タイトル未定2025/05/12 23:02
五号館三階、雛壇型の講義室の前方のドア。黒のジャンパーを着た男は講義室内を確認するように顔を覗かせていた。
長谷川が四階まで駆け上がり、雛壇の講義室内の前と後ろで銃撃戦でも出来たら面白かったのだろうが、三階に隠れてしまったものは仕方ない。階段を囲うように両サイドに通路があるのだが、講義室に面した逆側の通路に長谷川は身をひそめ、二階から三階に上ってくる黒ジャンパーの足音に耳をそばだてていた――。
もし黒ジャンパーが階段を上がって左に曲がる――講義室側とは逆、すなわち長谷川が隠れている通路を選んでいたら? 目が合ってから逃げても遅く、長谷川が次の角を曲がる前に背中を撃たれるだろう。いやいやそれはないよ。もしそのときは手ぶらを主張するよ。両手を上げながら階段を後ろ向きでムーンウォークみたく下り、踊り場でコルトパイソンを回収する。コルトパイソンを拾っている間に打たれたらって? いやいやそれはないよ。現に、もうすでに黒のジャンパーは階段を上って右を進み、雛壇型の講義室前方のドアから顔を覗かせているのだから。運がよかったみたいだね。
「なんだ、手ぶらかと思ったじゃん」黒いジャンパーは長谷川に背後を取られ、両手を挙げた。
「このご時世、軽い気持ちで銃を買う人は多い。態々(わざわざ)免許取って、態々射撃場に行って発砲する人もいる。拳銃だけじゃなく、散弾銃、スナイパーライフル、サブマシンガン、アサルトライフル、多岐に渡る。皆、手馴れ始めてんだよ、銃の扱いに。昔みたいに上手く扱えるのは警察や裏社会の人間だけ、って訳でもなくなったのは周知の事実なんですけどね」
「お前、俺を殺したら殺人犯になるぞ」
「ああ、そうなんですか? あなたたちが見境なく銃を乱射していたので、そういうのは世界からなくなってしまったものだとてっきり」
「にしても、銃を持ってるなら最初から使えばよかっただろうに」
「本当ですよね。でも、母さんの泣いて呆れる顔が目に浮かぶので」
実際に長谷川の頭の中で母親の声がした。「あんた銃使って勝って嬉しいの? 銃使ったら勝てるのなんか当たり前じゃない。だって銃よ。ジュウジュウうっさいって? 母さん悲しい。こんなに真面目に訴えてるのに、ホットプレートの上でシャウエッセンジュウジュウしてると思われてたなんて」
直後、黒いジャンパーは右足を大きく振り上げ、回し蹴りで長谷川の向ける拳銃を落とそうとし、実際、長谷川は右手に蹴りを食らって持っていたコルトパイソンを落とした。「母さん、シャウエッセンは、ニ年前に販売終了したよ」「あら、そうだったかしら。でもジュウジュウするじゃない」「どっちかと言えばパキッじゃない?」「え? シャウエッセンはパキッなんて言わないわよ。母さんの膝みたいじゃない」
眼前に迫る目を丸くした黒ジャンパーの顔。長谷川は左手に持っていたブレンテンの銃口をこめかみに押し付ける。
「こっちが自前」
右手を添え、引き金を引いた。