1-9 成長と停滞
-今日で一月か…-
-意外と色々できるようになってきたな-
パスカルが魔法を知って以来、毎日繰り返してきた魔力の特訓も30回目を迎えた。
厳密には暦が同一でないことも考えられるが前世での慣習に従って数えていた。
-でも体の中で移動ができるようになってもそこから母さんみたいに水を作るにはどうすればいいんだ?-
-多分体の外に魔力を放出するんだろうけど、それそのものを外に出しても何ら変化しないんだよな-
あることを解決すればまた難題とパスカルには魔法が果てを目指す試練に思える。
-何かの呪文みたいなのを唱えているのはわかるんだけどどうもそれがわからない以上手詰まりだな-
-こればかりは俺だけでは解決できない、成長を待つしかない、か-
これまでの訓練は自分だけでどうにかなってきた。しかしあの光景を作り出せるだけの技量を手にするためにはおそらくアデリナからあの時紡いだ言葉を聞かないと不可能だろう。諦めとも絶望でもない厳然たる事実としての壁がパスカルの前にあった。
-ちょっと悔しくはあるけど、でも楽しみがなくなったわけじゃない-
パスカルは一月の間に己にしか見出せない道楽のとりこになっていた。
-まさかあの特訓で魔力らしきものが増えるとは思わなった。しかも結構な量が増えるとは僥倖だな-
始めの頃には総量として小さな水たまり程度の頼りない魔力が、日ごとに流量を増し今ではその流れは奔流と言えるようになっていた。
さらに魔力の移動に伴う負荷も魔力量の増加に伴って著しく軽減されていた。
-あの時俺は動かす距離に応じて負担が増すと思ってたけど、それだけじゃない魔力量に反比例して強くなるらしい-
だからこそ最初に内には少しばかり動かすだけで眠りに落ちたり、全力疾走したような疲労があったのだ。
そうした苦心が当惑へと変わるまでにはそう長い時間ではなかった。気が付けば疲れは思いのほかなく、どれだけ速度をつけて魔力を巡らせても眠るどころかかえって集中する始末。そんな変化がとてつもなく喜ばしかった。
それはある種の考査にも似ていて自分が日々成長することを、数字でなくとも感覚として確かにつかむことができる、そんな儀式でもあった。
-だから今はあの魔法が使えなくてもいい。その代わりこの魔力をいくらでも伸ばしてやる-
-ついでに訓練は両方効果ありそうなことが分かったしな-
パスカルの思いついた二つの方法はそれぞれ違うものの相乗的にもたらしていた。高速での移動は全体的な魔力量の向上を、低速での移動は体の隅々まで行き渡らせる制御をパスカルにもたらした。
一月前であれば何となく指先までと考えていた伏流は今ではもっと細かな単位で動かすことができるようになっていた。
-目指すは細胞単位かな、ただ時間が掛かりすぎるだろうからmm単位ぐらいがいいかな-
-無意識的に動かすことができるようになれば楽だし細胞単位で動かせたりできそうなんだけどな-
遥かな目標を持つわりに怠惰な部分が顔をのぞかせる。
-むしろ半端にムラを作って血管に乗せるようなイメージで高速移動とかも良いかもな-
次から次へとアイデアが浮かんでくる。疲れがない分思索に費やす時間がかつてのように戻ったこともありパスカルは絶好調ともいえる状態だった。
-こんなに色々考えたのは久々だな。ずっと疲れて寝るか落ちてるかばっかりだっし-
-何かあの時みたいだ-
脳裏に浮かぶのは胎内での時。あの時も己の思考のみが拠所で意識のある時にはずっと考え事をしていた。
-今となってはちょっと恥ずかしくもあるが、良い場所ではあったな-
母親を恋しく思っているのと同義ではないかと、気づき顔が朱に染まる。かぶりを振って熱を持った頬を
冷やそうとしても赤ん坊の体はそこまで上手くは動いてくれない。
-腹も減らない、何となくあったかかったし、暗いのと音がほぼないことだけ除けばあれが極楽なのかもしれないな-
思いもよらないところで己の不明が啓いた気がした。
-とはいえさすがに戻りたいとは思わない。…でも同じぐらい楽には過ごしたいな…-
魔法のある世界でどのような人生を送るのかはわからない、だが魅力的なものがそこにある以上手は伸ばす。
同時に如何にしてぬるま湯に似た環境で生きるかに知恵を絞るパスカル。
かつての生活から離れ異世界ではあっても自身の選択が存在することにたまらない甘美がある。
-それにこんなに早く意識と知識があるんだ、前世で言う株式投資をやって配当生活とか最高だな-
俗物的思考が首を擡げる。だが彼は知らない、彼のイメージするような概念がまだ存在しないことに、
そして己が何を間違えたまま思考を進めているのかを。
-そうすれば働かなくていいし。一日グダグダしてても良いじゃん。魔法だろうと何だろうとずっと考えてられる-
夢想は際限なく広がっていく、それが可能かどうかを無視して。
高まっていく自身の力に浮かれていたのかもしれない。それでも彼がミスをしたことは変わらない。
何時かその時が来たときに悟るだろう。その時まで彼の意識の片隅で眠り続ける。