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タイトル未定2025/05/12 15:28

 呼人には試したいことがあった。それは高校三年間勤めあげた結晶、三百万をふいにしてでも叶えたいことであった。人が行き交う高層ビルの麓、すれ違いざまに肩にかけたスクールバッグが通行人に当たろうとも気にせず歩いた。マップの記憶媒体を入れたサングラスに、十メートル先を左に曲がれとの矢印が表示される。曲がった五メートル先が目的地で、赤いぽっちが浮き沈みしている。十メートル先を左に曲がる。ビルとビルの隙間で、幅は二メートルもなかった。数歩歩くと「目的地です。目的地です」と音声案内が終了した。


 呼人はサングラスを外し、ワイシャツの胸ポケットに差し込んだ。目の前にあったのは、勝手口のような無機質な扉と壁だった。


 呼人は六回ノックした。数秒して扉の下から紙が出てきた。呼人は胸ポケットに挿していたボールペンを使い、紙に5149352と記入した。再びドアの下に紙を差し込む。しばらくして鍵の開く音がした。扉が開く。顔を出したのは若い女性だった。歳は二十代中盤だろうか。よくわからない。白髪のショートボブ。唇にハンマー型のボディピアスが複数刺さっていた。アイラインが濃く、垂れ目に見えた。白髪が前下がりに垂れていた。


 呼人は女性に案内されるがまま、店へと入った。入ってすぐの部屋はラウンジのようになっていたが、電気が消えていた。女性の背中が通り過ぎる。女性は胸が大きく開いた白いTシャツを着ていた。タイトなレザーのスキニーパンツが臀部の膨らみと脚の細さを強調していた。


 奥の部屋へと進んだ。そこから階段を上り、三階に着いたところ、小部屋の真ん中に開いたままのノートパソコンが置かれただけのテーブル、丸椅子があった。女性は丸椅子に座り、足を組んだ。テーブルに右肘を立て、頬杖をついた。女性は呼人の全身を舐めるように見た。呼人と女性との間には一メートル弱、間隔があったが、見定められているような気がしていい気がしたものではなかった。事前に電話をした際は、金さえ払えば誰でも売っていい品物だと言っていたが――呼人は女性の白髪とピアスという風貌に気圧され、不安になっていた。


「あんた、高校生?」

「高校生だと金持ってても売ってもらえないんですか?」呼人は先走って口走った。敵意むき出しの言葉を聞いた女性は目を丸くしたが、すぐに高笑いした。「お姉さんそんなに怖い人に見える?」呼人はしばらく黙っていたが、おずおずと肯いた。


「そっか。大丈夫よ、って言っても根拠ないけど大丈夫よ。くろーい組織とは繋がってないし、そもそも私、大学の教授でもあるんだから」女性はにっこりと笑った。「まあ講義のときはピアス外してますが……」そこで女性の言葉が途絶える。呼人はじっと女性を見つめていた。


「ここに来る人の大半はね、門前払いするようにしてるの。だからキミが初めて私と顔を合わせたお客。さて、ここで問題です」女性は人差し指を上げた。「なぜ私はキミを店の中に入れたのでしょうか。ちくたくちくたくちくたくぶぶーー。正解はキミに下心が窺えたからです。大体【ハート】を買いたいってお客はね、電話越しでも平静装っちゃってるわーってわかるのよ。それが気に入らない。あと、金持ってるんだからくれよって感じの奴も門前払い。あとは開口一番タメ口の奴ね。それに……」


「あのー」呼人がそう言うと、女性はきょとんとした。そして口角を上げて面白い生き物でも見つけたかのように呼人を見つめた。


「探してたのよ。【ハート】を扱うにふさわしい人を」

「それが俺だと?」

「そう」

「でも、どうして……」

「勘」

「そんな非科学的な理由で……」


「あんた、本気でそう思ってる?」女性の目が呼人を見つめた。「キミにとっての神様は人の顔をしている?」強い眼力が解けたのは数秒後、女性が口元を綻ばせたときだった。


「なんてね。ちゃんと理由があるわよ。それはおいおい」

「おいおいってまた連絡とかしなきゃいけないんですか? 買ったら終わりじゃなくて?」こんな得体の知れない人とまた連絡を取るのはごめんだった。今ですらすぐに帰りたいと呼人は思っていた。


