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嵐は夜に  作者: あおい
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02

■02■


 まるで煙が吸い込まれてゆくみたいだった。

 気怠く流れる、大量の淡いエネルギー。


 龍壱はそれが流れてゆく方向へと視線を向けた。


 競技場の敷地内で一番背が高い建物の、屋上の方向である。

 屋内競技用フロアと事務館のようだった。その屋上に流れてゆくのだ。


 誰かが、あるいは何かの仕掛けがあそこにあるのは間違い無いだろう。


「ミハリっ」と思わず叫んだが、彼女は梨果と言う子と偵察に行ったのだっけ。叫んだけれど返事が無いと言う事は、離れた場所に居るのだろう。


「くっそー、階段かよっ」


 言い捨てると、龍壱は建物に向かってダッシュした。

 昇降口から勢いよく中に入る。どうせ誰にもぶつかるはずが無いのだから、それはもう思い切りよく。



 二段抜かしで階段を駆け上がり、屋上へ出る扉を開ける。


 朝の眩しい青い空が、視界に飛び込んで来た。

 冷たい風が肌を撫でる。階段を上って少し熱くなっていた身体に、気持ちいい冷たさであった。


 何が居るのかと身構えていた龍壱は、咄嗟に何も見つけられず、気が抜けた。

 もっと邪悪な風が渦巻いて、マフィアみたいなオッサンや化け物でも居るのかと思っていたのに。

 だってこれだけの人数を朝イチで倒し、自分や水玻璃さえ閉じ込めるだなんて。それに、携帯さえ圏外にしてくれた。


 なのに爽やかな風が漂っていて、あまりにも明るい。

 ただ、エネルギーの流れはある。


 龍壱は屋上に足を踏み出し、流れが向かう左手へ歩いた。

 壁沿いを曲がると、人影があった。


 女の子、だった。

 ひまわり色の長い髪が、風にふわふわと揺れている。


 その子はこちらに背を向け、柵の上に腰掛けて外を向いていた。


 だが龍壱がギョッとしたのは、その娘の事ではない。


 彼女の太ももの上に頭部を置いてるように柵の上に横たわっている、もうひとりの女の子の存在だった。


 細い手摺りの上に寝転んでいるのだ。ありえない。


 ――いくら体重が軽いか知らないけど、無いだろアレ……。


 そう。確かに身体は軽いだろう。

 その子は……人の年齢で言えば七歳、くらいに見える。小学校の低学年だ。身体だって自分達よりは小さい、けれど。


 柵がベッドになれるはずがない。


 ここからでは後ろ姿しか見えないが、座っている方の女の子は中学生くらいだろうか。小学生ではないようだし、高校生とも思えない。

 その右腕はゆっくりと、横たわる少女の髪を撫でるような仕草をしていた。


 ――あれ、どこの学校の制服だろう……下では見かけなかったような気がするんだけど。


 ふたり共、少しくすんだ深緑色の同じジャケットを着ている。どこにでもありそうなデザインではあるが、中学生と小学生で同じデザインの制服と言うのは聞いた事が無い。


 龍壱はエネルギーの流れを探した。漂い流れるそれらは、明らかに彼女達へと集まっている。


「あの……」と声を掛けてみたものの、続きの言葉が出てこない。


 座っている彼女がゆっくりと振り返る。


 白い肌にブラウンの瞳で、顔立ちは日本人より少し掘りが深い。目鼻の配置と輪郭のバランスも絶妙で、ちょっとお目にかかれない程の美少女だった。


 メディアになど決してその姿をさらしたりはしないであろう、ヨーロッパ貴族の深窓の令嬢だと言われても納得してしまう。どこかの国の姫君だと言われても信憑性がある程であった。


 彼女は小さく微笑み、口元に指を当てた。それは「静かにして」の合図だと、龍壱は思った。


 激しく拒否されないので、龍壱はゆっくりと近寄ってみた。

 近づくと風に乗って、いい香りが届いた。清潔感があり上品で、女の子らしい優しい香りだ。フレグランスや整髪料などの、人工的な香りではないような気がする。


 彼女は再び龍壱から視線を離し、太ももの上で眠る少女の方に顔を向けた。

 龍壱も転がっている方の少女を見る。エネルギーは彼女に注ぎ込まれているのが分かった。人、ではないのか?


