第3話 黒いロングコートの男
夜は深い闇を濃くして、暗い森の中に静かな光を差し込む。風が木々の間をさざめき、微かな葉擦れの音が響く。
男たちは簡易的なキャンプを張り、一日の終わりに焚火を囲んで休息していた。
少女はトラックの隅に繋がれたまま、辺りの様子をじっと観察していた。手首には鎖が巻き付いている。
男たちは各々の武器を手元に置いて警戒を怠らずに過ごしていたが、火の暖かさが彼らの警戒心を、少しずつ溶かして和らげていく。
──突如、静寂を引き裂くエンジン音が轟轟しい唸りを上げた。
鼓膜を叩く騒音を轟かせ、森林を踏み倒すように迫り来る。鳴り響く振動は距離を縮めていた。
重低音が大地を揺るがし、強張った男たちの視線は戸惑いと緊張で震えていた。
「なんだ?!」
男の一人が張り詰めた緊張で叫んだ。休息していた者たちは、一斉に立ち上がって周囲を見渡す。
森林の暗所に光が駆け抜けた。劈くようなエンジン音が一帯に響き渡り、その存在を断続的な光に輪郭だけが浮かび上がる。
木々の狭間から眩い閃光を浴びせ、荒野を駆け抜けてきた一台のバイク。──それは、アメリカンバイクだった。
「バ、バイクだと?!」
鉄馬の如く疾風を掻き分けて猛進する勢いに、男たちの形相は驚愕と混乱に染まった。咄嗟に体は直進してくる物体に怯んで飛び退いた。
しかし、いつまでも鳴り響く騒音は男たちを襲って来ない。額から滴る汗を衣服で拭うと、次第に冷静さを取り戻して状況を把握した。
「こ、このバイク、縄で固定されていて、これ以上は進まないぞ。……誰も乗っていない?」
焚火の最奥で、警戒の色を深めていた男の一人が声を荒げる。
「馬鹿野郎! バイクは餌だ! 付近に潜んでいるぞ! 辺りを探がッ──」
その瞬間、地面を踏み締め、跳躍する影が弾けるように駆け抜けた。
俊敏に忍び寄り、声を荒げた男の喉元へ──鋭いナイフを一閃。片刃の残光が通り過ぎる。
突然、言葉を遮られた男は、喉下から溢れる自身の血に驚愕したまま硬直して倒れ込む。
ならず者たちの視線が一か所に注がれていた。倒れた男の背後に潜む黒い影。漆黒のロングコートを羽織り、暗闇から覗かせた姿が少しずつ露わになる。
傷んだコートは荒廃した世界を物語るかのように所々破れ、縫い合わせた跡や裂け目が目立つ。風に煽られるたびに裾がはためき、その男の歩みとともに砂埃が舞い上がる。
逆手持ちにナイフを構え、影を縫うように機敏な足捌きを捉えれる者はここにはいない。一瞬でならず者の眼前にまで距離を縮めた一撃は、瞬きをする間も与えずに男の眼球を裂いて頭部を貫いた。
慌てて銃器を構える複数のならず者の一人を、突風のように心臓と喉を的確に突き刺すと、男の握っていたリボルバーを強引に奪い取る。
冷ややかな眼差しで手近のならず者に対して三発の銃声が爆ぜ、同時に激しいノズルフラッシュが辺りに飛び散る。
銃口が咆哮を上げた夜の闇は、一瞬だけ真昼のように照らされた。
弾けた弾丸が男を抉り、右膝、腹部、そして狼狽した顔面に刻まれた眉間を撃ち抜く。
「クソッタレが! こいつに鉛玉を浴びせてやるぞ!!」
狂乱を孕んだ声音で叫ぶならず者たちは、碌に照準も定めずに一斉に銃声を夜の森一帯に騒がせる。何発もの銃弾が放たれ、瞬く間に辺りを火花が散った。
弾丸が風に靡くロングコートの裾に真新しい穴を空け、裂くように土砂を撒き散らす。ロングコートがひらりと翻り、影のように瞬時に遮蔽物へと滑るように射線上を回避する。
弾丸の集中砲火は、心臓を一突きされたならず者の一帯を派手に吹き飛ばし、死体を穴だらけにして血霧を辺りに漂わせた。
