1話ギャンブラーの片鱗
夢を見ていた。
女性の膝の上に座るあたしの頭を、温かい手が優しく撫でている。
なぜか涙が止まらない。理由はわからないのに、熱い涙だけが頬を伝う。
彼女は何も聞かず、ただ黙ってあたしの頭を撫で続けた。
目が覚めても、この感触だけは消えないだろう。
この世界にたった一つだけ存在する、あたしの絶対的な居場所。
「マヤ姉」
あたしがそう言うと彼女は優しく微笑む。
マーヤ・ディラント。腰まで伸びた三つ編みの黒髪特徴。血の繋がりはない近所のお姉さんでもあり、あたしは親しげにマヤ姉とそう呼んだ。
マヤ姉は同年代の女性と比べてもとても大人っぽく、優しく、素敵な女性。あたしは彼女の事がとても好きで憧れの対象だった。
あたし達が住んでいる村は王都の近くにあり、たまに冒険者や商人が行き来して賑やかだった。
村の経営の要として宿は少なからず存在し、マヤ姉は宿を経営する一人娘。
ある日あたしはマヤ姉の宿でお手伝いをしていた。
「マヤちゃんその子は?」
宿に泊まっているおじさんが話しかけてくると、マヤ姉はあたしの頭に手を置く。
「近所に住んでいる、フェルという子です。今日は宿のお手伝いをしているんですよ」
「へえ、まるで仲の良い姉妹みたいだね」
おじさんに言われて、マヤ姉と家族のように見られていることが嬉しかった。
「それはそうとマヤちゃん今回は負けないぞ」
客のおじさんは皮の手袋を外し、使い古されたカードの束を取り出して机に置いた。
あたしは何のことかわかんなかったけど、マヤ姉は楽しそうな瞳で椅子に座っている。
ゲームをしているのは理解はできた。ただ、どんなゲームをしているのかわからず、次第につまらなさそうにしてマヤ姉の服の裾を引っ張る。
「フェルも一回やってみる?」
「うん!」
膝の上に抱き上げられ小さな胸が高鳴る。
机にはカードと金属の光沢を放つコインが置いてある。
「これなーに?」
「これはね。ポーカーと言って、カードを組み合わせて役を作るゲームなの。コインは賭けに使うんだけど、フェルは初めてだからカードだけね。ほら、カードが配られるから受け取ったら見てごらん」
手札には♦7、♠A、♠8、♥3、♣9。
「この中で気に入らないカードを捨てて、その数だけ、このカードの山札から新しく引いてくるの。同じ数字か絵柄を揃えるのが良いよ」
よくわからなかったあたしは、直感でピンとこない3枚を捨て、山札から3枚拾い上げる。
おじさんが手札を公開するのをみて、あたしも真似するように公開した。
♠A、♠8、♦J、♦3、♥10。
「残念、揃わなかったね」
「もー! もう一回!」
「はは、お嬢ちゃん強気だね。ならもう一回するか」
再度配られた手札を確認しながら、あたしは「うー」と唸りを上げた。
「フェル。そんなに考えなくていいの。あなたの思う通りに出してみて」
マヤ姉がそういうのだから、あたしは絵柄を揃えてみたいと思い交換した。
「なんかカードが揃った! マヤ姉見て見て!」
あたしは喜びのままに彼女を見た。てっきり一緒に笑顔になっているものだと思っていた。しかしあたしが思っていたのとは違った。
その表情は驚きを超えた無言の衝撃。そして瞳の奥底には、まるで未知の怪物を見るかのような、微かな畏怖の表情が宿っていた。
♠Q、♠A、♠10、♠J、♠K。
「ロ、ロイヤルストレートフラッシュ……私も揃えた事ないのに……」
「ろいやるすれー?」
マヤ姉の唇から漏れた言葉はか細い。彼女は自らの掌を見つめ、震える指先でカードに触れた。
「おいおい、そんな役、何万回に一度だぞ……」
おじさんの顔から、先ほどの強気は完全に消えていた。
マヤ姉もおじさんも何か恐ろしいものを見ているようだったが、その「ロイヤルストレートフラッシュ」とやらが、当時のあたしにはわからなかった。
おじさんは疲労の色を濃くし、眉間を深く摘まんでいた。
「そうだ初心者特有のビギナーズラックだ。間違いねえ。は……ははは」
「そ、そうだフェル。さあ、もう今日のゲームは終わりよ」
マヤ姉の膝の上から、静かに降ろされた。
頬を膨らましマヤ姉を見上げる。彼女は先ほどとは打って変わり、いつもの柔らかな表情に戻っていた。
気のせいだと思おう。少し残念だけれど、ゲームをしたことは楽しかった!
「それにしても君も強いね。これなら王都へ行けば名を残せるんじゃないかな」
「ふふ、まさか。さっ、休憩時間は終わり。フェル、お手伝いの再開しましょう」
「うん!」
マヤ姉と一緒に居て、楽しい日々がこのまま永遠に続くと疑いもしなかった。
そんなある日、彼女は唐突に王都へと行くと言った。
冒険者からの入れ知恵なのか、あるいは長年の秘めた憧れなのかはわからない。
ただ、その瞳は強い決意の炎に満ちていた。
マヤ姉は冒険者になりたいのだと、幼いあたしは単純にそう思っていた。
そして月日が流れ、マヤ姉の年齢がとうとう15になった。
「王都行きの馬車が来たから、行くねフェル」
相変わらず優しく微笑みながら、あたしの頭をそっと撫でた。
嬉しいのに悲しい。矛盾した気持ちがあたしの中で渦巻いた。
「本当に、本当に行くの……? マヤ姉」
あたしの目には涙を浮かべ、行ってほしくないという気持ちであふれ出そうだった。
「相変わらず泣き虫ね。ほら、涙を浮かべないの。フェル……いいえ、フェル・ラグンダルト。あなたも15歳になれば一人前の成人となるんだから。だからその時は私のいる王都へ迷わずおいで」
うん、とあたしは強く頷くと「マヤ姉、約束」小指を差し出した。
マヤ姉はあたしの小指を絡める。
これは絶対に守らなければいけない約束。
安心したようにマヤ姉は馬車に乗り込んだ。
車輪がきしむ音と共に馬車が動き出す。
「マヤ姉、大きくなったら必ずあたしも王都へ行って冒険者になるから! マヤ姉と一緒に旅をするからね!」
小さいあたしは遠ざかるマヤ姉に向かって、力いっぱい手を振った。
マヤ姉も同じように手を振り返し、「待ってるから」そう言い終えた途端、鮮明だった夢は唐突に途切れた。
目を開けると頬を伝う冷たい感触に気づく。
夢の中で涙を流していたのだろう、あたしは涙を拭った。
もうマヤ姉はいない……。
その事実を改めて知ることに長い沈黙が続く。部屋には底なしの虚無感が漂っていた。
「気持ちを入れ替えなくちゃ」
あたしは両手で、ほっぺを2度ほど叩いた。
今日からあたしは15歳。マヤ姉と同じ15歳だ!
そう思うと、先ほどの空虚感は決意の熱にゆっくりと溶かされていった。
「さあ、あたしも今日から冒険者になるんだ!」




