"死の言霊"
「君はアタシより先に死ぬよ」
中学生の頃、初対面の私に向かって言い放った彼女の言葉に、カチンと来た。思えば、彼女が呪いの言葉をかけた動機も、私が彼女に抱いたマイナスイメージも、似たような感情だったのかもしれない。同族嫌悪だ。
それから私たちの奇妙な交友が始まった。
私は私に呪いの言葉をかけた彼女に嫌がらせする為、日々、「死」という単語を避けながらも「死」を想起する言霊を送り続けた。
無視すればそれまでだと言うのに、彼女はわざわざ私が投げつけた”死の言霊”を受け止めて、それを台無しにする装飾を施して、毎回突き返してきた。
「アンタは高い崖から落ちる」
「アタシはパラグライダーで空を飛ぶ」
「冷たい海で、アンタは溺れる」
「イケメンが命からがら、助けてくれる」
「青酸カリを飲まされる」
「口中にコンドームを仕込んで危機一髪。難を逃れる」
「なっ……」
「ねぇ、次は?」
中学生にしては、マセた価値観を持っていると思った。私がウブなだけだったのかもしれない。
彼女に会う度、私は必ず、”死の言霊”を投げつけた。
しばらく続けるうちに、とうとう引っ込みが付かなくなってしまい、いつの間にか、この行為が私たちだけの挨拶になってしまった。
この関係は対等じゃない。私から先に死の言霊を送らない限り、挨拶が成立しないからだ。
付かず離れず、十年続いた。
お互いに恋人が出来たときも、恋人の目を盗んでは、奇異に見られるこの挨拶を行った。
たまに女二人で遠出をするときは、私が車を運転し、彼女が助手席に座る。目的地に到着するまで、死の言霊を私が送り続けて、彼女がそれに応えることが定番になっていた。
目的地は、遠ければそれほど良い、飽和状態になるからだ。思いつく限りの言霊を投げ尽くした後、頭を捻って絞り出す死の言霊は、突拍子もなく下らない内容で、自分でも笑えてくる。
「ひ素を二グラム。朝のコーヒーに混ぜて、毎日、少しずつ」
「……弱っていく恋人を介抱する。アタシは悲劇のヒロイン」
「タバコ一本、溶かしたお茶をアンタがすする」
「一口付けてそのまま失神。摂取量が少なかったので、無事」
私は学がないから、一日経てばまるっきり同じ内容のものだったり、使う薬品の名前を変えたり、「崖」を「谷」に変えたりと、あまり変わり映えのしない死の言霊を投げつけていたけれど、受け手の彼女は毎回違う言葉を返してくれた。それが楽しかった。
「巨大怪獣に踏みつぶされて」
「イケメンが身を挺して助けてくれる」
「お餅をノドに詰まらせて」
「イケメンが背中を叩いて助けてくれる」
彼女が”イケメン”を乱発するときは、ちょっと疲れているときだ。私はここぞとばかりに、より馬鹿げた言霊を考えて、彼女に投げる。
「空から槍が降ってきた」
「イケメンバリアがアタシを守る」
「千本の針を飲まされる」
「スゴ腕イケメン医師がオペを担当」
「豆腐の角に頭をぶつける」
「“ほらな、なんともねえだろ?”と白い歯を見せてイケメンが笑う」
嫌悪感から生まれた”死の言霊”のやりとりは、二人だけの挨拶に代わり、二人だけにしか理解できない、歯が浮きそうな童心に満ちたスリルを味わえる”禁じられた遊び”になった。
だけど、これが”禁じられた遊び”になったからこそ、投げつけることのできない言霊が、一つだけ、私にあった。
【吊したロープに、首を括りつけて……】
中学生の頃、私は自宅の机の引き出しに書き置きを忍ばせて、制服に着替え、指定の鞄の中にはロープだけを入れて、学校へと向かった。
夜の校門ではち合わせた彼女も、私と同じ出で立ちをしていた。目が合った時、彼女は一瞬驚いた表情を見せたけれど、すぐに微笑んで、私に言ったのだ。
