第5話 巨躯
硝煙の残り香と血の気配が漂うキャンプ地へと、シロウと少女は足を運んでいた。戦いの爪痕が色濃く刻まれた周辺は、咽せ返るような惨状が広がっている。
焚き火の残り火がいまだ燃えており、少女の表情には疲れの色が浮かんでいた。すると突然、歩みを止めたシロウは違和感に目を細めた。警戒して周囲を見渡す。
「これはこれは……良いバイクだな。値を聞こうじゃないか?」
樹木の立ち並ぶ奥底で、一つの影が不意に動いた。
その影は次第に立ちはだかるように大柄な輪郭を徐々に浮き彫りにしていく。薄暗い闇から覗く眼光は獣のような残虐性を秘めている。
185cmほどの長身であるシロウですら見上げるほどの深い影は、圧倒的な対格差をひと際に感じさせる。
その分厚い背中には、二本の鋭くも鈍い光を帯びた得物が背負われていた。
「触るな。そのバイクは非売品なんだ」
シロウが軽口を吐き捨て、大男を睨みつけた。
大男は口元を吊り上げるように微笑を浮かべたが、その眼差しは冷徹さが滲み出ている。
「留守中に好き勝手やってくれたようだな」
大男は険しい視線を浴びせるように低い声で唸った。
少女は大男の圧倒的な殺気に身じろぎするが、シロウは真っ向から微動だにしない。
「お前が留守の間に少し掃除をしていただけさ。礼はいらねぇ」
シロウは飄々とした口調で答えた。その言葉に大男の殺気は跳ね上がる。しかし、少女を一瞥すると興味深そうに口を開く。
「……このガキの価値を知って、ここに来たのか?」
「趣味の偽善ボランティアをしている最中に拾ったんだ。最近はゴミとも区別がつかねぇクズが多いもんでな」
わざとらしく肩を竦めた様子でシロウは返答する。
その途端──我慢の限界に達した大男は荒い息を吐き出し、分厚い背中から二本の得物を両腕で勢いよく振るい落とす。
右腕には大槌、左腕にはマチェットが荒れた地表を叩き割り、土砂が舞う。寸前、シロウは少女を抱えて飛び避けた。
「チッ! ……まぁいい。狙撃手の援護射撃には期待をするなよ? 俺の可愛がっている猟犬のデスハウンドが、今頃は仲良く夕飯を済ませているからな」
「それなら今晩は犬肉だな。多少腐敗していても酒と一緒に煮込むと臭みが薄れるってな」
舌戦を終わらせたのは雄叫びを上げた大男だった。
膂力の勢いで腕を鞭のように薙ぎ払うと、大槌が弧を描くように突き抜ける。風を強引に掻き分けるような突風が巻き起こり、直撃すれば紛れもない死が迫り来ていた。
しかし、シロウは冷静に直前で大男の殺気の籠った一撃を見極め、回避行動をとりつつも、少女を押し退けて後方に下がらせる。
突然の出来事で森の湿った土に少女は尻もちをつく。反射的に視線を見上げた頃には、大男の追撃が始まっていた。
マチェットの刃先が残光を引き、風切り音とともに横切る。シロウの鼻先を掠めるほどの際どい一振りを、顎を引きながら傾くことで避けた。
左腕でロングコートの隙間から覗かせたリボルバーを引き抜くと、シロウは躊躇なく二発の弾丸を放つ。.44口径の反動が腕を駆け抜け、手首と前腕を揺さぶる。
しかし、至近距離で腹部に二発とも被弾した大男は、不敵な笑みを浮かべたまま立っていた。その眼差しには余裕の色が浮かび上がっている。
「大金をつぎ込んだ防弾ベストだ。.44口径くらいなら何発でも防げる」
大男は自身の上着をマチェットの刃先で切り裂いて見せると、巨体に合った大きな防弾ベストが露わになる。
要塞のような頑強な体格は、重厚さを威圧感として滾らせていた。
シロウは鞘からナイフを構えると、研ぎ澄まされた白刃が殺意を帯びている。大槌やマチェットのような巨大な武器ではないが、その小さな刃は俊敏性と正確さを強調していた。
再び大槌が圧し潰すように振り下ろされた時には、既に機敏な身のこなしで避けると同時に、ナイフの刃を低く構えて一閃。マチェットの軌道を見極め、逆手に柄を握ったナイフから神経を削ぐような一撃を繰り出す。
鈍重な大槌とは対照的にナイフは素早い。両者の殺意が滲む得物が、月影の下で交差する度に火花が散る。
冷徹な闘志と滾る殺意がぶつかり合い、互いに一歩も譲らない。
「お前を粉々に砕いて、その後に細かく切り刻んで犬の餌にしてやる!」
「砕いたり、切ったりで、どうやら料理には力を入れるタイプみたいだな!」
真っ向から見据えるシロウの瞳は、一切畏怖に染まらなかった。大男の脅しや怒号が全くの効果を得ないことを悟らせる。
激しい攻防が続いていた。シロウは疾風の如く的確に動き、大男の大槌やマチェットの猛攻を何度も躱し、ナイフでいなして切り裂くような刃筋を繰り出して手数は勝っている。
