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【】

 闇に目が慣れたころ、右側にあるホームドアにうっすらと「千石駅」と書かれているのが見えた。長谷川はとっくにカフネを見失っていた。最初こそ足音が地下鉄のトンネル内に響いていたが、それも数時間前の話だ。


 長谷川はうなだれた。あと少しとはいえ、白山、春日、水道橋、神保町と、四駅分歩かなくてはならない。この三年でどこへ移動するにも自分で歩いていかなければならず、そのため幾分体力がついたように思えるが、マラソン選手でも四十二キロを二時間近くかけて走るのだ。彼らは一年に一度か二度しかマラソンを走らないと聞いたことがある。数十年前に毎週のようにマラソン大会に出場していた公務員のランナーがいたと聞いたこともあるが、彼は例外だろう。走ることを生業(なりわい)にしている彼らでさえ数時間かけて走り、マラソン後は疲労の回復に努めるのだから一般人の長谷川は尚更だ。疲れるもの疲れる。少なくても二時間はかかる。ひどく億劫に思えた。


 ふらふらと走り続け、白山を通り過ぎ、春日を通り過ぎ、水道橋に着く手前で異変を感じた。トンネル内に音が響いている。それが人の声なのか、物音なのか足音なのかは判別できない。長谷川は立ち止まり、ゆっくりと右にカーブしている線路の上を歩いた。音がだんだんと近くなり、それが物音だとわかった。右カーブを終え、直線に入る。視線の先、夜目が効いてうっすらと見える距離だった。五十メートルぐらい先だろう。金属の弾く音がした。


 長谷川は駆けだした。その音が刀と刀が弾き合う音だと判別がついたからだ。カフネかもしれない――全速力で向かう。目線の先で、トンネルの壁に背中を合わせている人物と、トンネルの壁へと追いつめている人物が見えた。長谷川は歩幅を(せば)める。


 最初、壁に追い詰められているのがカフネかと思った。が、違った。黒いジャンパーを着た男がトンネルの壁に背中を付け、追い詰めているのがカフネだった。追い詰められている黒ジャンパーの首元にカフネが短刀を押し付けている。黒ジャンパーは顎を上げて唸っている。見れば、カフネの足元には、壁に追い詰められている男と全く同じ相貌の男が横たわっていた。


 右の腰からブレンテンを引き抜き、構えた。「待て」構えると同時にカフネの声が長谷川を制止した。長谷川がいることに気づいていたようだった。


生産(プラ)工場(ント)はもういい。富豪の遊戯場(ゆうぎば)がどこかだけ吐いてから逝け」カフネは短刀の刃を殺す勢いで押し付けていた。


「言うわけねーだろ」顔をのけぞらせながらも命乞いはしないようだった。誰がどう見ても劣勢の状況だというのに、黒ジャンパーは強がっていた。


「どうして。あんたたちクローンに遊戯場は興味ないはずじゃないの?」


 無表情で聞くカフネの顔を見て、黒ジャンパーは盛大に笑った。


「馬鹿抜かせ。俺たちも人間だ。たとえ悪意を持った奴が意図的に作り出した人間だろうと、誰かの複製だろうと、その事実を知らされるまでは世界に一人しかいない人間だと疑ってやまないんだぜ? 今や純正な人間の方が貴重なんだよ。高尚な人間たちにクローンクローンってこれ見よがしに言われたこともあったが、俺たちだって人間だ。全知全能を手に入れたスーパーマンなんかじゃないんだよ。食わなきゃ餓死するし、排泄もするし、寝なきゃ疲れも取れない。食欲睡眠欲性欲。化け物みたいに見られるが、俺たちだって立派な人間だ。それはお前だって同じだろう?」


「だから?」カフネは黒ジャンパーを表情を変えずに睨んだ。


 睨まれても余裕なようだった。黒ジャンパーは嘲笑う。


「だから、俺だって毎日遊戯場に行ってるってことだよ」


 カフネは短刀を押し込んだ。ごとり、と線路に彼の頭部が転がった。彼がカフネに覆いかぶさろうとすればすぐに撃てるようにと長谷川はブレンテンを構えたままであった。腰にブレンテンを挿し、カフネに近寄った。「大丈夫か?」


 カフネはただ茫然と線路に転がった死体を眺めているだけであった。その目は虚ろであった。何かを思い出しているようでも、許せ、と何かを悔いているようにも見えた。黒ジャンパーの血を浴び、綺麗な白髪が縦縞模様を作っていた。左手の短刀を一回振り、刃に付着した血を払う。線路に転がっていた、黒ジャンパーが持っていただろう長刀を左手で拾った。


 再び歩き出す。


 長谷川は歩き出したカフネの隣に近づいた。「おい、カフネ。遊戯場って何のことだ? それになんで神保町に向かってんだ? 僕がセダンが開いた気がしたからって言ったからか? そうだとしたら、本当にセダンに人が乗ってたか確信はない、けど」


 カフネは先程黒ジャンパーを見下ろしていたときと同じ虚ろな目のまま歩いていた。「カフネ」「カフネ?」と長谷川が声をかけても反応はなかった。


 三度目だった。「おい、カフネ!」と少し強めに長谷川が呼んだところに「その名で呼ぶな!!」と罵声が返ってきたのは。


「お前がそう呼べって言ったんだろ」と、頭に浮かんだ言葉を飲み込もうと思ったときには口から出ていた。憐れみではない、いかにも威嚇したカフネの眼力は長谷川の一言で解かれ、そしてまた虚ろな目に戻った。


「おい、どうしたんだよ。お前らしくねーじゃん。何言われても素知らぬ顔で正論棒読みすんのがカフネだろう? どうしちゃったんだよ」


 数秒間()があった。


 もう数秒して、「あなたに話すことじゃないわ」と小さな声がトンネルに響いた。その小さな声は長谷川の心に大きく響いた。確かに――相棒とか、バディとか、そういう間柄ではない。


 酷く突き放された気分だった。まるで長谷川だけがカフネのことを近しい間柄だと勘違いしていたみたいに思え、瞬く間に羞恥の感情で満ちた。


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