02 乙女ゲームの世界へ
「…………ん?」
目を覚ましたとき、ふかふかのベッドに横たわっていた。
私、いつの間にか寝ちゃったの?
ぼんやりとする目で何度か瞬きを繰り返し、昨夜の自分の行動を思い返す。
たしかゲームのラストイベントが発生して、プロポーズを受けようと選択肢を選んだときだった。突然、ゲーム画面から眩しい光が飛び出てきて……それからは?
覚えているのはそこまでで、それからの記憶がない。
やっぱりあのまま眠っちゃったのかな?
「はっ!エンディング見てないじゃん!」
プロポーズの後のキャラクターとのトゥルーエンド。そういえば見ないで寝てしまった。ここまでこつこつとプレイしてきたのに肝心のラストを見ないなんてとんだ失態だ。
まだ見られるだろうか。
慌てて上体を起こし、近くに落ちているはずのゲーム機を探そうとしたのけれど………………………ん?ここ、どこ?
周りをきょろきょろと見渡してみる。
私の部屋じゃない。
そもそも私はベッド派じゃないじゃんよ!
普段の私はといえば、カーペットの上に布団を敷いただけの状態。いつも腰が痛くなるのだけれど、狭いワンルームのアパートなのでベッドを買ったらそれだけで部屋が狭くなってしまうのであきらめていたのだ。それなのに、どうしてこんなにふかふかなベッドで寝ているのだろう。
ベッドの横にある窓からは温かな日差しが差し込んでいる。涼しげな風が吹き込めば、白いレースのカーテンがひらひらと揺れた。ベッドサイドにあるテーブルには真っ白な可愛らしい花が一輪挿しの花瓶に入れられて置かれていて、部屋の壁には立派な額縁に入った絵が何枚か飾られている。
この時点でもうここは自分の部屋ではないと理解できるけれど、極めつけは正面の壁に飾られている立派なからくり時計だ。
バレリーナのような格好をした人形がくるくると回っている。ぼんやりとそれを見ていたら、突然、ボーンボーンと時計が大きな音で鳴り始めた。時間を見ると長針と短針がちょうど重なり合い、時刻は9時を指している。空が明るいのでたぶん午前中だろう。
くるくると回っていた人形の後ろには、楽器を持ったオーケストラ風の人形がたくさん現れて賑やかな演奏が始まる。それに合わせてバレリーナ風の人形がダンスを始めた。やがて長針がひとつ先に進むと演奏は止まり、オーケストラ風の人形が消える。と、バレリーナ風の人形がまた一人でくるくると回り始めた。
「……違う違う違う。こんなの私の部屋じゃない!」
慌ててベッドから降りようと地面に足を付け、そこでようやく自分が身に着けている服の違和感に気が付いた。
「え?なにこの服?」
私は白色のワンピースを身に着けていた。それも肌触りがとても良い生地でできている。
いつの間に着替えたのだろう?
たしか昨日ゲームをしているときの私の服装は、高校のときに使っていたあずき色のジャージ。お恥ずかしい話なのだけれど、26歳にもなってそれが私の正式なパジャマなのだ。それでないと落ち着いて眠れない。
それなのに、どうしてこんな白色のワンピースを着ているのだろう。仕事の通勤用にスカートは何着か持ってはいるけれど、ワンピースは一着も持っていない。
「……どういうこと?」
見覚えのない部屋。
持っていないはずの白いワンピース。
もう一度部屋の中を確認すると、すみの方に姿見が置かれていることに気が付いた。おそるおそる近付き、覗き込む。
「……………へ?」
思わず、間抜けな声が飛び出てしまった。
肩甲骨のあたりで内側にカールしている髪の色はハニーブラウン。前髪は眉が隠れるくらいの長さで切り揃えられている。くっきりとした二重、瞳の色は髪と同じだ。小さな鼻、薄い唇、ほんのりと赤く染まる頬。そして、白い肌。派手な顔つきではないけれど、地味というわけでもなく、例えるなら可愛らしいという表現が似合うような女の子。
―――――鏡に映る人物は私ではなかった。
純日本人である私の髪の色は黒だし、染めたことなんてない。顔だってまったくの別人になっている。おそるおそる自分の顔に触れてみれば肌の感触が伝わってきて、見た目は自分の顔ではないけれど、でもそれはたしかに私の顔で。
いったい誰の顔になってしまったのだろう…。しかし、そう考えてすぐに答えが出た。私は、この鏡に映る人物をよく知っている。
それは、ついさっきまでプレイしていたはずの乙女ゲームのヒロインととてもよく似ていた。
コンコン。
突然、部屋の扉がノックされて視線をそちらに向けた。返事を待たずに開いた扉から顔を見せたのは一人の男だった。
「!…アンナ」
その男は、姿見の前で立ち尽くす私をみるなり足早にこちらへ駆け寄ってきた。そして次の瞬間、私は男に思いきり抱きしめられてしまう。
「良かった。目が覚めたんだな」
私の頭は男の固い胸板に押し当てられて息ができない。男はと言うと私を抱きしめる腕にさらに力を加えてきた。
う…苦しい。出る。出るから。口から何か飛び出てくるから!
