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嵐は夜に  作者: あおい
04
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04-2


 つまらない村だ。

 年寄りは口うるさいし、中年共も上から人をどやしつけてばかり。


 年頃の女も皆、あか抜けない、口説く気にすらなれない幼馴染みばかりで、どいつもこいつも人に説教しやがる。時には口汚く罵る。


 何より最悪なのは自分――清の両親だった。毎日のように働けと命令され、無理やり畑仕事を手伝わされる。


 清は「あいつら全員、俺との距離を計算していない」と常々思っていた。人の心に土足で踏み込み、言いたい事をズケズケと言うのだ。

 誰も彼も失礼な奴らばかりなのである。


 このままこんな村で生きてゆくのは地獄であるが、町に出てゆけるほどの金も無かった。


 そんな日々の中、同じ年で一番嫌いな大助に婚約者が出来たと聞いた。

 あんな男の嫁になるだなんて物好きは、どこのどいつだろうか。でもどうせこの村には不細工しか居ないのだから、どうでもいい。


 そう思っていたのに。

 ある日、村人達に披露されたその女は、他の村の女だった。


 名を静子と言った。

 その名の通り嫋やかで儚げで大人しく控えめな、清の理想の女であった。

 何より顔立ちが可愛らしい。


 その女が大助の嫁になるのか、信じられない。勿体ないし、清は自分が欲しい、と思った。


 けれどこの村に嫁入りした彼女はいつも誰かと一緒に居り、清が近づける隙は無かった。


 大人しい女なので、他の女共も近づきやすかったのだろう。

 女房達が偉そうに村の事を教えている。しきたりやルール、それから人々の力関係などだ。

 可愛らしい静子に、釘を刺す意味もあるはずだ。


 愛らしい静子は年寄りウケもよかった。

 遠慮無く反抗する実の娘より、何を言っても素直に受け入れる静子の方が皆、可愛いらしかった。

 静子は誰からも受け入れられ、清よりも一気に、素早く、村に溶け込んでしまったのである。



 所帯を築いてすぐ、静子は妊娠した。

 みんなから祝福されるふたりを見ていると、腹の底から怒りと嫉妬が込み上げて来る。


 なぜ大助なのだ。いつの間に、どこで知り合ったのだ。

 静子は自分にこそ相応しいのに。


 清はふたりの自宅敷地内の、草と言う草を真夜中、結んで回った。

 大助がどれかひとつにでも引っかかればいいと思ったのである。


 転んで痛い思いをすればいい。きっと少しはスッと出来るだろう。

 捻挫でもするだろうか。小石で肌を切るかも知れない。打ち所が悪くて骨折でもしないかな。腰痛にでもなったらいい! そうなれば無様だ、嘲笑ってやる!


