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大事な人が亡くなったときのことを想像しては目が熱くなった。言いようのない感情が付き纏った。まるで現実味がないのだ。今、目の前で話している人物がこの世からいなくなることを想像しては諦めた。現実に身近な人が死んでしまったら、絶対に想像の上を行くはずだ。そのときの自分がどうなってしまうのか、想像もつかなかった。
人はいつか死ぬ。それは産まれた時点での決定事項だ。人が産まれる為には両親がいなくてはならない。家族と呼ばれ、少なくとも成人するくらいまでは一緒に暮らすのが一般的なはずだ。
もし、産まれるのに両親が不要だったら。家族として一緒に暮らすことがなかったら。最初から関係性が薄ければ、きっとそこまで悲しまないと思うのだ。
なんで態々――。
大事な人が亡くなったとき、笑ったり、泣いたり、怒られた記憶や、楽しかった記憶、それらの記憶だけが自分の脳にこびりつき、もう二度と笑ったり泣いたり、怒られたりすること、話をすることすらできない現実にぶち当たらなければならない。それを考えるのも嫌だったし、何より、大事な人がまだ生きているときに「もし死んだら……」と、考えるのが嫌だった。もう二度と話せない。もう二度と顔が見られない。写真じゃ全然足りない。残された記憶が涙を促す。想像しては、いつか大事な人が死ぬということを受け入れられなかった。
大事な人が死んだら、自分がどうなってしまうかわからなかった。
せめて今を大事に生きようとするのだ。一緒にいる時間を大切にしようと思うのだ。
大事にした、大切にした時間は、大事な人が燃えて灰になった後で、自分を殺すことになるだろう。
生まれた時点で悲しまなければならない運命が、歯痒い。
他の生き物がどうかは知らない。感情を持つ人間が、とても残酷な生き物に思えた。




