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1-1 プロローグ

 

 「これやっといて」


 いつものお決まりとなった言葉とともに紙束がデスクに放り投げられる。資料というにはお粗末な数字や言葉の羅列、これを客に提出できるだけのものに作り替える。それが男に課された仕事だった。


 髪には油が浮き、その眼には赤みが走る。


「……これ、絶対今日には終わらないよな」

 呟いた言葉は誰にも聞こえはしない、そんなことは男もわかっている。それでも愚痴らずにはいられないと手がデスクの隅のエナジードリンクに伸びる。

「……あれ、こいつも空か」


 缶を逆さにしても中身はなくただ丸みを帯びた粒がほんのすこし顔を出すだけ。いら立ちを隠すことなく缶を握りしめ潰す。


 己の握力の限界まで缶をへこませた後でゆっくりと息を吐き、男は立ち上がった。ゆったりとした歩みでデスクを離れ自販機へと向かう。


 いつの間にかこの動きにも慣れてしまったと内心で一人ごちながらポケットの小銭を探る。ポケットの中で少し硬貨に触れるだけで目当ての金額になるように何枚か小銭を選び取る。これもか、と習慣にすらなってしまった動作に自嘲の笑みが浮かぶ。


「いつまでやるんだろうな、こんなこと」


 男がこの場、勤める会社に来たのは2年前だった。当時の新卒採用対象として門をたたいた彼はその後何ら問題なく入社へと進んだ。


 しかしその会社は所謂黒企業で限界まで人を酷使するのが当たり前だった。男としてもそれに気づいていなかったわけではない、


 話す口ぶりやそもそも選考時の面接での人間からして無茶をしているとしか思えない風貌をしていた。今の男に似てぬらりと光る髪に黒い隈を見せていた。


「やっぱ留年しちゃったしなぁ…」


 留年、男の人生はそこで一つ大きな転換をしていた。それまでは経歴だけ見れば立派としか言えないような人間だったものが気が付けば学年も変わることなく年月を過ごしていた。そしてようやく卒業できるめどが立った時には行く先もなくただ今のこの場所だけが見つけられた唯一だった。


 軽い回想と共にポケットから取り出した硬貨を自販機に入れていく。4回繰り返した後で先程飲めなかった飲料を買う。ガチャンとお目当てのものが足元で音を立てると部屋の明かりが消える。さっと缶を取り出して男はデスクへと戻る。


 その足取りは先程より少しばかり重たげだった。


「あー、もうこれ元データ無いじゃん。手打ちしかないか…」


 オフィスに人も居なくなったころ自重をしなくなった男は仕事をしながら愚痴を吐く。これもまた日課のようになっていた。


「とりあえずこの分は確実にまとめるとして、ここは精度が保証できないからスルーしてと」


 未だ減らない紙の束を少しずつ選別しながら手元のパソコンに数値を打ち込んでいく。端の数字に目がいくもののその意味は考えない。ただ目の前の仕事を如何に早く片付けるかだけが今の気持ちとなっていた。


「おっ、あとは図表ばっかか。これなら後1時間くらいでごっそり減りそうかな」


 文字ばかりの紙から脱出し男が持つ書類にはでかでかと図が載っていた。やたらに大きくグラフの形も適当さがうかがえるが男にとってはどうでもよかった。大事なのはそれよりも必要なものだけを抜き出して

 資料にさえすれば後は自分の仕事ではないということだ。喜色が浮かぶと同時、手がデスクの端へと伸びる。


 すっかりとぬるくなってしまったエナジードリンクを胃に放り込んでいく。


「また空かよ。まあ、いいか一区切りってことで」


 そういいながら男はデスクを離れる。今度は軽く伸びをしたり指を鳴らしながらゆっくりと歩く。


 煌々とした明かりが近づいてきたところでポケットに手を忍ばせる。


「ん? 小銭もうないか」


 手から帰ってきた感触は2つの冷たさ。これでは一番安い水すらも変えないだろう。億劫な顔をしながらも

 緩慢な動作で懐から財布を取り出す。


「千円はあるかな、と。あー、諭吉さんしかいないわ。自販機で使えたっけ」


 恐る恐るといった体で自販機に近づきながら投入口を調べる。1の後に0が4つ記載されている。


 どうやらこれでも買えるらしい。何とない不安が解消され、嬉し気にぴんと張った札を機械へ入れていく。


「これでよし、と」


 先程と同じものを買い、がちゃんと足元から音が響く。


「お、売切れだ。こんな風になんのか」


 違うのはここで缶が打ち止めということだった。明日の補充までもう買うことはできないという事実が恨めしくもあるが、それよりも目の前の赤く光るランプが男にとっては大事だった。


「2年もいたのにこんなになるの知らなかったな」


 処女雪を見たような気持になりながらもかぶりを振って釣りを出していく。いくら初めて見るもので面白くても今は仕事を終わらせたい。それにこれからも見る機会はあるだろうと男はデスクに戻る。意外なものに出会えたためかその足取りは打って変わり軽く楽し気だった。


 それから1時間、男は自分の予測通りに仕事を終えていた。


「フィーっと。ここまでやっておけば大丈夫っしょ。一応メールで送りつつデスクにも置いとくか。あとは帰るだけですねっと」


 漸くと言っていい程に解放された喜びに浸りながらそそくさと身支度を整えていく。メールに返事は期待していない、とりあえず資料を送ったという事実が大事だった。画面に表示されるバーが進行状況を知らせる。後2,3秒でメールは送れる。


 その間に男はデスクを移動し仕事をいらしてきた人間の机に資料を置いておく。そうして戻ってきたときには考え通りにメールも送られ帰宅の準備は一つ以外全て終わっていた。データが保存されていることを確認し、電源を落とす。それだけの動作が男にはこれ以上ない程、長い時間に思われた。お馴染みとなった青い画面に表示されるメッセージを早く消えろと思いながら見つめる。


 椅子に手をかけ3度ほど揺らしたところで画面が真っ暗になった。


「よし! これで帰れ…あれ」


 デスクとパソコンを見つめていたはずの男の視界はぐらりと傾き、いつの間にかデスクの収納が横になっていた。


 ガン、と何か衝撃音もしている。


 -これは…椅子が倒れたのか-


 -なんだ、頭も痛い-


 自分を襲う異常について男が認識できたのはそこまでだった。


 無数の星が散った後で男の視界はただ暗く、何も映すことはなくなった。


 男、佐々亮介がその生涯を閉じた瞬間だった。


初めまして、たくたくです。

他にも読んでいただいている方、初見の方、ありがとうございます。


色々と書いているうちに連載してみようと思い立ち作った作品です。

これからできる限り毎日投稿できればと考えています。


評価や感想を頂けると嬉しいです。

よろしくお願いします。

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