 女性は再び目を丸くした。「いや、ただそんな気がしただけ。それじゃあ早く【ハート】とお金を交換しちゃいましょう」そう言って女性は背後の部屋へと行った。


 呼人は肩から下したスクールバッグに視線を移す。ファスナーを開けるのに苦戦していると、彼女の顎が左肩に触れた。構うことなくファスナーを開け切った。「あらら、高校生がそんな大金持ち歩いちゃって。お姉さんが守ってあげたいくらいよ」背中がふくよかな温かさを持つ。「そのクマの人形可愛いわね」呼人は咄嗟に鞄の口を潰すように塞いだ。女性は恐縮した呼人の右肩を抱くように右手を回し、掌の上に乗せた小箱を呼人の目前で見せた。親指をはじいて蓋を開けると、黒い穴に収まった一つのカプセルがあった。カプセルは透明で、中に入っている液体も透明であるため、これが本当に人間の感情であるのかと疑問に思うくらいであった。


 女性は人差し指で蓋を閉じ、小箱を呼人へと渡す。


「これがあなたが欲しくて堪らなかった【ハート】。使い方はわかるわよね?」呼人は肯いた。女性は首を傾げて呼人を下から眺めていた。しばらくすると女性は絡めていた腕を解いた。テーブルの向こう側にはこの部屋唯一の窓があった。そこまで歩いて行くと窓を開けた。


「一つだけ」女性が呟く。


「真っ当な人間には飲ませないでね」


 直後、銃声が鳴った。


 はっきりと見えたわけではなかった。ただ、視線の先で窓の桟に手をついていた女性が、気づいたときにはもうそこにいなかった。


 呼人は呆然とした。頬を何かがかすめた。続けて頬に痛みが走る。すぐにそれが銃弾だとわかる。二発目は音がない、ということはどこかから狙撃しているのだろう。レーザーポインターがどこかにあるかもしれない。それでおおよその角度と距離が――身体を翻し、後ろの壁に赤い点を探した。三発目が右膝をかすめた。これは威嚇か。こうしてはいられない。すぐにビルから逃げようと部屋を飛び出る。階段を下る手前で金のことを思い出した。【ハート】を受け取ってしまった手前、払わないわけにもいかない。部屋に戻ってテーブルに置くのも危険だと判断し、スクールバッグから雑に札束を取り出し、階段の手前に置いた。階段を一目散に駆け降りる。部屋を抜け、無機質な扉へと突進した。


 つんのめる。


 取っ手のレバーが下がらなかった。ガチャガチャと鳴らす。


「外鍵……? オートロック?」見れば内側に鍵穴があった。外から誰かが鍵を閉めたのだとしたら意図的だ。嫌な予感がしたが、とにかくここの扉は開かないと知った。他に扉はないかと呼人は一階を歩き回った。しかし、出入り口はそこだけの様だった。とりあえずラウンジの隣の部屋で身を隠すことにした。床に座り込み、安堵をつく暇はなかった。ラウンジの方からガチャガチャと取っ手に触れる音がし、続けて鍵の開くような音がした。呼人はその場に立ち上がった。持つ気もないのに、自分の周囲を見渡して武器になりそうなものを探したが、運よく鉄筋の棒も、包丁も落ちてはいなかった。


 呼人は再び座り込んだ。俯き、この先の未来に想像を巡らせた。自分は見知らぬ誰かに射殺されるのであろうか。どうして……言わずもがな【ハート】だろう。白髪の女性は客と顔を合わせたのは自分が初めてだと言った。【ハート】を一度も売ったことがないとは言わなかったが、そんな気がした。【ハート】を手にしたことで呼人は狙われた。呼人が【ハート】を受け取るのを見計らっていたのかもしれない。足音が二つ、こちらに近づいていた。彼らの一人の手には拳銃が握られており、もう一人は肩にスナイパーライフルを担いでいるのだろう。(すか)し、脅し、透明なカプセルの入った小箱を手にした彼らは笑いながら拳銃を呼人の額に近づけ、発砲する。硝煙の香りが漂ってきた。きなぐさい企みが硝煙の香りに掻き消される――想像。


 突然変わってしまった世界。何がどう変わったのか説明はできない。ただ、以前の日本のような平和ボケはなくなっていた。一歩他人の敷地に踏み込めば射殺しても正当防衛になるここはアメリカ。銃の所持が許されても扱いに慣れない元平和ボケ人。出回らないピストル。三百万あるのだったらまず拳銃を一丁買うべきであったか。誰もが【ハート】よりも銃を欲した。武器を欲した。正当防衛のために。威嚇のために。膠着(こうちゃく)のために。好奇心のために――。


 それでも呼人は【ハート】を手に入れたかった。


 顔を上げると、黒いジャンパーを着た二人の男が立っていた。カンタレラが流れていた。どちらかの胸ポケットに液晶端末が入っているのだろう。ヴァイオリンの音色がこれから行われるフラグを立てた。ああ、痛いのは嫌だなあ。毒ならまだましかもな。彼らは何も言わず、銃身で呼人の顔を殴った。


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