プロローグ
「今日はこれで終了です。各自片付けてから帰ること」
俺はいつもと同じ台詞を言うと、ごみ捨て等の最終確認をマネージャーに頼み教室を後にした。
ここは『香西クッキングスクール』。
俺がやっている料理教室な訳なんだが、趣味でやっていた自宅での料理教室が、いつの間にかこんなビルの一角に教室を構える事態にまで発展していた。
全てはマネージャーをやってるあいつの仕業なんだが。
最初、あいつは『こんなのこっそり自宅でやってるのは勿体無い』と、どこぞのクッキングスクールの講師枠を持ってきた。
そこまではいい。
『いつも定員オーバーで申し訳ない』という理由に託つけて、このビルの一角を借りてきて、俺が反対する間もなく生徒を集めて開校にまで持ってきていた。
水面下でそんな事をしているとはまるで気が付かないでいた俺も俺だが……。
借りがあるとはいえ、文句の一つくらいは言っても良かったんじゃないかと最近では思う。
文句を言ったくらいで取り止めにはならないだろうが、譲渡くらいはしてくれるかもしれない。
今日も動物園のパンダの気分を味わい終え、ビルを一歩外へ出た。
「あの女達は料理を習いに来たのか、俺を見に来たのか解らん……」
何で女性限定・・・・の料理教室を遣らせるあいつの気が知れん。
あの真ん中のテーブルにいた女、あからさまに俺に色目遣ってくねくねしてたし……。
そんな事をブツブツ言いながらビルの角を曲がる。
駐車場へ向かう路地裏に差し掛かったところで、暗がりに何かが転がっていた。
「犬? にしては大きいな」
おそるおそる近づいてみると、それは人だった。
薄汚れた少年。
「おい!? 大丈夫か!?」
意識は辛うじてあったらしく、俺の声に反応して小さく言葉を発した。
「……お腹ぁ……」
* * * * * * * * * *
一声発した後、少年は力尽きたのか声を掛けても叩いても起きなかった。
救急車とも思ったが、こんな薄汚れていては家出かもしれないし、下手すると虐待されてて逃げてきた子かもしれないと脳裏に過った。
マネージャーに『人嫌いなくせにお節介』と言われるが、知ったことでない。
そもそも人嫌いではなく、一部の人が嫌いなだけだ。
そんなこんなで俺はこの薄汚れた少年を車に乗せ、家に連れて帰ることにした。
幸い裏路地だったこともあり、人に見られて誘拐云々に勘違いされることもなく運んで行くことは出来た。
この少年、見た目以上に軽い。
最近の子ってのはんなそんなもんなのか?
その疑問はすぐに解けた。
ものすごっくガリガリなのだ。
あんまりにも汚いので、取り敢えず服を取り替え、身体を拭いてから寝かせようと脱がせたら、見事なガリガリ具合。
くっきりあばら骨は浮いてるし、お腹もぺたんこ。腕も脚も少し細すぎると感じる位。
本気で虐待を心配したが、痣や傷といったものが一切無かったので虐待とも違う気がしてきた。
そこら辺は本人が起きてから聞けばいいだけの話。
が、グッタリで起きる気配はまるでない。
病院に連れて行くのが一番かなぁ……、と困った。
「そんな時こそマネージャー」
トラブル回避はお手のものだ。
『もしもし』
「さっすが。三コール以内に出るなんて、マネージャーの鑑だねぇ」
『何かあったんだろう? 前置きはいいから用件を言え』
クールなんだか無駄な時間が惜しいのか、相変わらずの対応だ。
怒らせると怖いから、俺は本当に用件のみを伝えた。
* * * * * * * * * *
「用件を言えとは言ったが、『医者と点滴が欲しい』って言われたら、お前がどうにかなったって想像するだろう」
「いや、あんまり説明してると色々と怒られると思ってさ」
「まあ、怒るポイントはいっぱいあるな。それは後でじっくりと話そうか」
電話をしてから約三十分後、マネージャーはでっかい黒い鞄と美人を連れて来た。
俺が口を開く前に、美人は鞄をマネージャーからぶん取り、説明も何も聞く前に少年の診察を始めた。
少年のあちこちを触り、聴診し、『ふむ』とひと言発すると点滴に何かの薬剤を注射して少年に刺した。
「まぁ、ちょっと脱水が酷かったけど命には別状ないわ。一応抗生剤入れといたから。あと栄養失調がねぇ……。ちゃんと食べさせてあげてね」
「はい……。ありがとうございます」
一通り処置の済んだ女医は、件の鞄に道具を仕舞い始める。
「……この女医さん、通報とかしないよね?」
「それは大丈夫だ。お前は一応人気商売だから、俺の知り合いに頼んだ」
「え? 医者にまで知り合いいたの?」
「まぁな」
ポーカーフェイスなのか、このマネージャー常に表情をあまり変えない。
笑顔が出るのは商談くらいしか覚えていない。
他にどんな知り合いがいるのか聞こうとしたら、片付けの終わった女医が声を掛けてきた。
「あともう一本点滴入れた方がいいから、どこかで待たせて貰っていい?」
「それなら俺の部屋で。隣がそうなんだ。鞄を持とう」
女医の傍らに立ち、スッと鞄を持上げると空いた手で女医の肩を抱くマネージャー。
え? ここにも部屋は余ってますが?
