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【】

「私が作った。死に物狂いで」


 長谷川は蓋の開いた小箱を左右に揺らし、カプセル内の液体が揺れるのを眺めた。「これが本当に感情なのか? 物にかければ物が息をするんだろ? にわかには信じられないな」

「そりゃ当然よ。この液体をかければおもちゃの人形も勝手に動きますーなんて言ってるわけじゃないんだから」


 長谷川は首を傾げた。少し考えるふりをしてもう一度傾げた。白髪の女の話を聞いた方が早いと思ったからだ。


「私たちが知らないだけでおもちゃの人形だろうと物だろうと、この世の万物には命がある」


 それを聞いた長谷川は、思わず鼻で笑ってしまった。


「馬鹿な。夢物語だ。まだ植物ならわかる。けど、物質に命があるなんて無理がありすぎるだろ。その物質同士をくっつけて作った物体はどうなるんだよ。合体したとでもいうのか? 二つだった命は一つになっちまうんか?」

「そう」


 白髪の女は当然のように頷いた。


 長谷川は食い下がる。白髪の女はピクリとも笑わなかった。ただ事実を述べているだけ、批判は勝手にしてくれてどうぞ、信じないのならそれもいい、私は興味ない、そう言われているようであった。


「命の無いものはこの世にはないが、仮にあったとして、それに命を芽生えさせられるようになるのには後何千年かかるのだろうな。長谷川の言ったとおりそれこそ夢物語だ。私がしたのは、命を可視化させる行為だ。人は自分の目に見えないことはまるで信じようとしない。勿論自分の目で確かめないことは信じられないのが通例だが、蹴られた物たちの悲鳴、殺処分される動物たちの物憂げな表情……彼らは想像すらできないはずだ。彼らが見ているのは、ゴミ箱はゴミを捨てる場所、動物は飼うもの、可愛いもの、という幻想だけだ。


 寝ぼけるのもいい加減にしろ。平和ボケが消えた次はお花畑か? 暢気なもんだ、何様だ。奴隷を従えて人間様か? 人間様になったつもりか? お前らは尊くなんかない。人間にしかない感情こそが、一人ひとり、人それぞれの感情が厳かだなんて馬鹿も休み休み言え。人間以外のものにも命があることを見ようとしないのはお前たち人間だ。喋らない、動かないだけで命がないのか? 結局、人間の複製に虐殺された。お前らが散々消耗してきた複製品にだ。みんな違ってみんないいはずの尊い人間がだ。人間は世の中に溢れた量産品以下だということが証明された。散々手に取って飽きれば捨てていた人形たちと、人間は何ら変わりない」


 白髪の女の声は、淡い外界の(とばり)を模した列車内によく響いた。吹き抜ける風の音すら聞こえない静寂によく響いていた。列車のシートに座り、脚を組み、組まれた膝に肘をつき、頬杖をつき、無表情で単調に語る彼女の姿は、同族を嫌うのとはまた違う雰囲気を醸し出していた。これはあれだ。女性が男性の性的な目を軽蔑するかのような表情。だが、彼女は無表情。どうして? 笑うことを知らないからではないか。笑うことを許されていないからではないか。笑う、という行為がプログラミングされていないアンドロイド。ロボットの模型――自分も人間だが、人間が嫌い。そうであれば辻褄(つじつま)が合うが、そうではない、と長谷川は思った。長谷川の知っている人間は、これほどまでに冷徹であっただろうか。声音を変えたり愛想笑いを多用したりする、長谷川が知っている人間の印象が薄れ、それではない人間が目の前にいる。


「あんたは、人間じゃないのか?」気づけば長谷川は問うていた。


「ええ」やはり彼女は声音も表情も変えずに言う。「拝金主義の富豪は白髪が好みだったみたい。ショートカットで顔が幼いのは現代では通用しない小児性愛から。クールでツンデレなアニメ主人公が好きだったらしい。だから私は笑わない。何から何まで富豪の趣味を反映させた人形だから。そういう塩基配列のクローン人間だから」


