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06 思い出せない?

「休んじゃってごめんね。お昼時の一番忙しいときなのに」


 謝罪の言葉を口にすると、マーデルはニコリと微笑む。


「たしかにアンナがいなくて大変だったけど、まぁいいってことよ」

「大将と女将さんは?」

「奥にいるよ」

「二人にも謝らないと」


 奥の扉へ向かおうとする私をマーデルの手が引き止める。


「その前に教えてよ。あのあとのこと」

「あのあと?」


 首をかしげる私に、マーデルが言う。


「オリバー団長の公開プロポーズだよ。たしかにあんな風に突然プロポーズされたらビックリだよね。アンナが気絶しちゃうのも頷ける。あのあとオリバー団長がアンナをお姫様抱っこして、そのままパレードを抜けて二人でどこかへ消えちゃったの。それで、そのあとはどうなったの?」


 マーデルに興味津々な様子でたずねられて私は答えに困ってしまう。まさかオリバーからあのプロポーズをなかったことにしてくれ、と言われたなんてマーデルには言えない。どう答えようかと迷っていると、明るい大きな声が部屋に響いた。


「あらあらもしかしてアンナちゃん?」


 奥にある扉が開いて、現れたのはエプロン姿の女将さんだった。


「もう大丈夫なの?」

「はい。すみません、連絡しないで休んでしまって」

「いいのいいの、気にしないで」


 女将さんは私のところまで歩いてくると、そっと肩に手を乗せる。


「それよりもアンナちゃん。私は今でもはっきりと思い出すことができるよ。この食堂でオリバー団長がアンナちゃんのことを助けてくれた日のこと。まさかあれがきっかけで結婚までいくなんて。アンナちゃん良い男捕まえたよ。まぁ昨日のプロポーズには私もすっかり驚いちゃったけど」


 やっぱり女将さんもあの場でプロポーズを見ていたらしい。


「幸せになるんだよアンナちゃん。食堂のことなら気にしないで。働き者だったアンナちゃんが辞めてしまうのは惜しいけど、こればかりは仕方のないことだからね」

「あ…え、女将さん?」

「お父さんも寂しがってたよ。アンナちゃんはうちのマーデルと歳が同じだからまるで娘が一人増えたように可愛がっていたから。この食堂が恋しくなったらいつでも食べに来ていいんだからね。元気で暮らすんだよ」


 どうやら女将さんは私がオリバーと結婚してこの食堂を辞めることを前提で話をしているようだ。それに合わせてマーデルも話に乗ってくる。


「結婚式にはもちろん呼んでくれるよね?」

「ちょ…マーデル!」


 今度はいきなりそんな話?


「きっとすごい結婚式なんだろうなぁ。だって相手はあの王国騎士団の団長オリバー・ウルフラルド様なんだからね。しかもついこの間の戦ではまた敵国の大将を討ち取ったみたいだしもう国民のヒーローだよ。あーあ、あのときチンピラたちに連れ去られそうになったのが私だったら、きっと今頃は私がオリバー団長と恋に落ちて婚約者になれていたのかもなぁ」


 マーデルの言葉に女将さんがすぐさま突っ込みをいれる。


「なに言ってるのマーデル。あんたじゃダメよ。アンナちゃんが可愛かったからあのオリバー団長も一目惚れしちゃったのよ」

「えー、お母さんヒドイ。それだとまるで私が可愛くないみたい」

「どう考えてもアンナちゃんの方が可愛らしいからね。あんたはもっとおしとやかにならないと」

「ふん。どうせガサツな性格ですよーだ」

「少しはアンナちゃんを見習いなさい。それであんたも良い男捕まえておくれ」

「よけいなお世話。ふん!」


 マーデルと女将さんの親子ケンカが始まってしまった。でもそれはきっと仲が良いからこそ言い合えるのだろう。そういえば二人はゲームの中でも今のようにヒロインを間に入れてよく言い合いを繰り広げていた。それを見たヒロインが故郷にいる母親のことを思い出すシーンがあったような気がする。


「それでアンナちゃんはこの食堂でいつまで働けるの?」


 女将さんが私を振り返りたずねてくる。やっぱり私はいわゆる結婚退職をするものだと思われているらしい。でも、今のところその予定はない。


「まだしばらく働かせてください」

「結婚式の日取りとかは決まったの?」

「いや…まだ、そこまでの話にはなっていないというか…」


 そもそもあのときのプロポーズをなかったことにされたので結婚式どころの話ではない。けれど、そのことを二人にうまく説明できずにとりあえず話の流れに乗ることにした。


「まぁそれもそうよね。なんせ昨日プロポーズされたばかりだっていうのに、そんなにいきなり話は進んでないわよね。私もマーデルもつい浮かれちゃって。ごめんね」

「いえ…」


 そういえばこれから大至急オリバーに会いに王宮へ行こうと思っていたのだけれど、食堂にはまだ夜の仕事が残っている。ここまで来たのだから帰るわけにもいかないし、事情が事情とはいえお昼時の忙しいときを無断で休んでしまったから夜は手伝った方がいいかもしれない。


