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第11話 這い寄る悪夢

 少女は深い眠りの中、以前の記憶を消失していた。それなのに、夢の世界ではなぜか自身が憶えている場所に立っている。


 薄くぼんやりとした景色だが、どこかの室内で寒々とした一面光沢のある無機質な白い部屋。壁には子供の落書きのように、クレヨンで色とりどりに女の子が描かれていた。


 自分が描いたんだろう。夢の中でそう思った。

 しかし、よく見ると描かれた女の子は誰かと手を繋いでいる。

 その繋いだ先を見ようと視線を移したその瞬間だった。


 ──白い部屋は剥がれ落ちるように、瞬く間に黒く錆び付いた不気味なトンネルに変貌していく。足元が沈み込むような重苦しさに、ナナの恐怖心は高まる一方だった。


 不安で瞼を固く閉じて夢から覚めるように願う。しかし、足元から微かに伝わる踏音が、次第に近づいて来ると肌身に感じさせた。


 その気配はじわじわと背後に忍び寄ると、ピタリと鳴り止む。ナナが安堵した矢先、不気味な声がそっと耳元で囁いた。


 背後から自分を覗き込む深淵に──“全部忘れろ”と、告げられて。


 ナナはぶるりと震えていた。恐る恐る瞼を開けてみる。見慣れた薄汚れた床に剥き出しのコンクリート壁、頭上にはオーロラが波打つ緑の輝きと、星空の煌めきが広がっている。


 全てが見慣れた景色にナナは「ふぅ……」息を吐くように安堵した。


 焚火の向かいではシロウが薄汚れたコンクリートの壁に、背中を預けながら咥え煙草のまま眠ってしまっている。


 煙草の先端はジリジリと半分ほどが燃え尽きて灰に染まっていた。ナナの傍にはいまだにレッドがいびきを掻きながら、丸く体を縮めている。


「皆寝てしまいましたね」


 ナナはくすりと笑い、しばらく頭上の星空を眺めていた。


 耽るようにただ静かに過ごす。すると“パキッ”と、焚火の小枝が弾ける音ではない、何か別の音がナナの耳に微かに聞こえた。


 聞き間違いか、もう一度耳を澄ませてみる。


 “パキパキッ”再び異音が鳴り続け、何かが俊敏に外壁と天井をよじ登って来る気配がした。


 ナナは恐怖で震える体を必死に動かそうとするも、軋むような異音は次第にナナの頭上まで近づいて来ていた。不規則に金属が擦れる音を響かせて気配が強まっていく。


「シロウさ──」


 ナナの強張った悲痛な呼び声は、空から飛来してきた『存在』が天井の隙間にぶら下がり、こちらを凝視することで阻まれた。恐怖で息も止まる緊張感が漂う。


 “それ”は異常に長く生えた四本の腕が不気味に蠢いていた。腐り果てた皮膚が紫色に腫れ上がり、所々に剥がれ落ちて剥き出しの筋繊維が窺える。


 爪は鋭い刃物のように尖っており、その存在は蜘蛛のように天井を這い回りながらも、ナナだけを常に視線に捉えていた。


 身動きができず、恐怖で足元が鉛で繋がれたように動けない。


 ナナの元へとゆっくり近付く異形の存在は、観察するように天井を這いながら真上で動きを止めた。


 ナナの頭上からは生暖かく不気味な“カチカチ”不規則な咀嚼音のような、薄気味悪い音を耳元で鳴らす。


 唾液がナナの小振りな肩に滴り、生臭く濡らしていく。恐怖で呼吸を忘れるほどナナは、小刻みに体を震わしていた。


「伏せろ!! ナナ!」


 突然、けたたましい声が一帯に響き渡った。


 ナナは咄嗟に視線を移すと、シロウが駆け寄って叫んでいる。しかし、ナナよりも過敏に反応したのは異形だった。瞬く間に天井から勢いよく跳躍すると、獲物に飛び掛かった。


 その矛先──レッドの首筋に、粗く尖った爪を食い込ませる。


 鮮血が宙を舞う。生暖かな赤色がナナの薄汚れた灰色の衣服に、血飛沫の斑模様として染め上げた。


 突然の襲来、寝込みを襲われたレッドは反応できなかった。“コヒュッ”と、自身の喉を強く押さえ、口元からは大量の赤黒い泡を吐き出す。


 必死に酸素を体に取り込もうとしては、穴が空いてしまった首筋から勢いよく血液が溢れ出る。


 レッドは苦しみに悶えながらも、レッグホルスターからTRR8マグナムを抜き放ち、自身の残りの力を振り絞って撃ち続けていた。


「このくそったれがぁあぁ!!」


 雄叫びを上げて異形に対して駆けるシロウの両腕には、愛用のナイフとマチェットの刃が交差する。抑えようのない激情を宿した斬撃が駆け巡る。


 ナナは指一本動かせなかった。


 震えて惨事を傍観することしかできず、現実だと受け入れ難い絶望が広がっている。


 視界に映る一面の赤色、火花を弾きながら戦闘をするシロウ、それらを虚ろな瞳で捉えることしかできない無力な自分自身。


 その時──ナナの双眸の奥深くから脈を打つような違和感が襲った。全身に走る激痛に呑まれ、呼吸が浅くなる。次第に視界は大きく歪み始めた。


 赤と青、異なる色が反射し合うように点滅すると、瞼を開けられないほどに眩しさが強まっていく。


 理解できない恐怖。ナナは必死に抗い、シロウの姿を霞む視界で探し続けた。すると、何者かに背後から掴まれるような感覚が襲う。


 深淵へと引きずり込まれ、強引に現実から引き剥がされていく。


 最後の力を振り絞るように、ナナは喉が裂ける勢いで叫んだ。


「シロウさんッ!!」

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