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タイトル未定2025/05/12 23:16

 カフネと出会ったのは三年前、大学内で黒ジャンパーを二人殺害したときだった。銃を購入し、射撃場に通うことはあっても、人を撃つのは初めてだったために「本当によかったのか?」そういう感情と罪悪感に苛まれ、長谷川は若干放心していた。


 キャンパス内は混沌としていた。長谷川の殺した黒ジャンパーたちが撃った怪我人や死体が五号館付近にあった。それに近寄る者、労わる者、泣く声、背けられる視線、喧噪、必死にスマートフォンで警察、救急車を呼ぶ者、どこからか持ち出されたAEDのオレンジ色のバッグが床に広げられる。野次馬のようなメガネの生徒、腐臭に鼻を塞ぐヒールの生徒、笑い声、血が流れ、血だまりとなり、その上を走って逃げる者の足が踏み、血の足跡が増えていく。校門周辺には人だかりができている。「早く行けよ!」そこかしこで聞こえた。キャンパス内を俯きながらとぼとぼと歩く長谷川の右側を、生徒が駆け抜けていく。後ろから来た生徒に右肩を弾かれる。左肩を弾かれる。背中から体当たりをされ、長谷川はその場に転んだ。ぶつかった相手も転んだはずだが、気づいたときには立ち上がり、何の言葉もなく走り去っていった。


 幾分キャンパスの中心で(ひざまず)いていただろう。顔を上げると日が暮れ始めていた。あったはずの喧騒が消え、静寂が返り咲く。校門付近に視線を向けると、校門を視点に死体が散らばっていた。彼らは動かなかった。長谷川は立ち上がった。五号館の最上階にはレストランがあった。腹が減った。恐らくもう誰も生きちゃいないだろう。五号館の自動ドアまで進むと、ドアが開かず、激突した。手でこじ開け、入って左奥にあるエレベーターに乗ろうと思うが、ここも開かないような気がした。エレベーターの回数を示す電光掲示板が光を失っている。階段で上ることにした。踊り場で横たわる黒ジャンパーを無視し、五階まで上がった。


 六階――そこにレストランはあるのだが、階段がない。そこでレストランにはエレベーターでしか行けないことを思い出す。一階と三階の間の踊り場にいた黒ジャンパーの男が、MP5を持っていたことを思い出す。再び階段を下り、MP5を手にして五階まで上った。


 長谷川はエレベーターの前に立った。


 片手で持ったまま躊躇(ためら)いなく引き金を引くと、反動であらぬ方向に銃弾が飛んだ。今度は両手で持ち、エレベーターの扉に円を描くように乱射した。数秒して弾が尽きる頃には、エレベーターの扉に丸い穴が開いた。抜けた円型の扉は、階下まで落ちていったようだ。ガシャン、と大きな音が鳴った。エレベーターは一階にあったようだ。恐らく最後にエレベーターを使ったのがグロックで撃ち殺した黒ジャンパーなのだろう。


 長谷川は穴の中を覗く。一メートル先にロープが見えた。このエレベーターがロープ式であったということを幸運に思った。穴を開けた円の淵に脚をかけ、ロープに飛び移った。手が滑り、二、三メートルロープに手を滑らせ下に落ちたが、何とか持ちこたえる。手を滑らせたときに掌の皮がむけたのだろう、ひりひりした。そこからロープに足を絡ませ登った。


 距離にして五、六メートル上。五階の上なのだから大した距離ではなかったが、六階のエレベーターの扉らしきものを目の当たりにしてから、この扉を開ける方法を考えていなかったと気づく。MP5はもうない。取りに戻ったとしても弾切れで、グロックで殺した方の黒ジャンパーが持っていたかもしれないと思うが、ここまで来て戻るのは億劫だった。何より、握力と腕力が持たなそうだった。二頭筋が張り始める。


 考えている時間はなかった。右の腰からブレンテンを取り出し扉に向かって構えた。弾は入っているのだろうか――余念が過る。引き金を引く。


 弾は出なかった。


 ポケットから弾を取り出そうにも片手でぶら下がっていられるほど握力はなかった。


 半ばやけくそだった。身体を大きく振って、扉に蹴りを入れたかったのだが、思うようにいかない。その理由を、長谷川の背後にあった重りのような大きな鉄の塊を目にして知ることになる。その大きな鉄の塊とエレベーターのかごの重さを吊り合わせ、バランスを取っているようだった。道理はわからないが、目の前にこんないい重りがあるのなら使わない手はなかった。背後で揺れている重り。長谷川はそちらの重りに飛び移り、重りの上に乗った。


