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第10話 “平和”という死語

 雲一つない星空の夜は幻想的な明暗を深めて影を伸ばす。


 暗闇に染まり切った空は煌々に冷たく澄んだ光を放ち、天井が吹き抜けの荒れ果てた廃墟に、寂し気に差し込んでいた。


 ナナは夕焼けのように暖かな光で包む焚火の温もりに、両手を寄せて一日の疲れを和らいでいた。慣れないバイク移動で、後部座席に乗っているだけでも負担が蓄積している。


「……ふぅ」


 小さく身を反らして伸びをすると、凝り固まった体の疲労を逃がしていく。


 レッドは焚火の光を浴びたナナの顔色に気付いた。疲労が滲み出たその表情には過酷な旅と不安が色濃く残っている。


 少女のために何かできないかと考えて、ふと思い出したようにリュックから、いくつかの缶詰を取り出して焚火のそばに広げた。


「乗り慣れてないバイクに、一日ずっと跨ってて疲れたでしょ? ご飯にしましょうか」


 その缶詰はナナを救い出した時に争い、ならず者たちから勝ち取った戦利品だった。


 食料は少ししか残っていない。しかし、疲れ果てた肉体に活力を注ぐ手段として、空腹を満たすのは必然のことであった。


「明日の昼頃には街に着くはずだから、飲み水以外は贅沢に食べちゃいましょ!」


 並べられた缶詰の表面は少しばかり擦れているが錆などはない。ラベルには野菜、果物などの絵柄が描かれている。


「疲れた体には温かい食事よね」


 レッドは軽く笑いながら携帯していた小柄な折り畳みナイフを取り出し、蓋を丁寧に開け始めた。蓋を開けた缶詰を焚火の側に置き、じんわりと温める。


「特別にここで、貴重な調味料で、贅沢に味付けもしましょうか!」


 レッドは缶詰と一緒に用意していた少しほつれた麻の小袋から、コルクでしっかりと栓をされた小瓶を3つ取り出す。小瓶の中にはオリーブオイル、塩、唐辛子が入っていた。


 じっくりと焚火のそばで温まり、ぐつぐつと香ばしい湯気を漂わせて煮立つ豆と野菜の缶詰は鼻孔を膨らませる。


 レッドはオリーブオイルを一回り軽く注ぎ、塩の入った小瓶を三振り、折り畳みナイフで粗切りにした唐辛子を最後に振りかける。

 すると香辛料の刺激的な香りが、粗く空虚なコンクリートの建物内に広がるのを一同は感じた。


「体の芯を暖める食事が、寒さを忘れさせてくれるわ」


 レッドは缶詰の中身を慎重にかき混ぜる。食べ頃の温度になったのを確認すると、人数分の小振りなステンレス皿に盛り付けた。


 ナナを気遣った有り合わせの料理だったが、一日の疲れを忘れさせてくれる優しさは心と体を暖めてくれる。


「レッドさん! 美味しいです! 本当にありがとうございます!」


 少女の澄んだ美しい双眸が、一層に煌めいて表情はくしゃりと和らぐ。それを見たレッドは満足げに豪快に笑った。


「まだ子供なのよ。食べれる時に腹いっぱい食べて!」


「俺からは……この密造酒と煙草を皆に振る舞おう」


 二人のやり取りを傍観していたシロウは、ドカリと焚火前にラベルが剥がれた跡が残るボトルと、ぼろぼろの擦り切れた煙草の紙箱を無造作に置いた。


「こんなのじゃ、ならず者くらいしか喜ばないわよ」

 呆れたように眉を下げたレッドは密造酒の栓を抜くと、一口だけ飲んで勢いよく床に吹き出した。


「なにこの味!? 腐ってるんじゃないの?」


 ならず者たちに出回っている低品質で粗悪なムーンシャインの強いアルコール度数は、荒削りな味わいで体の芯を温めるには適しているが、風味は壊滅的だった。


「嫌なら俺によこせ」


 シロウはボトルを奪い取ると、煽るように大口で飲んでみせる。


「まだまだお子様のレッドちゃんには、お酒の味は早かったかな?」


 煽るように不敵な笑みをシロウは浮かべた。すると、レッドのこめかみに青筋が立つ。


「あたしを何歳だと思ってるの! このアホンダラ! あんたより年上よ!」


 レッドは密造酒のボトルを奪い返し、仰ぐように飲んでいく。薄い唇から密造酒が滴り、衣服が汚れるのも気にせずにゴクゴクと飲み、喉が上下に揺れ動く。


「このレッド様に……酒で、敵うと思うなよ!」


 ボトルを勢いよく振り回しながら体を左右に揺らすレッドの顔色は、既に茹でタコのように真っ赤だった。動きも近い。


「……おいおい。夜間交代の見張りもあるんだから、くたばっちゃ困るぞ」


「瞼を瞑っていても撃つことはできるわよ! ……ヒック」


 レッドは口元を掌で押さえながらレッグホルスターからTRR8マグナムを抜くと、定まらない焦点で銃口を頭上に向けた。


「……こいつの酔い方が最悪だってこと、うっかり忘れてた……」


 軽い後悔の念と、軟体生物のような動き方で、次第に呂律が回らなくなっていく相棒に、シロウは深いため息を吐く。


 ペンキを被ったように真っ赤な顔で揺れ動くレッドは、コンクリートに寄り掛かりながら酔い潰れていく。床に体を預け、瞼を閉じた際の最後の言葉は「あんたより長生きするわよ」であった。


