第19話 街の灯
壁内は街の喧騒が広がっていた。
スクラップや鉄板などを何重にも組み合わせた分厚い壁は、一つ隔てた外界の荒く険しい世界とは異なり、活気と賑やかさが満ち溢れている。
ナナは新鮮な光景に目を見開いて呆気に取られていた。
出入口付近では旅人を歓迎するように、様々な色合いの布切れやタープを張り、雑多に積み上げられた品々を、商人が声を張り上げて客人を出迎えている。
「水だ! 汚染度の低い水がここにはあるぞ! 銅貨3枚! 弾薬での取引も応じよう!」
「銅貨1枚だ! パイプピストルが欲しい奴はワシのところへ来い。安くて修理も簡単だ!」
「極上の汚染肉はどうだい! 今なら放射能除去剤もセットで付けておくよ! そこの奥さん! 奮発して家族団らんで如何かな!」
丈夫そうな鉄骨を組み合わせて作られた大型テントで取引に勤しむ商人、コンテナを数台積み上げて建造した巨大な店舗も存在した。
子供たちが土汚れも気にせずに走り回り、店を象徴する旗が多種多様な模様で描かれている。静寂とは無縁の騒がしさに、ナナの視線は目まぐるしく動き回っていた。
壁に覆われた小さな文明は共存し合い、利害関係を築いて繁栄していた。
「相変わらず騒がしいわね」
レッドは大通りの両隣に構える店舗を横目に進む。
シロウたち一同は、旅の疲れを癒すため宿屋へと辿り着き、バイクに積んだ大容量の荷物等を背負い込む。街の中心部に位置する組合支部は、そこまで遠くはない。
夕焼けは茜色に輝き始め、辺りに深い影が覆い始める。
建物の看板は鮮やかなネオンサインの魅了する光彩で、街を別の顔に変えていた。
「日が沈んできたから別行動しましょうか」
レッドはそう言うと、シロウに硬貨を握らせる。
「先に宿を借りてご飯食べてて、あたしは依頼報酬を受け取ってから向かうわ」
「あぁ、宿屋で待ってるぞ」
星の煌めきとは異なるネオンの彩りに、ナナは好奇心を抱きながら、シロウと共に宿屋の暖かみある室内に向かった。
レッドホルン街で冒険者稼業を営む人間にとって、安全を提供してくれる宿は一握り程しかない。
歓楽街は昼と夜では役割が異なり、昼は依頼の集いで酒を囲みながらすり合わせを行い、食事に立ち寄る場であった。
しかし、日が沈み陰りが街を覆えば、街灯や店頭のネオンが街を鮮やかに彩る。傭兵に護衛された娼婦が立ち並び、淫靡な誘いで依頼終わりの懐を蓄えた冒険者に色を売る。
混沌とした街に静寂は訪れず、死がありふれた世界に確かな生が存在した。
「彼女と別れてロリコンになったのか」
数少ない組合支部が直営する凛とした佇まいの宿屋で、シロウはそう罵られた。
漆塗りを施された木製のロビーカウンター越しには、武装した熟練の中年が怪訝な面持ちでシロウとナナを見比べている。
絵面は粗野な男と、その男のコート裾を掴む幼気な少女だ。奇抜だ。訳アリの逃避行を思わせた。
「マスター。何度も言うが彼女じゃねぇぞ。あと別れてねぇよ」
「ロリコンは訂正しないってことはそっちは本当か」
「俺はロリコンじゃねぇよ! こいつは依頼先で拾ったんだ」
「拾って何に使う気なんだ。ロリコンめ」
「何にも使う気はねぇよ! 変態ジジイめ!」
「彼女に告げ口するぞ。クソガキ」
「……今日はもう疲れてんだ。宿を三人一室で一晩泊めてくれ」
シロウは余計な誤解を解くのを諦めて、カウンターにレッドから渡された硬貨の一部を、ポケットから漁ると銀貨三枚を粗暴に置いた。
銀貨を見つめながらマスターは“騒音は他のお客様のご迷惑になります”と書かれたプレートを親指で指差すと、「今日は飯を食うのか」と尋ねた。
「飯と酒、それと適当にジュースを頼む」
シロウはそう返すと、ナナと共にカウンター先の、一階全体を広々と使った食堂に向かう。
飲食を提供する一階と宿泊を提供する二階が統合された二階建ての宿屋『レーヴタール』はこの近辺では治安が良く、冒険者を引退したマスターとスタッフたちが切り盛りする。
ノスタルジーな雰囲気と、木製の台座に設置されたレコードプレーヤーのホーンは、花のつぼみのように広がった鈍い金色の輝きが、古びた家具の中でもひときわ目を引く。
回転するレコードが擦れる音とともに部屋全体を暖かく響き渡り、複数人の依頼を終えた冒険者たちが、疲れを癒すように席に腰を深く沈めていた。
この場は、シロウとレッドが冒険者稼業で生計を立てるうえで、街に滞在する間の主な活動拠点でもあった。
馴染みある店内の一角、年季の入ったソファーにシロウは腰を下ろすと、向かいのソファーにナナも座るように促した。