 少しロープが伸びる。そのまま後方の壁を蹴り、振り子が返ってきたのと同時にもう一度強く蹴った。がん、がん、と勢いのついた振り子は何度も六階の扉を叩いた。やがて穴が開いた。穴が開くと飛び移った。


 窓際に一人、人がいた。白髪だった。老婆にしては若すぎた。夕日が灯る枠のない窓ガラスを背に、何かを口に運んでいた。スプーンですくっているようで、皿とスプーンが当たる音が響く。香ばしい香り。スパイシーな香り。カレーを口に運んでいた。


 ビルの六階、広いレストランで一人カレーを頬張る。その光景が、都心のビルの最上階、シャンデリアが垂れる小奇麗な高級レストランで一人、ディナーを楽しんでいるかのように映った。外では人殺しが行われている。あわや戦争やテロが始まるかという勢いであるのに、その白髪の女性は黙々と食事をとっている――偉い人間は愚民の戦争などに興味はない、とその光景が長谷川の心を(もてあそ)んだ。


 長谷川は白髪の女性の元に近づき、正面に立つと躊躇(ためら)うことなく銃を構えた。


 白髪の女性はカレーを口に運び続けた。


 数秒が数分のように長かった。皿に乗っていたカレーを空にすると、白髪の女性はスプーンを置いた。「ごちそうさまでした」両の手を合わせ、浅くお辞儀をする。


「さて」傾けた上半身を起こすのと同時に、視線が長谷川と合う。「見ず知らずの人間に恨みを作らせるほど罪を犯した覚えはないのだけれど、あなたが私をどうしても殺すというのなら私は私が殺されないためにあなたを殺すことになる。それでもいいかしら?」


 彼女は無表情だった。銃を向けられている、ということに恐怖はないようだった。長谷川のブレンテンに弾は入っていないのだから彼女を殺すことはできないが、彼女はブレンテンに弾が入っていないということを知らないはずだ。どうしてそこまで強気でいられるのか不思議であった。見たところ、彼女は武器を持ち合わせていないように思えた。圧倒的不利な状況で強がる理由が知りたかった。


「どうして怯えないんだ?」長谷川は銃を構えたまま言った。

「あなたが手を上げろ、って言わないからじゃない?」

「ちがう。あんたのその余裕さは、普通の人間のそれじゃない。過去に殺されそうになった経験、それと同等の恐怖を何度も味わってこなければ、反射的に抱く人間の恐怖ってのは一朝一夕で拭えるものじゃない」


 白髪の女性は、テーブルの上に備え付けられていた紙ナフキンを手に取り、口元を拭った。


「その通りよ。そういう経験を過去に何度か経験した。ただそれだけ。どう? 怖気づいた?」白髪の女性は汚れた紙ナフキンを丸め、机に置いた。立ち上がり、テーブルの上に腰を付いて跨ぎ、長谷川の前に立った。構えていたブレンテンの銃身を右手で掴み、銃口を自分の額にくっつけた。


「死ぬのは怖くない。怖いのは死ぬまでのモラトリアム。死にたくないと思っている人間と死んでもいいと思っている人間とが一対一で戦ったらそこに差が生まれる。命を粗末にするなとは言えない。牛も野菜も果実も人間は食べるもの。粗末にしないために食べているのではなく、食べなきゃ生きていけないから食べる。そこに粗末も糞もない。人間に限らず、生物は何かを殺して生き延びている。それをまず自覚しなさい。人を殺したって、人を食べたって、生き延びるためだと言えば合理的で通る。だからあなたが私を殺して食べたり乱暴したいって思うのなら思う存分殺せばいいし犯せばいい。全部あなたが生きるためって理由で通るんだから。


 人間なら理由なんていくらでも作り出せるでしょう? 本当に大事なのは意志でしょう。あなたに私を殺す意志はある? 恨みでも何でも意志があるのなら殺しなさい。片手間で殺されるのはすべての生物への侮辱だ。私がここでお前を殺す」


 カフネの眼力は凄まじかった。怒りとは違った。無表情なのに目力を感じさせるこの表情は、生まれてこの方見たことがないと長谷川は思った。「俺にあんたを殺す理由も意志もない。強いて言えば、あんたをこの状況で殺してから家に帰らないと母ちゃんに鼻で笑われるって理由しか思い当たらない。それを意志って呼ぶのならそうなのかもしれないが、母ちゃんに笑われるからって無差別殺人鬼になりたいとも思えないし、そもそも銃に弾も入ってない」長谷川は銃身からカフネの掌を剥がし、(おろ)した。


「羨ましい」


 カフネは皮肉ではなく、心からそう言ったのだと思う。


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