第八話 赤い鹿
次の日、まだ朝日が昇らぬ真夜中と呼べる段階で目が覚めた。寝転がったまま息を潜めると聞こえてくるのは下のベッドから聞こえてくる寝息のみな事を確認し、私は速やかに着替えをして部屋を出た。
外に出ると寒々しい空気が身体に纏わりついてきて鬱陶しく思う。持ってきたマントを羽織ながら、私は自警団の敷地外へと歩き、門番の姿を探した。門番はちゃんといた。今日は顔見知りの中年男だ。
「おう、シェインまた仕事か?」
「ん」
私は外出許可証を門番に差し出す。
「はい、許可されたし。気をつけてな」
「了解」
門番に見送られながら、私は首都の近くにある村へと向かった。徒歩半刻で着くその場所ではどうも家畜が食い荒らされる事件が起こっているらしい。その調査に行くことになったのだ。
私はここ1年、たまに自警団が受けている依頼を個人で引き取っていた。班という団体で行けば迷惑になる依頼は相棒と一緒に二人で受けることが基本だが残念ながら私にはその相棒おらず、そして単独行動を好むため依頼は個人で受け取っていた。一人でもちゃんと仕事はこなしてきているので苦情が入ったことはない。無愛想すぎて喧嘩を売られたことならあるが。
民ではどうしようもない案件を依頼という形で自警団に引き受けている。依頼は遠方からや難易度が高いものがあったり数が多かったりとするが、その依頼をすべて自警団だけで引き受けるのは辛いものがあるため、外部からくる者が依頼を引き受けたりする。ほかの国でいうギルドのような役割を持っているのだ。その外部の者は自警団から付与されたランクによってとれる依頼の難易度が変わる。ランクはFから始まり、依頼をこなしていくことで上がっていく仕組みである。ちなみに依頼をするには金銭が伴うため依頼を引き受けた者はお金を貰うことができる。依頼料の何割かは自警団が仲介料として取るが、それ以外は依頼を受けた者が貰うお金となる。そのお金で生計を立てている者は少なくない。尚、自警団の者が依頼をこなした場合はほとんどが仕事の一環として行っているが、給料は通常通り出されるため、依頼料2割がそれに付与される。その2割も相棒がいれば人数分に分けられる。
本来なら、サミルも連れてくるべきなのだが、新人であるし今だ寝不足の隈が見られたため(おそらくビラスのせい)おいてくることにしたのだ。
起きた時に私がいなかったら驚くだろうか。まあ掲示板に書いてるし、わかるだろう。
目的の場所が目前に迫ったその時だった。
目の前に大きな動物が飛び込んできた。よく見ると大きな鹿だった。私は大きく飛びずさった。
「何?」
私は目の前の大きな鹿を凝視した。見かけは普段森で見る鹿と変わらない。なのに異様な気配をこの鹿から感じた。動物が威嚇する時に使う殺気以上の気迫を受けて腕に鳥肌が立ったのだ。
短剣の柄に添えていた手を掴む手に変えた。その時だった。
――ブオオオオオオオオッ
目の前の鹿から発せられたとは思えないほどの鳴き声を空に向かって高々と響かせた。そしてこっちを見た時の目は真っ赤になっていた。
――ガアアア!
(なんじゃあれ)
私は見たものを疑った。そして驚きのあまり口調が元に戻ってしまった。それは草食動物にあるまじきものを見たせいだ。
鹿は基本的に草とかを食べる草食動物だ。そう、草食動物のはずなのだ。それが今目の前にいるのは刺々しいほどの鋭い牙を生やし、口が通常よりも大きく裂けたような肉食獣だった。
「え?…は?」
もはや疑問しか沸き起こらない。
そして疑問だらけの肉食獣は襲い掛かってきた。どうやら理性はないらしい。理性が少しでもあれば、相手にしちゃいけないものだって分かるだろうに。あろうことか汚い涎のようなものを周囲に撒き散らしている。
汚ね。ていうか、あの涎シュウウって音立てて石とか溶かしてるし。
なんて迫り来る赤目の鹿を冷静に分析しながら片手に剣を構える。そして鹿との一騎打ちの決着は一瞬でついた。
赤目の鹿の一直線の素早い攻撃を紙一重でかわし、そのかわしている間に横を通り過ぎる身体を切り裂いた。
大きな巨体が倒れた音が聞こえた。
振り返り、普通の鹿が流す血よりも濃い色の血を見た私は眉をひそめた。血の色もそうだが、鹿を切った後の臭いが普通ではないほどの異臭を放っている。おそらくこいつが家畜を食い荒らしていたのだろう。さっきまで食事でもしていたのか臭いが生肉のそれだ。ああ気分が悪い。
と思いながら観察していれば、突然シュウウと音がしたかと思えば赤目の鹿の全身がまるで蒸発でもするかのように湯気をあげて骨まで跡形もなく消えてしまった。残ったのは赤い目玉一つ。それもガラス玉のように固くなり最後にはパリンと割れてしまった。
私はそれを呆然と見ている他なかった。