「くそっ、当たらねぇ!」
銃声が鳴り響く中、ならず者たちは必死に襲撃者を追い詰めようと銃器を乱射していたが、その顔色には焦りが混じり始めていく。
視界は真夜中で捉えづらく、動きは俊敏で弾が当たる気配すらない。ならず者たちの形相に険しさが増したその時、遠方から微かな“パスン”という音が夜の静寂を切り裂いた。
次の瞬間、前方にいたならず者の頭部が突如真っ赤に飛散した。
狙い澄ました一発が頭蓋を正確に貫き、脳が爆発したかのように飛び散る。頭部を失った体は呆然と地面に崩れ落ちた。
あまりの突然の出来事に、周囲のならず者たちは思考を止めて動けない。
「狙撃手だ!」
誰かが叫んだ。だが遅すぎる。続けざまに再度“パスン”風を切る音が響き、別のならず者の頭を吹き飛ばす。
目は力強く見開かれたまま、何が起こったのか理解できずにそのまま勢いよく倒れ込む。後頭部の一部は砕け、脳の断片が地面に散らばる。
「何なんだよ!? 助けてくれ!」
最後の一人になったならず者は恐慌に陥り、狙撃手の姿を血眼で探そうと、必死の形相で辺りを見回す。しかし、それは徒労に終わる。
暗黒のような深い森の中に潜む狙撃手の位置を、突き止めることは不可能だからだ。
「こんなことなら! あの馬鹿と一緒にガキを抱いておきゃあよかった!」
男は身震いする体を窮屈そうに屈むと、いまだ不規則な重低音が鳴り続けるアメリカンバイクを恨めし気に睨んでいた。すると、不意に近くから声が聞こえる。
「良いバイクだろう? 荒野仕様に改造している。荒れた路面には純正のタイヤじゃ厳しいからな。もっとも、この世界でいろんな物が純正なんて、なかなか手に入らねぇがな」
黒いロングコートを羽織った男は、屈み込んで震えている男に話しかけた。軽快な足取りでバイクまで足を運び、丁寧にエンジンを切る。そしてタイヤを軽く指で触れる。
リアタイヤは太く頑丈で、荒野を駆け抜けるために完璧な改造を施されている。
「見ろよ。このタイヤ、最近交換したんだ。値は張るが久々に良い買い物ができた」
焚火の炎が揺らめく中、男はゆっくりと腕を伸ばした。そこにはベルトに備え付けられた革の鞘が、風に揺れるロングコートの隙間から、ちらりと覗いている。
擦れた音を立てて、ナイフはゆっくりと引き抜かれていく。鞘と刃が緊迫した空気の中で鮮明に際立つ。
月明かりが片刃に反射して鋭く冷たい光を帯び、磨き上げられたその刃はどんな障害も切り裂くことを示していた。
「最後に何か言いたいことはあるか?」
「頼む! たすけッ──」
刹那、屈んでいる男が何か命乞いを行うよりも一層に早く、頭部に深々と刃の根元まで埋まる方が速かった。
「おっと、相棒を待たせているんだった。すまねぇな。省略させてもらうぜ」
白目を剥きながら仰向けで倒れた男から、ナイフを引き抜くと力任せに振り払う。空中で赤い筋を描きながら地面に血液は飛散する。
死体の衣服で粗暴にナイフの刃を一度拭き取ると、指先で柄を回して鞘の中に収めた。
辺りは火薬と血の臭いを染み込ませている。慣れた動きで慎重に周辺を警戒して探索をしていると、吹き抜ける冷たい風に紛れて小さな悲鳴が聞こえた。
「……こんな場所に似つかわしくない声だな」
コートを羽織る男は夜の森で静かに呟いた。
か細い悲鳴はトラックの方向から漏れ出ていた。恐怖と不安が混じったその声音は薄闇の先で、微かに動く気配や衣擦れの音を鳴らしている。
男はゆっくりとナイフの柄を握り締めると、足音を鳴らさずにトラックの後部を覗き込む。そこには、荷台の隅に鎖で繋がれている銀髪の少女が蹲っていた。




