おじいさんは知っていました。あの鋭い嘴で神などいないと語るけれど、ほんの少しおじいさんの信じる神様を長老も信じてくれているのだということを。


「なんと言うかわからんが、貴殿風に言うならば神の恵みが多からんことを、じゃな。」

 おじいさんはふくろうの口から聞かされる「神」という言葉に驚かされながらもうれしそうに笑いました。ふくろうは少し照れたようにくるりと首を回します。


「あなたにも、これから先この森の長老として立派な働きをなさいますように。」

 おじいさんはふくろうを真似して気取って言いました。


 ふくろうはまるい月色の瞳でおじいさんをみつめました。静かに、静かに見つめました。おじいさんもじっとふくろうの美しい瞳を見つめます。じっと見つめあいます。


 ふくろうが深く威厳をこめて鳴きました。おじいさんが静かに頭をさげました。       


 後ろを向いて羽を広げたらもう姿は見えません。来たときと同じようにあっというまに夜の空へと吸い込まれて行きました。





 おじいさんは残り少なくなった道を歩きました。静かに、静かに、歩いてゆきます。


 もう月が頭を超えておじいさんの背の方向に行った頃でしょうか。おじいさんは森の中心にある湖にたどり着きました。綺麗な湖です。すべてを映し出す鏡のようです。


 おじいさんは静かに湖の前まで行きました。湖面は波も立たずにおじいさんを映し出しています。おじいさんは静かに立ち止まりました。


「良く今日までがんばってくれました。」


 おじいさんは風にしか聞こえないような小さな声でそう自分に言いました。


 今夜の短く長い夜。今晩だけで多くの人に出会いました。

 沢山のことがありました。

 沢山の人に出会いました。


 思い出してみると、おじいさんの人生は決してすばらしいものではなかったかもしれません。地位も名声もなく、多くの人に慕われていたわけでもありません。


 しかし、今確かにわかること。それは、おじいさんは確かに愛されていた、ということです。そして確かにおじいさんは両親を、妻を、娘を、出会ってきた人々を、出会ってきた動物たちを愛してきました。



 湖面には森の木々や美しい月や星がごまかされることなく映して出されています。そして、おじいさんの今までの歩いてきた道のりが映し出されています。


 決して平坦な道のりではありませんでした。時には上り坂を、時には暗闇を、時には嵐の中を歩いてきました。楽しい道ばかりではなく、苦しい道もありました。しかし、今考えると、いつでも空は青かったのです。上を向けば美しい空がいつもありました。


 おじいさんは湖面の上の自分のそっくりさんを見つめました。静かに、静かに見つめました。


 昔のようなたくましい体も、強い瞳もありません。しかし、そこには穏やかに笑う一人の老人がいました。

「お疲れ様。良くがんばったと、わたしは思うよ。」

 その言葉は、そっと静かに誰にも届くことなく風がさらっていきました。





 それからずいぶん時間が経ち、朝がきました。

 美しい朝です。雲が綺麗に青を飾り、鳥たちは空の中をすいすいと泳いでゆきます。

 小さな木の家の、古いベッドの上でおじいさんは静かに目を閉じていました。

 穏やかな風が部屋の中に入ってきます。

 美しい朝。しかし、どこか物悲しく、喜ばしい朝のことです。

 おじいさんは長い旅を終え、目的の地へと辿り着きました。

 

そして、おじいさんは神様のもとでまた、旅を始めるのです



わたしの大好きなおじいちゃんの思い出です。

つたない文章です。ですががんばって書きました。

悲しい、泣ける物語にしたくなかったのですが、いかがでしょう?

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