そんな疑問を読んだかのように、マネージャーは俺の横を過ぎ際に囁いた。
「大人の・・・話し合いをするんだよ」
あー、そうですか。そういう知り合いでもあったんですね。
引き留めるとか野暮な事はしないが、せめて点滴交換する時間までには戻ってきて欲しい。
でないと電話を掛けるなんて野暮な事をするはめになる。
しかし、女医さんの後に俺とも『じっくり話す』んだろ? よく身体持つよなぁ……。
そんな事より、この少年は何でこんなに栄養失調になるまで食べなかったんだろう。
見た感じ十四歳位に見えるが、学校はどうしたんだろう。
親は? きょうだいは?
あの汚れ方は昨日今日家出をしてきた感じじゃない。
一週間は着替えやお風呂に入っていない感じだ。
誰も心配する人はいないんだろうか。
もし虐待ではなく家出だとしたら、彼が起きるのを待たないで警察にでも連絡しておいた方がいいのか?
この痩せ細った少年を見ていると、あの時の俺と重なって見えてくる。
食べれず、部屋の隅っこに踞っていたかつての俺に。
* * * * * * * * * *
点滴のパックが膨らみをなくしていた。
ぼんやりと過去の俺を思い出しているうち に、もう交換の頃合いになっていたようだ。
薄暗がりの部屋の電気を点けて少年の顔を見ると、運んできた時よりは幾分か顔色が良くなっているように見える。
「野暮な事をしますかね」
スマホを取り出しマネージャーの番号に掛けてやる。
『呼ばれなくてもちゃんと来ている』
スマホと背後から同時に声が聞こえた。
振り向くとマネージャー。
「!? いつ戻って来たんだよ! びっくりするじゃないか」
「普通に今戻ってきた。鍵の開く音くらいしただろう。気配を消してきたわけでもないのに」
またぼんやりしてたんだろう、とマネージャーは女医と二人で少年の元へ行く。
「あら、ずいぶん良くなったわね。これなら安心だわ」
そう言って新しい点滴パックに針を刺し直す。
「これが終わるまで待ってたいんだけど、これから他の患者さんとこ行かなきゃいけないのよ。ここの近くだし、すぐ終わるからまた来るわ」
「よろしく」
女医は腕時計で時刻を確認すると、慌ただしく鞄を持って出ていった。
残される俺とマネージャーと眠る少年。
「さて、話を聞こうか」
「これは仕方なく……」
「言い訳はいらない」
乱暴に顎を掴まれると、そのまま捩じ込むようにキスをしてきた。
「……女の匂いがするキスは嫌だ」
「お仕置きだからわざとに決まってるだろう。何の相談もなく勝手な真似するから」
「だから仕方なくって……」
「話の続きは後でだ。少年が起きそうだ」
言われて見ると、瞼をピクピクと動かして時折顔をしかめたりしている。
じっと様子を見ていると、ビクッと身体を震わせると少年は弾かれるように目を開けた。
「っああ!!」
「何!? 大丈夫か!?」
少年の声に驚いて思わず駆け寄った。
当たり前だが少年は状況が全く理解できていない。
俺と、俺のベッドに寝ている自分と、側でじっと見ているマネージャーを見て何故か怯えている。
「とりあえず今は何もしない。そこまで怯えなくていい。君、名前は?」
マネージャーは少年にいつもの冷静な態度で聞く。
でも『とりあえず今は』って言われれば、いずれ何かされるって事で。普通に俺でも怯えると思うが。
暫く少年は黙っていたが、マネージャーのポーカーフェイスという名の無表情な冷たい視線に耐えかねたのか、小さく何かを言った。
「聞こえない。何と言った」
「……」
「もう一度」
「……ポチ」
「は? ポチ?」
少年は自分の事を『ポチ』と名乗った。
当然偽名ウソに決まってるが、何でまた犬の名前を出してくるんだか。
「分かった、ポチ少年。うちの香西が拾ってきたからには、ちゃんと世話をしてやろう。その代わり、犬は犬らしく主人の言うことは聞くように。主従関係で言ったら俺が香西より上だ」
マネージャーはポチ少年の名前に対して否定しない代わりなのか、ポチ少年を犬と言ってのけた。
それに対してポチ少年も物わかりがいいのか、捨て鉢なのか、小さくコクンと頷いてみせた。
てか、何で俺がマネージャーの下なんだ?
まぁあいつに従って働いてる分にはそうなのかもしれないが、マネージャーとしてのお給料出してるのは俺なんだけど。
「それではポチ。今日からここがお前の住まいだ。香西のアレやコレの面倒見てやってくれ」
ニヤリと意味深げに笑うマネージャー。
アレやコレって、もしかしたらもしかするヤツですか!?
どう見ても未成年にそれはないでしょ!?
それとも俺の深読みし過ぎで、普通に洗濯とか掃除の事言ってる!?
ポチ少年は多分マネージャーの言っている意味は分かっていない。何か手伝えばいいんだ的に思っている顔だ。
「そう言うことだ。ま、今日は医者に診てもらったばかりだし、体調が戻るまでゆっくり休んで貰ってからだね」
そこにタイミングよくインターフォンが鳴る。
女医が戻ってきたらしい。
マネージャーのさっきの『今はまだ何もしない』はここの伏線に当たるのか、と漸く理解出来た。
マネージャー、何考えてるんだ!?
いっそのこと、俺が家出しちゃおうかな……。
読んでいただきありがとうございます。
ノベルバに掲載していましたが、保存したものが消えるというトラブルがあったので、こちらでバックアップを取りながらの更新に移行させていただきました。
更新時はちゃんと最後まで保存されていたのに、暫く経ってみたら消えてるって……。
謎いこともあるんですね。
コピペなりしてバックアップ取らないでいた私も悪いんでしょうが。
まぁ、こちらがメインで更新となります。
今後お付き合いくださいますよう、お願いいたいます。
楽しんでいただけたら何よりです。