「この宿なら安全だからそう緊張するな」
シロウは初めて訪れる街の喧騒や大勢の人々に、慣れないナナの憔悴した表情を気遣った。
テーブルに煙草の紙箱とオイルライターを置くと、一本の煙草を咥え、オイルライターの蓋をカチンと開けて燈す。
肺に吸収される苦みを味わい、シロウは柔いだ表情で笑う。
「それにこの宿は組合と繋がっていて、ランクが低い冒険者と旅人は立ち寄れない。晩飯中に銃を抜く馬鹿も少ないはずだ」
「ありがとうございます。凄く賑やかで、びっくりしただけで大丈夫です」
ナナは街を訪れて時間が過ぎてゆく中で、シロウたちとの別れについて考えると、心が沈んでいた。
二人とも親身になって協力してくれるが、それは街までの話だ。レッドが戻り、組合に報告された内容次第では、ナナの身は組合に保護されるだろう。
表情が陰り、消極的な気分から抜け出せないナナを、シロウは安心させようと説明する。
「外の世界より遥かに安全だ。危険な依頼で日銭を稼ぐ日々を送らないし、空腹で苦しんで夜は眠れない、なんてことはない」
そう語り、自身の経験を伝える。
「そう……ですね。わたしもシロウさんやレッドさんみたいに、戦えればもっとお役に立てるんですが……」
冴えない声音で返事をするナナを、咥えたタバコの煙に巻き込まないようにシロウは天井に息を吹き上げる。シロウは言葉を探したが、口には出せなかった。
──その時、テーブル前に訪れた人物が話しかけた。
「辛気臭いが、もう別れ話か?」
マスターがトレーに乗せた料理の品々を運びに来ていた。
「嬢ちゃん。元気がない時は上手い飯を食って、腹を満たすところから始めるといい」
マスターはテーブルに幾つかの、料理が盛り付けられた品を置くと得意げに笑った。
「本日のおすすめメニューの『マッスルブルの骨付き肉のソテー』と『ムーンボアの腸詰め』『バルクマッシュルームと特製チーズのホイル焼き』だ。味と品質には気を遣っている。ガイガーカウンター《放射線測定器》をテーブルに置いたっていいぜ」
突然変異した筋骨隆々な牛の引き締まった赤身を、贅沢にソテーした一品は香ばしい煙が立ち上がる。オリーブとバターが加えられたソースは濃厚な旨味を纏わせ、仕上げに添えられたハーブが、見た目にも香りにも華やかさを飾っていた。
他にも希少種の猪肉をミンチにして、香辛料の刺激的な香りと張りのある弾力を感じさせる腸詰め、肥大化したマッシュルームを刻んだ上に、絨毯のように覆い被さったとろけるチーズが包まれたホイル焼きは、ベテラン冒険者でしか味わえない極上の品々であった。
「調味料は贅沢品の一種だ。壁外じゃこんな飯は食えねぇ。冷めないうちに食っときな!」
マスターはそう優しく伝えると、カウンター越しの厨房に戻った。
「マスターの言う通りだ。こんな飯なかなか食えない。小皿に盛ってやるよ」
シロウはナナのそばに用意された小皿に料理を盛ると、自身の分も盛り付けた。
「あ、ありがとうございます」
ナナは料理の盛られた小皿を受け取ると、シロウと共に料理を味わう。
レコードプレーヤーから鳴り響く静かな音色の曲と、店内の落ち着いた内装の雰囲気は、心のざわめきを外の雑多な騒音とともに、意識から忘れさせてくれた。
シロウはムーンボアの腸詰めを、フォークで雑に突き刺すと噛み千切る。パリッと皮が破け、引き締まった猪肉が肉汁とともに溢れ出て湯気が立ち昇る。
「想像以上に熱いから、口を火傷するなよ」
咀嚼しながらシロウはナナにそう伝えると、厨房のマスターに注文を頼む。
「今日はスタッフが少ないな。酒とジュース忘れないでくれよ」
「まだそこまで記憶力は衰えちゃいねえよ。エールと今朝絞った果汁ジュースだ」
マスターは両手に握られたグラスを、テーブル上へ置くと愚痴を漏らした。
「他の奴らは、本職の冒険者稼業で出稼ぎに行っちまってるぜ。まったく、ジジイ一人だ」
そう独り言をぼやくと、カウンターの自分の席に腰を下ろし、雑誌を手に取ってページをめくり始めた。
「生者の特権だな。美味い飯を食えるのは」
シロウはそう呟くと、黙々と料理を食べ続ける。
エールの白く滑らかな泡立ちと、喉越しの良いコクのある味わいを一気に胃に流し込む。厚切りの骨付き肉をむしゃぶりつき、その豪快な姿に元気づけられるように、悩むことをやめたナナも、小皿に盛られた料理に舌鼓を打つ。
「わたしは本当に幸せ者です。贅沢な悩みをしてました」
口元を白い泡で囲んだシロウに対して、ナナは満面の笑顔を浮かべた。




