第2話 森に集う獣たち
トラックが突然、大きな音を立てて止まった。
エンジンが振動を止め、静寂が辺りを包み込む。少女は鎖に繋がれたまま急に訪れた静けさに緊張が走った。頭の中は相変わらず真っ白で、何が起こっているのかまるで理解できない。
次の瞬間、無造作にトラックの後部扉がガラガラと開かれる。月明かりが差し込み、少女は目を細めた。逆光の中、男たちの影が浮かび上がる。
まるで暗闇が月の光を裂いて現れたかのように、粗暴な笑い声と足音が響く。
森の中から聞こえる葉擦れの音、夜風に混じる動物の遠吠えが少女の不安をさらに掻き立てた。どこか冷たく不気味な空気が漂い、木々が揺れては影が長く伸びている。
本能的に身を竦めたが、すぐに無骨な手が少女の華奢な細い腕を掴み取った。
力強く引き寄せられ、手首に巻きつけられた鎖が外される。その解放感を味わう間もなく、少女はトラックの荷台から、無理やり地面へと引きずり降ろされた。
足元の地面は森の湿った土が広がっていた。冷たい感触が足先から伝わり、樹木の葉を抜ける淡い月明かりが差し込む中で、ふらついた体を無理に立たされる。
視線を上げると、古びたトラックの周りに数人の男たちが立ち並び、何かを話し合っていた。
男たちの粗野で無骨な顔が視野に入る。彼らは粗末な服装に身を包み、武器を腰にぶら下げている。肌には砂と汗がこびり付き、鋭い目つきで少女を見下ろしていた。
体の震えを抑えきれない。冷たい鎖の代わりに、今度は周囲の男たちの視線が少女を縛り付けるような錯覚を起こす。
「このガキ、囲まないか? 雇い主には狼にでも襲われたってことで辻褄を合わせてよ」
粗野な男の低い声が聞こえた。その声に反応を示した別の男が返事を吐き捨てる。
「馬鹿言え、こいつはまだ若い。傷無しなら需要はある。値を吊り上げることもできるだろうが」
少女は彼らの会話の内容を、はっきりと聞き取ることはできなかったが、その雰囲気で、何か悪いことが起きようとしていることは察知した。
男たちは少女の周りを取り囲むように立ち並び、怪しげな表情で何かを話し合っていた。その言葉の断片が風に乗って耳元に届く。
「金が足りねぇんだよ! 少しくらい遊ばせてくれ!」
唾を撒き散らして怒号を飛ばす男の息遣いは荒く、対照的に反対をした男の視線は、少女を商品として冷酷に見据えている。
「万が一、傷物のせいで客に売れなかったらどうする。売り物にならなきゃただの荷物だ!」
彼らの言葉は少女に向けられたものではない。しかし、その内容は明らかに少女の行く末を左右する問答だった。
少女の胸は恐怖と混乱で締め付けられる。目の前の悲惨な現実は容赦なく少女に迫っていた。彼らは少女を『商品』として見ている。それだけは、はっきりと理解できた。
男たちの怒声は次第に高まり、金額を巡って言い争いをしている。彼らの手は粗雑で話す言葉にも残酷さを帯びていた。
少女は一歩、また一歩と後退りしようとしたが、その場から逃げ果せることは許されない。男の一人が少女の腕を掴み、強引に立たせた。
その時、光の届かない深い闇から、獣じみた声が地を這うように唸った。
「……こいつをどうするかは俺が決める。雇い主はこのガキを大変好んでいるようだ。まさに需要と供給だな」
男たちの言い争いが激しさを増していた最中、その声が辺りを一瞬にして静寂に塗り替える。重く響く足音が沈黙を踏み締め、少女を取り囲んでいた男たちが一斉に目を向ける。
その足音の主が現れると空気が凍った。青白い光が辺りを漂う中から、ひと際に大きな影が現れ、長い髪が風に揺れる。影が近付くにつれて、男の形相を浮かび上がらせた。
大男は他の男たちとは一線を画す存在感を放っていた。肩まで伸びた長髪は乱れ、過酷な荒野の風に晒され続けていた皮膚は歳月を刻んでいる。
頬を覆う濃い荒髭が鋭い表情を際立たせ、まるで獲物を狙う猛禽類のような眼光だった。
周囲の男たちは視線を伏せると、畏怖で震えた口元を押し殺すように硬く閉ざした。
「どうした。揉めてるようだな」
男の声は、誰も逆らうことができない重みが含まれ、ゆっくりと歩み寄る。そして少女を見下ろした。
鋭い目が少女の全身を非情に観察する。彼の存在はただ立っているだけで周囲に緊張感をもたらし、少女の胸にも息苦しい恐怖が押し寄せた。
