07 ライバルの存在
「だんちょ~。もう一軒行きましょうよ。あ!そうだ、アンナちゃんの食堂へ行きましょう!あの店、夜は酒が出るんですよね?」
「アンナの食堂ならこの時間はもう店じまいだ」
「そうなんですか?」
前方から歩いてくる人影から隠れるようにして、とっさに私は建物と建物の間のわずかな隙間に体を滑り込ませた。
「じゃあ別の店へ行きましょう!酒のうまい店、知ってるんで」
「飲み過ぎだぞ、エディー」
二人組のうち一人の声には聞き覚えがあった。
「俺まだぜんぜん飲み足りてないですよー。夜はこれからじゃないですか!だから、もう一軒行きましょうオリバー団長」
「俺はまだ仕事が残っているんだ。王宮へ戻るぞ」
「固いこと言わないで。仕事なんて明日でいいじゃないですか。今日は団長を励ます会なんですから」
「お前に励まされる覚えはない」
「なに言ってるんですか。人前であれだけ盛大にプロポーズをしておいてフラれたんですよね?俺の胸で泣いてもいいんですよ」
「泣くか」
隠れた建物から少しだけ顔を出して様子を伺う。どうやら前から歩いてきた二人組のうちの一人はオリバーらしい。そして、もう一人は誰だろう?暗闇の中、街頭の明りにぼんやりと映し出された二人の服装は白色。あれは王国騎士団の制服だから、おそらくオリバーの隣にいる人物も騎士団員なのだろう。会話の中でオリバーが彼のことをエディーと呼んでいたので、おそらくそれが名前だ。
あんな人、登場したかな?ゲームの記憶を手繰ってもやはり思い出せない。ということはたぶん登場しなかった人物なのだろう。
それにしてもまさかこんな時間にこんな場所で遭遇するとは思わなかった。
オリバー一人だったらすぐにでも声を掛けていたけれど、誰かと一緒に歩いているので声を掛けるのをためらってしまう。だからといって隠れる理由はないのだけれど、なんとなく私は建物と建物の間のわずかな隙間に身を隠し二人が通り過ぎるのをじっと待つことにした。
「でも俺は今でも信じられないんですよ。あのアンナちゃんが本当に団長のプロポーズを断ったんですか?」
エディーの問いにオリバーが冷静に答える。
「ああ、はっきりと断られた」
いやいやいや、断っていないから!何も言っていないから!あなたの勘違いだから!
すぐにでもその誤解を解きたいのに私は身を隠しながらぐっとこらえる。
「で、これからどうするんです?」
道に落ちている小石を蹴飛ばしながらエディーの呟く声がする。夜の静寂の中、その石はカラカラと音をたてて転がり私の隠れている建物の前でピタリと止まった。
「どうするとはどういう意味だ?」
オリバーのその言葉にエディーが深いため息をつくのが分かった。
「アンナちゃんとのことですよ。プロポーズを断られちゃって、それでもこのまま恋人を続けていくんですか?」
「………」
「別れるんですか?」
「………」
「別れないんですか?」
「………」
「まだ好きなんですか?」
エディーがオリバーにそう問いかけたとき、タイミング悪く強い風が吹いて木々を揺らした。そのせいで、その問いに対するオリバーの返事をうまく聞き取ることができなかった。そして、風がおさまり聞こえてきたのはまたもやエディーの深いため息だった。
「そもそも身分が違うんですよ、団長とアンナちゃんは」
「そんなもの関係ないだろう」
「そう思っているのは団長だけです。王国騎士団の団長と、街の食堂娘じゃ差があり過ぎますって。付き合うことはできても結婚となると障害は大きくて大変そうです」
「そういうものだろうか?」
「そういうものですね。だからアンナちゃんは団長のプロポーズを断ったと思いますよ」
「……そうか」
おいおい、エディー。お前にヒロインの何が分かるんだ。ゲームにも登場しなかったキャラクターなのにこれ以上よけいなことは言わないでもらいたい。
だんだんと二人との距離が近付いているのか、聞こえてくる声が徐々に大きくなる。私は建物と建物の隙間でひっそりと息をひそめ、二人が通過していくのを今か今かとじっと待つ。
「この際、シェリンダ嬢と結婚するとかどうです?もともと団長の婚約者ですよね?」
「おいエディ、前から何度も言っているが彼女とはそういう関係ではない」
「わっ、すんません団長。頼みますからそんな怖い顔で睨まないでください。分かってますよ。シェリンダ嬢の父親のノース宰相が勝手に話を進めようとしているだけですよね」
シェリンダ。
その名前はよく知っている。このゲームにも登場した。それはもうジャマなくらいにたくさん。
シェリンダ・ノース、19歳。
国の2大貴族のうちの1つであるノース家の令嬢で、父親は国の宰相を任されている。そしてエディーがさっき言ったように、父親のノース宰相は娘のシェリンダを将来有望な騎士であるオリバーとくっつけようとしているのだ。シェリンダもまたオリバーに恋心を寄せているのだけれど、彼女のアプローチをオリバーはことごとく無視している。
シェリンダは、オリバーに想いを寄せられているヒロインのことをよく思っていなくて何かにつけてかまってはいじめる、つまりライバルキャラだ。気が強く、自分に正直、思ったことをすぐに口にしてしまうような子で、ゲームに登場するたびに、ここでまたお前が出てくるのかよ、ジャマだよ、出てくるなよ、と心の中で毒づいていたっけ。