「そんな気がした」同時に、そうでなければいい、という願望が長谷川の中にあった。自分がもし誰かの飼い犬であったらひたすら吠えるだろう。吠えることも許されない――自分が富豪の趣味を満たすために生まれた人形であると知らなければ、それほど不都合ではないかもしれないが、知ってしまえば憎悪しか生まれない。


 共感――これもまた人間の生み出した悪意であろう。


 白髪の彼女の気持ちなど物理的に心の底から汲み取れないというのに、己の身体が「わかる!」と勝手に幸福な脳内分泌を促す。僕は相手の気持ちがわかった、わかってやれている――。


 嘘でしかないのに。


 闇は深い。闇の出口は存在しない。穴でもあけて照らしてやろうか? 彼女が穴を開けさせてくれるとも思わない。そもそも世界は終焉を迎えている。それならばやることは限られてくる。


 自分が死ぬか。

 相手が死ぬか。


 憎悪の対象を消し去ったところで己が救われることもないが、憎悪を手にさせられてしまった以上、対価として殺す権利は確かにそいつの懐にしまわれる。


「自分が殺されないために殺してはいけないのなら、殺さなければならない。奴らは殺した。この世界の人間のほとんどを。今やっているのは残党狩り。人のほとんどを殺して、世界を征服したところで従える大勢の愚民もいないのに、彼らは何がしたいのか私にはわからない。殺したら終わり。それは殺す側だって同じはずよ。だけど、彼らは人間のクローン化に成功した。これが何を意味するのかわかる?」

「あんたは何を憎んでいるんだ?」

「憎む? とんでもない。何も憎んじゃいない。ただ、生まれたときからずっと恥ずかしかった。何をするにも、しても、羞恥を抱いた。過去は思い出したくないことばかり。憎いから殺しに行くんじゃない。私は私の意思で殺しに行く」

「誰を?」そこで白髪の女性は押し黙った。無言で、無表情で、長谷川を見つめてくる彼女の顔は、「誰だと思う?」と聞いているようにも、考える時間を与えているようにも思えた。が、はっ、として改める。彼女はただ黙っているだけだ。そういう女の子、というだけだ。


「富豪はね、首絞めが好きだったらしいの。意図せず最愛の愛人を殺めたらしい。カフネ。これがもうこの世にはいないその愛人と、代わりに作られた私の名前」

「いいのか? その名で呼んで」

「ええ、お構いなく」


 カフネが立ち上がる。「こことももうお別れね」呟くと列車から線路に降り立った。長谷川もそのあとに続く。


 トンネルの先から明かりが漏れている。トンネルの出口に向かって二人は歩き出した。


「最後には笑って自分を殺せればいいのにな」


 長谷川は握っていた鈴鹿角の柄を強く握りなおした。


「そういえば長谷川……」突然名前を呼ばれ、心臓が大きく跳ねる。「ここ数年で生きてる人、私以外で見かけた?」


「いや」跳ねた心臓を悟られないようにとひっそりと呼吸を整える。「あでも」


「でも何?」カフネの顔が長谷川の顔に近づいた。恥ずかしげもなく近距離で見つめる目。長谷川は身を引き、一歩下がる。富豪は相当夢物語な妄想を見ていたに違いない。


「遠くからだから確信はないけど、神保町で反対車線に停まってたセダンの一つがさ、扉が閉まったように見えたんだよ。黒ジャンパーたちが態々車に乗り込むとも思えないし」


「神保町……」カフネが呟く。


「なんかあんの?」

「引き返しましょう」

「ええ? 出口までもうすぐじゃん」長谷川が言い終わる前にカフネは踵を返していた。「えーなに、そいつ助けに行くつもり? ほんとかどうか確信ないけど大丈夫?」トンネル内に声がこだまする。数十メートル先を歩くカフネに、人間の長谷川が追い付くのは難しかった。恐らく何か考えながら歩いているのだろう。以前、長谷川とカフネが一緒に歩いていた際は、歩幅が合っていた。


 カフネと長谷川との距離がだんだんと広がっていく。



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