無限な『ファンタジー』の自由を求めて~その世界の住人には、現実以外のなにものでもない。異世界人だって異世界に行きたくなると思うよ~
考えたらキリがなかった。もう、それだけ。
今年は台風が猛威を奮っておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は【なろう】で作品を書き始めてから十月で半年になりました。
小説を書いている底辺の『一般人』、せひろでございます。
活動報告で書けば良いものを、皆様にすっかり甘えることを覚え、エッセイで書き連ねるということをしております。
皆様とエッセイを書いたり読んだりしていると、まるで高校の文芸部にいるような感覚になります。人と関わるのって大事ですね。
まぁ、暇人の徒然でも鼻で笑いながらお読みください。
先に言います。これは何かを批判したり、自分の考えを押し付ける為のものではありません。
自分、心の攻撃も防御も低いので、誰かを攻撃したりされたりはしたくありません。
優しい世界の住人のようにお読みください。
今回少し思った事、それは『現実世界』です。
リアルだよ。リアル。
…………どっかの漫画家が言いそう。
ここで自分が言いたいのはファンタジー世界の中でのリアル。つまり世界の在りかたや普段の生活です。それを考えた上でのファンタジーの自由です。
自分は脳内から分泌される物質はファンタジーばかりなので、けっこう当たり前にファンタジーの設定を考えますが、皆様もけっこう設定を考えているのでしょう。
小説の書き方を勉強したいと思っている自分ですが、周りにファンタジー小説書きさんがいないので、そういえば聞いたことないな……と思ったわけです。
例えば国の名前、人名、技や特技など。ライトノベルには……まぁほとんどが西洋ファンタジーなのでカタカナですが、RPGでよく見る感じなものが並びます。
オリジナル戦記を書いている方は年表なども作るのでしょうか。家の形、住人の服装、食習慣、学校制度、就職事情、法律、政治、宗教などなど…………作ろうと思えばいくらでもあるのです。
小説だとそれがとても細かく決めないと、後で困ることになりそうで書き出すと果てがないのです。
これって自由になるのか? 自分の迷走が始まる。
ローファンタジーもかもしれませんが、ハイファンタジーって世界観さえも全て創作するものだと思っています。つまりこの地球とは全く違うもの、もしくは似て非なる世界が広がるわけです。
「ファンタジーなんだから何でもありでしょう?」
「そんなの全部考えていたら、話が始まらない!」
「現実持ち込むな!! 夢がない!!」
漫画を描いていたときもそんな意見を目にしたことがありました。確かに、いちいちトイレの便座の表現にこだわる訳にはいかないので、そこは省いていきますが(それが重要な作品もあるかもしれない!?)、それなら『ファンタジーが自由だ』と言われるのはどの辺でしょう。
『妖精や魔女、ドラゴンの存在する剣や魔法の王国。しかしいざ住んでみたら、そこには自分の現実が待っていた』
昔読んでいたファンタジー小説に、こんなニュアンスの一文がありました。子供心にその言葉は忘れられず、漫画を作る際には必ず頭をよぎっていきます。
小説の設定を考える方には当たり前かもしれませんが、自分はいつも思うのです。
ファンタジーも住む人間には現実なのだ……と。
ファンタジーが自由、と思うのは、異世界へ我々の世界から行った人間が感じることなのだと最近気づきました。
この日本もしくは世界の法律や常識から少しずれると『自由』になるようです。
都会人が田舎に引っ越したら、少しは似た感じを味わえるのか? とも思いましたが、田舎には田舎の決まりがあってこれからずれると、都会よりも恐ろしいことになります。
あ、この感じは田舎ホラーにあるわ。
ファンタジーじゃないよ。やっぱりファンタジーは時空を超えないとダメか。
この現実の地球とは違うどこか。
そこに転生、転移したか。それとも最初から住んでいるのか。どちらにしてもそこへいけば『現実』が待っている。
ちょっと考えたら、もう迷い込んでしまいました。
ファンタジーとは『幻想』でもある。
『自由』とは『幻想』の産物であるのでしょうか。
現実という土台(設定)があって、幻想は自由に動けるのです。
『現実世界』面白い作品ほどこれを忘れてはいけないと思っています。
異世界人がここの現実世界に来ても、チートとハーレム作れるのかなぁ。
職質されたら即退場になりそう。
オチが特に無くてすみません。キリがないってオチがないってことだった。