このまま抱き潰されてしまうのではないかと思うくらいの力の強さに、思わず私は両手で男の背中をバシバシと叩いた。しかし、熱い抱擁は終わらない。
え…?もしかしてこの人、私のことこのまま潰そうとしているの?
まるで巻き付いた獲物を締め上げて離さないような蛇のような抱擁に、私は少しだけ恐怖を覚える。
あ…やばい。また意識失いそう…。
「お兄様!アンナちゃんから離れなさい」
今度は女の子の声が聞こえた。すると、さっきまで強く抱きしめていた男の腕が私からゆっくりと離れていく。
「お兄様ったら、アンナちゃん苦しそうだったよ。目を覚ましたばかりなのにそんなにギューッと抱きしめたらまた倒れちゃうよ。ね、アンナちゃん?」
そう言って、私に向かって微笑む女の子の顔はどこかで見たことのある顔だった。
なみなみとカールした腰のあたりまであるブロンドの髪、ぱっちりとした大きな目、吸い込まれそうなほど綺麗な青色の瞳、長い睫、ふっくらとした頬、そして赤い唇。身に着けているドレスはレースで飾られた薄いピンク色だ。それらはまるでビクスドールのように可愛らしくてつい見惚れてしまう。すると、女の子はほんわかと微笑んだ。
「……あなた、もしかしてキャロライン?」
いや、まさかそんなことがあるわけないと思いながら問いかけると、女の子は首をかしげ不思議そうに私を見る。
「どうしたの、アンナちゃん?いつもはキャリーって呼んでくれるのに」
キャリーとはキャロラインの愛称だ。ゲームの中のヒロインは彼女のことをそう呼んで、妹のように可愛がり、時には親友のように互いの内緒話をしたりしていた。
「アンナちゃんはもうすぐ私の本当のお姉ちゃんになるんだから、キャロラインなんて固い呼び方しないでこれからもキャリーって呼んでよね」
知っている。
私はこの少女のことをとてもよく知っている。
彼女はあの乙女ゲームの中に登場するキャラクターの一人で、騎士団長の歳の離れた妹のキャロラインだ。
「そうだよね、お兄様?アンナちゃんはもうすぐ私の本当のお姉ちゃんになるんだよね?」
そう言って、キャロラインことキャリーは私の隣に立つ人物――さっき私を締め殺そうとした……じゃなくてきつく抱きしめてきた男へと視線を移した。
もしかして、キャリーがお兄様と呼ぶこの人物って……。
さっきは突然抱きしめられてしまったからしっかりと顔を見ることはできなかった。だから気が付かなかったけれど今度はしっかりとその顔を確認しよう、と私はおそるおそる隣の人物へと視線を上げる。
「気が早いぞ、キャロライン。俺はまだアンナからプロポーズの返事をもらってはいないんだ」
ビ…ビンゴじゃないか!
短髪のブロンドの髪。意思の強そうな切れ長の目。キャリーと同じ青色の瞳。少し色黒の肌。身にまとう白色の服は王国騎士団の制服。その上からでも分かるほど鍛え抜かれた体付き。腰につけられた立派な剣。襟元につけられた王家の紋章の入ったループタイは王国騎士団長の証だ。そして、胸元に輝く鳥のような生き物の金色の小さなバッジは国の英雄のみが付けることを許されているもの―――
――――間違いない。
今、私の隣に立っている人物の名前はオリバー・ウルフラルド。あの乙女ゲームにおいて私が攻略を狙っていた騎士団長その人である。
「もう!お兄様ったらどうしてあんな場所であんなこと言うかなぁ。大勢の人の前でプロポーズなんてするからアンナちゃん驚いて気絶しちゃったんだよ。返事もらえないのも当たり前。本当にもう!時と場所をしっかりと考えないとダメじゃない。これだから脳筋バカは困るんだから」
腰に手を当てたキャリーが頬を膨らませてプリプリと怒っている。
「キャロラインの言う通りだな。…すまなかった、アンナ。驚かせてしまって」
オリバーが心配そうな表情で私のことを見つめている。
え……?
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
どういうこと?
ゲームに登場するキャラクターが二人。今、私の目の前に立って話をしている。このありえない状況に私はただただ叫ぶことしかできなかった。
そして、またもや私の意識はプツリと途切れたのである。