しかし、大男の規格外な膂力も並外れたものだった。猛打は極めて重い。一振りで命を磨り潰すには十分すぎる力を秘め、一瞬でも隙を見せれば命取りになる。
両者の戦いはまるで完璧に均衡が取れたように膠着していた。
大槌が苛烈に地表ごと叩き割り、マチェットの空気を切り裂く音が森にさざめく。
視界に広がる死の連撃に対して、シロウは堪えている。大男の動きに合わせて狭い隙間を見逃さず、致命打を狙っていた。
──そして、その瞬間が訪れた。
大男が粗暴な勢いでマチェットを振りかざした刹那、予測したように一歩踏み込む。即応的に傾けた刃筋が大男の手首を穿つ。
一瞬の隙を突いたその動きは、まるで流れるように滑らかだった。
冷たい片刃の閃きが、マチェットを握る手首に深く食い込み、鮮血が勢いよく飛散する。
「クソッ……!」
短く苦悶の声を漏らすと、大男は手首を押さえた。
マチェットは滑り落ち、地面に深々と突き刺さる。それは、攻防が崩れた瞬間だった。
この機を逃すまい。シロウは攻勢に出ようとさらに一歩踏み込んだ。しかし、大男の目に宿っていたのは激情だけではない。血を啜るような損得勘定だった。
この隙こそ、自分が反撃に転じるための機会だと見極めていた。
風を抉るような刺突をシロウが加えようとした矢先、大男は急所を遮るように突き出した掌を自ら、ナイフの刃に食い込ませた。
ナイフの柄を握るシロウの拳を丸ごと覆うように巨大な手で握り込み、拘束したようにシロウを捕まえる。
「趣味の偽善ボランティアも、これで最後みたいだな……」
無慈悲な笑みを浮かべると、低い声で言い放った。そして、獲物の首筋に喰らい付く獣の形相が露わになる。
大男は咆哮しながら、恐ろしく太い腕に力を込める。膂力で破裂しそうな程に膨張し、前腕からは青白く脈打つ血管が、はち切れそうなほどの勢いで滾る。
血液が地面に滴るのも全く意に介さない様子で、シロウを力任せに──振り回し始めた。
まるで人形のように軽々と扱われ、シロウの体が宙を舞う。
次の瞬間、勢いをつけて地面に荒く叩き付けた。大地が砕け、土砂が弾け飛ぶ。シロウは握っていたリボルバーを落とし、激しい痛みが全身を駆け巡る。目まぐるしく揺れる視界を固く閉じて必死に堪えた。
「もう一発だ!」
大男は雄叫びを上げてシロウを再び持ち上げる。次は連続で繰り返し地面に叩き付けた。遠心力と規格外の怪力が放つ猛打は、荒れた地面に深い痕跡を刻む。
シロウの体はその度に硬い地表に叩きつけられ、衝撃で息が詰まりそうになる。周囲の岩や瓦礫が、地面を伝う振動で音を立てて崩れていく。
しかし、大男の繰り出す猛攻は突然の発砲音で動きを止めることになる。
それは大男の頭部に照準を定めた一発の弾丸だった。頬を掠めて横切った一撃。発砲音とは似つかわしくない程に華奢な声が響いた。
「そ、その人を放してください……!」
少女はシロウが振り回される際、落としたリボルバーを拾っていた。その震えた両手で握り締めている。双眸には小さな闘志が宿っていた。
形相を激昂で染める大男は、血走った眼光で少女を睨み込んだ。握り締めている大槌の柄が歪むほどの握力は、もはや少女を生け捕りにする気はない。
「……その目は、ここでは命取りと言っただろうぉぉがぁぁ!!」
張り裂けるほどの怒号が夜の森で唸りを上げた。
大男は眼下に映る少女を強引に掴み取ろうとした矢先──脇腹から、尋常じゃない痛みが突き刺さった。
「……落とし物だ……返すぜ」
大男の形相が一気に苦痛に歪む。なぜなら、マチェットの刃が深々と防弾ベストの隙間を縫うように脇腹を抉り、血液が勢いよく溢れ出していた。
驚愕の表情に染まりながらシロウを見下ろす視線は、初めて恐怖が宿っている。一歩、無意識に後退をしていた。その足元に大量の血が滴り落ちている。
「どうやら根競べは俺の方が一枚上手みたいだな。そろそろ相棒が夕飯の準備を済ませたみたいだ。悪いが、お暇させて頂くぜ……」
傷だらけの体を無理やりに奮い立たせ、反撃の機会を逃さなかったのはシロウも同じだった。軽口を吐き捨てる声音は擦れている。
「お前だけでも殺してやッ──」
最後の足掻きとばかりにシロウの首筋に掴み掛ろうとした寸前、葉の揺れを掻き分けて、“パスン”夜の闇から放たれた一発の銃弾が、大男の頭蓋を貫いて粉砕した。
赤黒い血液とともに脳みその破片が宙を舞い、死神のように命を刈り取る。
一拍置いて、首を無くした巨体は大きな振動と砂煙を巻き起こす。そして、真っ赤に染み込んだ地面へと深く沈んだ。
シロウは狙撃方向の樹木の立ち並ぶ深い森林へと、親指を突き出してグッドサインを大きく左腕で上げると、深いため息とともに脱力して倒れ込んだ。