 だが翌日、転んだのは静子の方であった。

 噂によると、それが原因でお腹の子は流れてしまったらしい。


 苦しむ静子の様子を耳にした時、清は笑いを堪える事が出来なかった。嬉しくて楽しくて、久々に明るい気持ちになれたのである。


 静子も大助も、そして村人の誰もが……流れた子を思い、嘆き悲しんだ。

 草が結ばれており意図的な悪意は明らかだったが、誰の仕業か判明出来るような証拠はどこにも無かった。

 清にとっては最高の展開であった。


 それ以来、静子は伏せってしまう。

 大助が仕事に出かけ、静子がひとりきりになってしまった昼間――弱って抵抗出来なくなっていた静子を、清は襲った。

 大声を出す体力さえ無くしていた静子は助けを求める事も出来ず、清は思うまま乱暴した。


 清はこれまでの鬱憤の全てを静子に叩き付けた。

 何時間も乱暴を加え、自分が今何をしているのかすら分からなくなっていたが、それでも身体と感情を止める事はしなかったし出来なかった。


 そして気づくと目の前で全裸の静子が、冷たくなって横たわっていた。


 彼女の両手に握られているのは、短刀だった。それで自分の首を突いたのだ。


 白い身体は全身が血まみれで、美しかった。くびれた腰や初々しい乳房が、血に塗れていても艶かしい。

 もう生きてはいない女なのに、目が離せなくなっていた。


 長い間――呆然と静子の身体を眺めていると、そこへ誰かがやって来た。

 大助の妹だった。

 彼女の悲鳴で清はハッとし、その場から逃げ出した。



 何も持たず、行き場も無く。清は山の中へと逃げ込んだ。

 今頃は村中が大騒ぎになっているだろう。


〈村〉は犯罪者や裏切り者を許しはしない。

 それは小さいながらも社会として機能させるため、必要不可欠な〈鉄則〉なのである。


 きっと清は山狩りをされてでも見つけ出され、残酷な手段で始末されるだろう。

 それは皆に公開されるのだ。犯罪を犯すと罰せられると、皆に知らしめるためである。


 してはいけない事は、してはいけないのだと子供達に教える意味もあった。それはどんな村でも当然の事だし、村八分などは有名な罰である。


 悪い人間を許してはいけない。それは村の機能が正常に作動しなくなる原因にしかならないのだから、絶対的に必要な事なのである。


 清は、人の嫁を乱暴して自殺させた。どのような罰が科せられるか、何となく想像はつく。目には目を、だ。


 清は山を走った。無目的だったし、混乱もしていたし、感情が落ち着かないので立ち止まる事が出来なかった。

 恐怖にも似た気持ちが背後から、闇のように追いかけて来る。


 奥へ、奥へ――獣道さえ無い場所へ清は走り込んだ。



 気づくと日は暮れており、三日月が出ていた。

 周囲の木々の隙間からうっすらとした光が零れるだけで、清の周囲はほとんど闇と変わらない。


 身体が冷えていた。走り回っている間は体温も上がり、汗も流れていたのだが、その汗が逆に身体を芯まで冷やしてゆく。もう、走る体力も気力も無くなっていた。


 なぜ自分がこのような境遇に追いやられてしまったのか。

 遊んで暮らせる財産を持たずに自分を生んだ両親のせいだったし、大助と静子のせいだったし、糞みたいな村人のせいであった。


 恨みと怒りが頭に満ち満ち、爆発してしまいそうな程の頭痛になっていた。

 ガンガンと脈打ち、とても痛い。この痛みすら村のせいだ。


「あいつら……くそっ! くそっ! くそっ! くっそおおおっ!」


 地面や木々を蹴り散らす。

 そして何発目かの蹴りの時、右足は奇妙な感触を味わっていた。


 それなりに固い物を蹴った感触だった。けれど他の木ほどは固くなく、何かを壊したのが分かった。

 誰かが石か木でも組み上げていたのだろうか。ガラリ、と音もした。


 ツン! と生臭い臭いが鼻の粘膜を突き刺して来た。反射的に吐き気をもよおす臭いだった。

 両手を口元に当て、呼吸を殺す。

 と同時に、背中の毛穴が開いてしまったような怖気がしたのである。


 肥だめでもあったのだろうか。そして注意書きの看板でも蹴倒したのか?


 清はチラリとそのような事を考えたが、そもそも、人の住んでいないこのような山中に肥だめを作る必要は無いだろう。あまりにも人里から離れている。デタラメに走ったとは言え、人が入らないであろう方向へ何時間か移動して来た場所なのだ。


 それに、どう考えても肥だめとは違う種類の悪臭だった。ちょっと思いつかない臭いである。

 ただただ、穢らわしくおぞましい。このまま呼吸を続けていては、内蔵が腐ってしまいそうな嫌悪感に襲われる。


 そして困惑と同時に心に吹き上がって来るのは、恐怖心だった。

 それも、生まれて初めてだと思う程の、強烈な恐怖心である。


 鼓動が押さえつけられたような息苦しさと、猛烈な吐き気と、何よりつらいのは孤独感だった。


 これまで村人に「駄目な奴だ」と嫌味を言われ続けて来たが、孤独など感じた事はなかった。

 友達も居ないし恋人も居なかったが、これほどひとりぼっちである事を心細く感じた事はない。


 身体が震える。ガタガタと震える。関節が痛い。



『おい、おまえ』


 始め、地響きかと思った。低い音が周囲に振動しただけで、それを声だとは思わない。


『卑屈で卑怯な性根の人間』


 ――……っ?


 空耳だと思った。暗闇の恐怖で幻聴を聞いたのだと考えた。けれど。


『本来なら即座に殺してくれるところであるが、血生臭いお前なら助けてやらんでもない』


「……は?」


 何か……分かるような、分からないような、妙な感じで頭の中に直接〈意味〉が流れ込んで来る。


『生贄を寄越せ。お前の代わりの〈死〉を私に寄越すのだ』


 生贄? とは、他の人間の事か?

 だが清は今更、村に戻る事など出来ない。生贄などどうやって。


「おっ俺は女を殺して村を飛び出して来た。今頃は俺を始末するために追っ手が散らばってるだろう。そんな俺に生贄など入手する事は出来ない。周囲の村にだって手配は回っているだろうし」


 助かりたいのはやまやまだった。だが追っ手に見つからず他の地域へ移動し、生贄を手に入れるのは難しい。


『ならばお前に道具をやろう。それを道に埋めるがいい。その上を歩いた者は全て、私の贄となる蠱物まじものだ』


 道に埋めるだけ、と言うなら人目を避けて仕掛けられるかも知れない。


「わ、分かった。それを村に仕掛ければいいんだな」


 自分の村に仕掛けてやる。村には入れないから〈外〉にしか仕掛けられないが。村の出入り口の道に仕掛けてやる。


『人がたくさん通る場所にしろ』


「俺がさっき殺した女は、他の村から嫁いで来たばかりの女だ。葬儀をするなら元の村から人がやって来るだろう」


『よかろう、最初はそれで許してやる。だがその後も私に生贄は捧げ続けろ。私に元の力が戻った後も、更なる増強の為、人が食えるように協力するのだ。それがこの祠を壊したお前のすべき事だ』


 壊したのは祠、だったのか。ならばこの怖気も分かる気がする。祠など、禁忌の象徴であるから決して近づくのではない、と幼い頃から叩き込まれて来た。


 自分が今話しているのは、禁忌の化け物なのだろう。決して侮ってはならない、おぞましいモノ。

 それが自分に協力を求めている。人の生命を欲して。


「協力すれば俺を助けるんだな?」


『ああ。私を解放した事がその証だ。お前は私がずっと張り巡らせていた〈道〉に呼ばれるように、ここまで迷い込んで来たのだ。釣れるなら誰でもよかったが、それがお前だったと言う事だ』


 呼ばれた?

 そう言えばこんな、道も無い場所で。暗闇で。

 視覚が捉える事すら出来ない祠を、この足が、まるで狙ったように壊せただなんて。


『似た波長が引き合うとは、このような事だ』


「え?」


『分からぬならいい。お前は何も考えるな。私に贄を寄越せ。それだけでいい』




 ――こんな俺の気持ちなど、お前には分からぬ。静子の生まれた村、もう少しで壊す事が出来たのに……無念よのぉ……無念よのぉ……。

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