「君はアタシより先に死ぬよ」
この時、命を絶とうとしていた私の運命が瓦解した。代わりに湧き出でてきた感情は、彼女に対する憎悪だった。「コイツの言うとおりには、絶対ならない!」という想いが、私をつき動かした。
それから十年。
……新しく繕われた運命は、悪くなかった。なぜあの時、命を絶とうとしたのか、その理由さえも霞んでしまうほどに。
【吊したロープに、首を括りつけて……】
次に彼女に会うときは、この死の言霊を投げつけられるような気がした。いや、必ず投げつけてやろうと思った。命の恩人に感謝を込めて。
それは叶わなかった。出会って十年目の夏。縄を使って、彼女が命を絶った。
告別式が終わると、私は喪服のまま、車を遠くへと走らせた。とにかく遠くへ。行き先は決めなかった。
車の中で一人、死の言霊を呟いた。
「隕石に押しつぶされて」
……答える人はいない。
「……アンタは死ぬ」
”アンタ”は、もういない。
「後ろからナイフで刺されて。……アンタは死ぬ」
どうしても言えなかった。
【吊したロープに、首を括りつけて。アンタは…………】
ガソリンを補充しながら夜通し走り続けて、見知らぬ土地の川縁で、車を止めた。空が白んできていた。
喪服のまま草むらに寝そべって、私は大きく伸びをした。
……初めて出会ったあの時、彼女は私と同じように、命を絶とうとしていたに違いない。鞄には、きっと私と同じようにロープを入れていたのだろう。
私が死の言霊を投げつけるたびに、彼女がひとつひとつ丁寧でバカげた装飾を施して突き返していたのは、私に言ってほしかったのだ。自分の中で蠢いている感情を笑い飛ばすために。
……遅くなってごめん。言うよ。
「吊したロープに、首を括りつけて。アンタは…………私たちは………………死ぬ」
"君はアタシより先に死ぬよ"
……むかっ腹が立ってきた。
きっとあの日、私の目的を彼女は一瞬で理解していたのだ。そして彼女の言葉に生理的にカチンときた私の気持ちもわかった。
彼女は細身だ。私が太ってる訳じゃない、彼女が極端にスレンダーなだけだ。
彼女より私の方が先に死ぬ。あの時送り付けてきた呪いの言葉は、私に対する皮肉だ。
『君よりアタシの方が軽いから、一緒に首を括れば君の方が先に死ぬよ』
「大きなお世話!!」
私は私が勝手に思いこんだ、彼女の言葉のウラに対して、大声で言い返してしまった。
「あっ……」
恥ずかしくなって、あたりを見渡した。川縁には誰もいなかった。
死んだ奴の気持ちなんて、わかるわけがない。あの時私が死のうとした理由なんて、今では思い出すことも困難なほど、下らないことだった。あいつだって似たようなものに違いない。
下らない。下らない理由で死ぬなんて、本当に下らない。
下らない理由で死んだ奴のことで落ち込んでいるなんて、もっと下らない。
そう思ったら、お腹が空いてきた。
山間から川縁に向かって朝日が差し込んでくる様子は、なかなか綺麗だったけれど、そんなことより腹ごしらえだ。
車に乗り込んだ私は、田舎の広々とした駐車場があるファーストフード店で、食欲を満たし、車の中で寝た。
正午すぎに起きた私の髪はボサボサで、喪服はヨレヨレだった。コンビニで下着を購入し、履き替えてから、長い長い時間をかけて車を走らせ、家路についた。
明日は会社休も。
仮病を使って急な有給を取ることを決意した私は、シャワーを浴びて、ベットにボフンっと、飛び込んだ。
惰眠の限りを尽くそうと目を瞑ったとき、ふとよぎった彼女の言霊を呟いてみた。
「君は、アタシより先に死ぬよ……」
彼女が死んでから初めて、涙がこぼれた。