 シロウは酔い潰れたレッドを肩に担ぎ、簡易シートに座っているナナのそばにゆっくりと降ろす。そして座り直して食事をとりながらナナと会話を始めた。


「世話好きの馬鹿だが、こいつも苦労したんだ」


 焚火の揺れ動く光に照らされたレッドに、視線を移しながら話すシロウの表情は、どこか柔らかい。


「ナナ。お前はこの世界をどこまで覚えている?」


 突然の問いに戸惑いながらも、少しの間を空けてナナは答えた。


「……何も、覚えてないです。人も、場所も、わたし自身も……」


 乾いた薪の弾ける音がコンクリートの建物内に響き、少女の面持ちを際立たせる。不安に潜む恐怖を滲ませて。


「俺も詳しくはわからねぇが、どこから話すべきか」

 シロウはゆっくりと語り始めた。


「聞いた話になっちまうが、遠い昔、今みたいな暴力と略奪が挨拶みたいな世界じゃなく、“平和”って言葉が存在したらしい。そこでは銃を懐に忍ばさねぇでも生活がそれなりにできたみたいだ。平和の意味はわからねぇ。死語だからな」


 シロウは苦笑すると話を続けた。手早く料理を口に運ぶと、食事を済ませながら語る。


「世界のルールが変わる転換期は、前触れもなく突然だ。今日の夜空のように眩い光が段々と我慢ならねぇくらいに輝いて、辺り全てを焼き払った。どこも、かしこもだ。そんで生き残った奴らはそれぞれ独自の進化を遂げた」


 ナナはごくりと息を呑んで聞き入る。


「地下に避難した奴らは地下暮らしに適応して身長が縮んだらしい。被害が少ない場所で運よく生き残った連中も物資が次第になくなって、他の生き残りから略奪したりでひでぇもんだ。昨日の夕飯に食った犬も、環境に適応した変異性生物の一種さ」


 焚火の弾ける音の中、シロウは食後の一服を噛み締め、ニコチンの苦みを堪能する。


「一番厄介だったのは転換期が過ぎてからだ。それなりに生きる基盤ができた頃の話だな。滅んじまった旧文明の遺産を土台に、今の俺たちの日常を築き始めた時だった」


 シロウは煙草の灰を指先で弾くと、声音を低くして話始めた。


「……面の良い、耳がとにかく長い糞どもが、稀にだが現れ始めた。そいつらは生き残りが集まる街や集落を潰して回った。圧倒的な武力で、だ」


 シロウの語りでナナの背筋がぞわりと冷えた。


 背中を預けた粗いコンクリートとは異なる肌寒さと頭痛に困惑する。食い入るように集中してナナはシロウの一挙一動を見つめた。


「奴らは物資や貴重品を根こそぎ奪い取っていきやがった。自分らを高貴な生まれとかほざいてな。やってることはそこらのならず者と同じことをするのさ。ただ、明確な違いは……遥かに強いってことだ。たった一人で三十人くらいは粉々に吹き飛ばすくらいに化け物らしい。長耳に遭遇しちまったら真っ先に逃げろと教わるくらいにな」


 ジリジリと燃え尽きていく煙草を眺め、シロウは密造酒で喉を潤して話し続ける。ナナは真剣な面持ちで耳を傾けていた。


「生き残った奴らは全員、長耳を恐れた。ブギーマンみたいな存在だからな。銃や刃物がなくても奴らは特別な力、他の奴らは『ギフト』って呼んでいる。その異能で突然炎を噴き出したり、辺りを凍らせたりでやりたい放題だ。だから耳が長い奴らは畏怖の対象なんだよ」


 シロウは煙草の煙を吐き出すと、寂し気な眼差しで視線を移す。


「そんで運悪く、お前の横でいびきを掻いて、酔い潰れているアホにもその特徴がある」


「えっ!」


 驚きでナナは横に振り向いた。


 安眠を貪るように寝相の悪い赤髪の女性をよく覗き込むと、確かに他と比べて少しだけツンと長く跳ね上がるような、珍しい耳が赤髪に隠れるように生えている。


「こいつもそれなりの幼少期を過ごしたはずだ。薄気味悪い噂をぶら下げたガキが生き残るのは簡単じゃねぇ。詳しくは俺も知らないが、長耳と人間の混血だと聞いたな」


「そ、そうだったんですね……」


「それで、だ。俺が伝えたかったことはだな。不幸なのは自分だけじゃない。それなりに皆、過去を背負って生きている。こんな過酷な世界なら、なおさらだけどな」


 死がありふれた滅亡後の世界で、世話好きでお節介な性格は命取りになる。甘さ故に寝首を掻かれ、裸に剥かれるかもしれない。それでも、暖かな心を持ち続けるのは一握りだ。


「まぁ……そんな世話好きなアホのおかげで、俺もなんとか今日まで生き残れた。だから、レッドを裏切ることはしないでくれよ」


 シロウは真剣な眼差しで、ナナを真っ直ぐに見つめる。


「はい、もちろんです!」


 ナナは背筋を伸ばして姿勢を正すと、真っ向からシロウに返事をした。


 冷え込んだ寂しい夜が続く。焚火の熱を分け合うように一同から伸びた影は揺れていた。


「今夜は俺が見張る。お前はゆっくり眠れ。子供が夜遅くまで起きてるもんじゃねぇ」


 粗野な言い方ではあるが、声音には暖かな優しさを帯びている。


 ナナはお辞儀をすると、気持ちよく眠るレッドの傍で寄り添うように眠りについた。

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