「まぁでも実際、団長のプロポーズをアンナちゃんが断ったことをノース宰相やシェリンダ嬢が知ったら、あの二人は今度こそ本気で団長を狙いにきそうですね」
「狙うって…人をまるで獲物みたいなに言うな」
「本当のことですよ。あの二人から見たら団長は獲物です。しかも貴重種!絶対に手に入れたい、どんな手を使っても手に入れたい。目に浮かぶなぁ。団長にアンナちゃんという可愛い恋人がいなくなれば次こそは自分の番だとはりきるシェリンダ嬢の姿が。俺、あのお嬢様苦手なんだよな。いいんですか団長?シェリンダ嬢につきまとわれても?」
「それは、困るな」
「でしょ?だったらアンナちゃんとは絶対に別れるべきじゃないです!俺、二人のこと応援してるんです。それなのにこんな結末イヤですよ。やっと諦められたのに、俺の気持ちぶり返させないでください」
「…何の話だ?」
「え?あ、いや…何でもないです。それよりも団長。この前のプロポーズですけど、あれはあれで俺はかっこいいとは思いますが、でもたくさんの人の前だったからアンナちゃんの気が動転していた可能性もありますし。もう一度しっかり二人きりの場所でプロポーズしたらどうです?二度目の正直って言いますし」
「それを言うなら三度目だな」
「あ、三かぁ。とにかく、もう一回プロポーズしてみるんですよ団長!それでもだめならもう一回!あと二回はできますよ。ほら、三度目の正直です!」
お…おお、エディー。
さっきはよけいなこと言うなとか言ってごめん。ゲームに登場しないキャラクターのはずなのに良いことを言うじゃないか。よし、この調子でもっとオリバーの背中を押してくれ。
「やり直せというのか?……いや、今更もう一度プロポーズをするなんてできない」
オリバーの小さく呟く声がする。そして彼は言葉を続ける。
「それに……そうだな。お前の言う通りシェリンダ嬢との話を進めるのも悪くないかもしれない」
「え?ちょ、団長。待って!さっきのは冗談ですって」
「いや、もうそれでもいい。アンナにフラれた俺だ。プロポーズを断られてこれからも依然のように付き合うのはもうムリだろう」
「本気で言ってるんですか?」
オリバーの言葉にエディーの驚いたような声が聞こえる。
「ああ。もうシェリンダ嬢でも誰でもいい」
「団長、自暴自棄ですか?」
「ハハ、そうだな」
二人のそんな会話を息をひそめてきいている私の胸はとてもざわついている。
オリバーとシェリンダが結婚をする。それは、攻略対象をライバルキャラに取られるという、ゲームでいうところのバッドエンドではないだろうか。そんなことになったらヒロインとオリバーが結婚できない。つまり、トゥルーエンドを迎えられなくなってしまう。ここまできてシェリンダにオリバーを取られるわけにはいかないのだ。
もういっそのことエディーなんて気にせずにここで二人の前に飛び出してしまおうか。そして、オリバーの早とちりな誤解を解いてプロポーズの言葉をしっかりと言えばいい。そうすればきっとトゥルーエンドを迎えられる。
よし!と決意して、隠れていた建物と建物の隙間から出ようとした、そのときだった。
…………ん?
足元に何かが触れていることに気が付いた。それは、もふもふとしたくすぐったいような感覚。何だろうと足元を見て、思わず叫んでしまった。
「ネコ!!!」
真っ黒な毛並みの猫だった。暗闇の中、満月と同じ色に輝く瞳が私を見上げている。
私は、猫が苦手なのだ。小さな頃に足を爪でひっかかれたことがあり、それから猫はダメなのだ。しかもあのとき爪をかかれた猫も黒色の毛並みだった。だから黒猫は特に苦手。
「シッ、シッ!あっち行ってよ」
必死に追い払おうとするのだけれど、黒猫はどういうわけか私の足元から離れてはくれない。それどころか擦り寄ってくるではないか。
こんな大事なときに黒猫め~。
それでも必死に追い払おうとしていたら、
「あれ~?アンナちゃん発見!」
どうやら見つかってしまったようである。
建物と建物のわずかな隙間にいる私のことを不思議そうに見つめる男の人はやはり初めて見る顔で、たぶんこの人がエディーなのだろう。近くで見ると彼の髪は白に近い銀色のような色をしていた。長めの前髪に、耳にかかるほどの長さの髪が、風が吹くたびにさらさらと揺れている。全体的に顔のパーツが整っており、彼もまたなかなかのイケメンではある。まるで絵本の中の王子様のような顔立ちだ。
私の名前を知っているということは知り合いなのだろうけれど、ゲームに登場しなかったエディーのことを私が知っているはずはない。
「こんなところで何してるの?…………あれ、猫じゃん!」
私の足元に擦り寄っている黒猫に気が付いたエディーがそっと抱き上げる。
「かわいいなぁ~。ほら見て、真っ黒!」
「うわっ!」
エディーが抱き上げた猫をわざわざ私に見せようと近づけてくるので慌てて彼から距離をとる。そうして私が逃げ場にしたのはオリバーの大きな背中の後ろだった。そんな私の姿を見たエディーが首をかしげる。
「アンナちゃん、もしかして猫が嫌い?」
「…………はい」
しっかりとオリバーの後ろに隠れながらそっと顔だけを出す。黒猫はエディーの腕の中で「ミャ~」と小さな声でないた。