タイトル未定2026/02/13 13:47
AI、という単語を講義で耳にし、AIと言われてまず想像するのはドラえもんだよなあ、と思った。高校時代、いつか社会が発達したらドラえもんのような生き物が増えるのだろうかと思った記憶がある。そこら辺を歩いている猫が日本語をしゃべるかのように、ありふれた生き物、動物の一種として、名付けられるのだろうかとよく想像したものだ。
だが、私が高校時代、窓際の席で、前の席に座る男子生徒の首の後ろの三つのほくろをなぞるようにしながら眺め、想像し、AIに期待していたのはドラえもんの繁殖ではない。
日本史の教諭が偉人の名を発する。教諭の指定したページを開けば映るモノクロの写真。彼らを蘇えらせやしないだろうかということだった。
勿論、そんなことは物理的に不可能だ。第一、肉体はもうないし、肉は腐る。だが、死人を電脳の中で生かすことなら可能ではないか。
全国民に、腕輪のような記録媒体を装着させる。今日起きたこと、景色、発した言葉、そういうものを記録することで、死後、AIに学習させることで、あたかもまだそいつが生きているかのように会話することぐらいは可能ではないか。現実的には、難しいだろうという懸念がいくつか浮かぶ。そして、仮に死人と会話のようなことができるようになったとして、そしたら命の価値とやらはどうなるのだろうかと想像した。
そんな懸念をすっ飛ばしてでも蘇らせたい――高校時代にはまあどうせ無理だろうな、と結論付けたことが、大学に入学してから現実にしてみたいと酷く思うようになっていた。
死人に恋をするなんて馬鹿げている。
だが、そんな恋も、現実の恋を前にしては儚い。だって触れられないのだから。だって見られないのだから。頭の中でしか想像することができない。それに比べて、現実の恋人は私の耳に優しい言葉をくれる。愛をくれる。想像は枯れていく。そしてそんな人がいたことすら忘れていく。私は、大事な人と出かけ、食事をし、寝床で愛しい顔を眼前に見る。
それでもふと思い出す。忘れることを恐れているかのように、私の想像力は彼の顔を思い出させる。思い出を思い出させる。あのときの情景の数々を想像させる。初恋を忘れられないのは、すべてが初めてだったから。「初」というレッテルのマジック。熱。熱を帯びていた。いろんなものに触れ、知識を増やし、合理的な思考が身に付き、ある程度の状況下では狼狽えることもなく、不明なものにもある程度予測がつくようになった。達観してしまった。心躍らされるものが無くなった。熱。熱がない。アドレナリン。テストステロン、アハ体験。パチスロ競馬競艇。なけなしの五千円で手に入れた十万。
仮に、今の恋人が初めてであっても同じように思い出すはずだ。
ラブソングに劣等感を抱くなら、恋愛を標準にしてしまえばいい。
部活に入らないといけない校則があるくらいだから、恋愛をしなきゃいけない校則があってもいいだろう。