 というわけで、私は王宮行きを後回しにすることにした。


 夜にお店が再開するまでにはまだ少し時間があった。大将と女将さんは夜のメニューの仕込みを続け、私とマーデルはお皿を拭いたりテーブルセッティングをしたりといつも通りの夜の開店準備を始めた。ゲームではやり慣れているとはいえ実際にここで働くのは始めてなのできちんと働けるか心配だったけれど、行動パターンがヒロインの記憶に残っているのか、次に何をしたらいいのか体が勝手に動いたので困ることはなかった。


 それからしばらくして開店時間になるとちらほらと客が入り始める。この食堂は夜からはメニューにお酒が加わるので労働終わりのおじさんたちで賑やかになるのだ。

 

 予想はしていたけれどお客さんの誰もが昨日の公開プロポーズの場にいたらしく、料理を持って店内を忙しく異動する私に四方八方から『おめでとう』という言葉が飛び交った。それに対してとりあえず笑ってごまかしながらその日の仕事を終えたのだった。


 ****


「お疲れ様でしたー」


 無事に食堂の仕事を終え外に出ると夜もすっかり深まっていた。昼間は賑やかな大通りもこの時間になると店の明りは消え、人通りもまばらになるようだ。


「これからどうしようかなぁ」


 小高い丘の上にそびえたつ王宮を見つめながら私は考える。本当はオリバーに会いに王宮へと行く予定だったのに食堂の仕事をしていたらこんな時間になってしまった。今から行くわけにもいかないし。


「明日でいっか」


 それに働いたら疲れてしまった。ゲームの中とはいえ体はしっかりと疲労を訴えるらしい。お腹は食堂のまかない料理をもらったのでいっぱいだ。ゲームでたまに映し出される大将の作った料理はどれも美味しそうで、今日初めて実際に食べてみてもやっぱり美味しかったからからつい食べ過ぎてしまった。


 私は、食堂から少し離れた場所にある自分の家へと帰ることにした。ちなみにヒロインは小さなおんぼろアパートで独り暮らしをしている。

 アパートまでの道のりはもちろん初めて歩く道だけれどゲームでは何回か通っていたし、それにここでもヒロインの記憶が体に残っているのか迷わずに歩くことができた。


 大通りを抜けるとだんだんと建物が減っていった。等間隔にぽつぽつと立っている街頭の明りを頼りに歩き続ける。頬に当たる風はひんやりと冷たくて、ふと見上げた夜空には大きな月が輝いていた。それは私が元いた世界でよく見ていたものとまったく同じだから、ついここがゲームの世界だということを忘れそうになってしまう。


 そういえば元の世界はどうなっているのだろう。


 私がこの世界に来る前、元の世界は日曜日の深夜だった。あれからここと同じように時間が過ぎていればきっと今は月曜日の夜のはず。ということは、会社を丸一日無断欠勤してしまったということになる。短大を卒業してから何となく入った会社の事務仕事はつまらなくてやりがいがまったくなかったけれど、それでも今まで一度も休むことなく皆勤賞だった。それなのに連絡もなしに休んでしまった。


 心配しているかなぁ……。


 いいや、元の世界に私のことを心配してくれる人なんていない。あの会社だって、多くいる事務員の一人である私が休んでも仕事はいつも通り何の問題もなく回るだろう。それに、最近ではゲーム漬けの毎日だったから同僚からの飲みの誘いも友達からの遊びの誘いも全部断っていたから、きっともう連絡もくれないだろうし。


 アイツは心配してくれるだろうか…。と、ふと元カレのことを思い出してハッとする。


「……あれ?思い出せない……」


 元カレの名前が思い出せないのだ。それ以外のことはぼんやりと記憶に残っているのに、どうしてか名前だけがすっぽりと記憶から抜け去っている。いったん足を止めてじっくりと記憶を探ってみても、やっぱり名前だけを思い出すことができなかった。


 まさか忘れたはずはない。まだ別れて3か月である。


「うーん。思い出せない」


 別に今更忘れても何の問題もないのだけれど、思い出せないというのはなんとなく気持ちが悪い。どうにかして思い出そうと一人でうんうん唸っていると、ふとどこかから男の人の声がした。その方向に視線を向ける。暗闇であまりはっきりとは見えないけれど、前方から、見覚えのある白色の服を着た二人組が歩いて来る姿が見えた。



※ 9/3 誤字を訂正しました。

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