「あの馬鹿が、このガキは価値が無いから囲まないかって言ってたんだ!」
一人の男が指差しながら声を張った。指摘された男は、瞬く間に冷汗を背中に濡らして狼狽すると、少女に血走った視線を浴びせて、緊張で歪んだ口元で叫ぶ。
「どうせ売るなら、少し遊んでみてもいいじゃねぇか! ガキでも多少は楽しめるだろ!?」
引き攣った笑みを張り付けた男は周囲の者に問いかけるが、その質問は既に答えを求めているものではなく、ただの強要のようだった。
血走った目は少女から離れない。まるで空腹に餓えた肉食獣が、新鮮な餌の前で涎を垂らして堪えているような、いつ理性が弾けてもおかしくない、欲望に染まった凶眼である。
「……無駄な時間をかけるな。使い道はある。手元に置いておく価値は十分にあるだろう」
大男の言葉に、周囲の者たちは沈黙を守りながら小さく頷いた。誰もこの男に逆らおうとはしない。彼がこの一団の“ボス”であることは明白だった。
彼の指示一つで少女の運命が決まる。そして、その指示に従うことが絶対的なルールのように感じられた。
男達のボスはゆっくり歩み寄ると、少女を凝視していた粗暴な男の前に立った。そして肩に手を置く。傷だらけの指の太い掌が、男の肩に食い込むように重く圧し掛かる。
深い沈黙と暗闇に囲まれた自然の中で、月光に照らされた影が不気味に踊り、息を呑み込む音が鳴るほどの静けさが広がっていた。
「ボス……すみません……俺が、悪かったです」
沈黙に耐えきれず、肩を震わせた男の擦れるような声音が漏れ出た。男の背中はより一層に恐怖で染まっていく。
「謝るな……目を合わせるんだ」
怯えた男は徐々に視線をボスへと移す。次第に視線は上を向き、頭上を見上げた。その身長は2mを優に超えている。
額に伝う汗を拭う事もできず、立ち尽くす男を丸ごと飲み込んで覆ってしまうほど深く伸びた影は、頭上を見上げた男の「ひっ!」と小さな悲鳴を漏らして視線が重なった。
ボスの眼光は少女を凝視していた凶眼の男自身よりも一層に険しく、狂気に満ちている。
刹那、ボスは無駄のない動作で、何の前触れもなく男の頭を強く掴んだ。
大きな手が男の頭部を鷲掴みにして力強い握力で締め上げる。男は突然の痛みに悲鳴を上げた。
しかし、その叫び声さえも喉元で押さえ込まれ、太い指が一層に顔面を深く突き刺していく。容赦なく骨が軋む音が、薄暗い森の中に不気味に響き始めた。
「俺の許可なしで、勝手な行動を取るやつは──」
その言葉に合わせて、締め付ける握力が一層に強まる。男の目は恐怖で見開かれた。必死に腕を掴んで抵抗しようとするが、まるで子供の対格差のように無力。
周囲にいる者たちは誰一人として助けない。彼らの顔にも恐怖の色が浮かび、体は硬直している。視界に映る惨事が、現実だとは思えないほど冷酷だった。
「……こうなる」
その瞬間、ボスの掌がひと際に強く握り締める音が響く。続けて、鈍い音とともに男の頭部が一瞬にして弾けて潰される。
血と脳漿が月明かりに照らされ、無惨にも飛び散る。男の体は力なく地面に崩れ落ちた。
残ったのは掌に握られている頭部の一部と、その周囲に広がる無情な沈黙だけだった。
他の男たちは誰一人として声を出すことができず、その場に立ち尽くした。ボスは冷静に付着した血を払い除け、視線を周囲の者たちに移す。
苛酷を帯びた眼光は鋭く、全員に対して無言の圧力を与えている。言葉は不要だった。今、彼が何を言おうとしているのか、誰もが深く理解していた。
「二度と、勝手なことはするな。……まぁ、これで一人減って取り分は増えたんだ。異論はないな? この馬鹿を片付けておけ」
その命令で全てを支配した。誰も逆らえない。圧倒的な暴力と冷酷さに触れた時点で、周囲の者たちの心には深い恐怖が刻み込まれる。
ボスは少女の方に歩み寄り、その小さな顔をじっと覗き込む。掌がゆっくりと伸び、少女の頭のすぐそばで止まる。その動作に呼吸は乱れ、体は微動だにできない。
「……目が死んでないな。覚えておけ。ここではその目が命取りになるぞ」
そう言い残すと、再び周囲を見渡して無言の命令を下したようだった。
男たちは一斉に動き出すと、再び少女を連れて支度を始める。夜光を浴びるその大柄な背中は、荒廃した世界に染まりきった残虐さが色濃く、威圧感となって漂っていた。