 ――そうだよ、分かるじゃん。普通の子が柵の手摺りでは寝られないって。


 龍壱に反応しないのだから、本当に眠っているようだし。よくよく耳を澄ませば、寝息のような呼吸が聞こえるような気がした。


 敵意も殺気も何も無い相手に、気が抜けてしまう。殴り掛かれるような雰囲気ではなかった。

 だがこのまま放置してはいけないだろう。そのエネルギーをいつまで、どこまで搾取するのか分からないのだから。


「それ、みんなから気力を奪うの、止めさせてくれよ」


 彼女達の真後ろに立ち、龍壱は抗議した。


「んー。どうしよう……貰わないとこっちはこっちで困るから」


 拒否されるのは当然だ。こちらの要求をアッサリと受け入れる相手なら、最初からこんな事をするわけがないのだから。


 と言う事は、力づくで止めさせなければならないのか? こんな子達を相手に?


 女の子は殴っちゃダメと言われて来たけど、目の前に居るのは普通の、人間の女の子ではないような気がした。

 龍壱は〈人〉として暮らし始めてまだ数年で、こんな時には迷いが出る。




 自分は、人ではない。


 人の世界の言葉で言えば〈龍脈〉だ。

 土地に流れるエネルギーが淡く固まった、生まれたての龍脈であった。


 あの日、山を歩いていた楓に拾われた。

 今は一緒に暮らしている男だ。二十代半ば、くらいだろうか。ハッキリと年齢を聞いた事は無い。


 龍壱の眠っていたあの山に、間もなく道路が作られる計画が持ち上がったらしいのだ。

 無事に工事出来るだろうかと行政関係者から相談を持ちかけられたのが楓で、下見に来たのだった。

 土木関係の工事は実体験からか、事前にオカルト的な診断をする事は多いと言う。


 そんな楓の前に横たわり「にゃーにゃー」と鳴いていたのが自分、らしい。


 正直、あの頃の事はあまり覚えていない。

 意識がハッキリし、自我らしい自我に目覚めたのは、同居している三人が〈造ってくれた〉、この身体に入ってからである。


 高校に入学する前の数年間、人としてある程度の常識を教えられた。街に連れ出され、人間をウォッチングしながら、色々な話を聞かされた。


 人は人だが、ある程度カテゴリ分けは出来る。性別と年齢で大雑把に判別出来て、今。

 龍壱の目の前に居るのは、まだ幼い女性だった。


 肉体的にとても弱い存在なのだから、乱暴にしてはダメだ。強引な事もしてはいけない。彼女達が考えている事は把握しづらく、その心情は理解し難く、なかなか面倒でつき合い難い〈強敵〉らしい。


 そしてこの世に、人ではないモノが多数紛れ込んでいる事も聞かされた。

 そいつらが人の姿を真似る事も。



 だけど、目の前のふたりが〈人ではない〉と言う確信が持てない。

 殴っていいのか? ダメなのか? もっと分かりやすく悪人ぽかったらよかったのに。


 でもこのままにはしておけないのだ。みんなのエネルギーをこの子達に吸い尽くされてしまうわけにはいかないのだから。


 龍壱はやっと気持ちを入れ替えて、抗議する事にした。

 女の子には手を出すな、と厳重に言われて来たけれど、様子を見ながらだったら大丈夫だろう。


 座っている方の肩に手を掛けて、こちらに引く。

 上半身を回すようにして彼女は、こっちを向いた。

 細くて柔らかな、あたたかい身体である。化け物のようには思えない。


 こちらを向いて、彼女は微笑んだ。


 見知らぬ男に身体を引っ張られ平然としているなんて、聞いていたのとリアクションが違うではないか。

 普通なら悲鳴を上げて怯えたりする、のだろう?


 水玻璃にだっていつも言われている。

 女の子に触ると痴漢に間違われたりもするし、好きでもない人に触られると不快感しか無いのだから、触らない方がいい。わたしだって悲鳴をあげる。と言っていたのに。


 なぜ、笑う?


「あなた、人じゃないのね。予定外だわ、邪魔が入るなんて」


「え」


結衣子ゆいこ、起きて」


 彼女は眠る少女の身体を小さく揺すった。本当に眠っていたのか。その身体がピクリと反応して、弱々しい声を上げた。


「ん……アビー」


 アビーと結衣子。それがこのふたりの名前らしい。

 と、ひと呼吸の間の後。


「き……きゃーっ!」と大声を上げ、結衣子はアビーに抱きついた。


「きゃーっ! きゃーっ! いやあぁぁぁ!」


「な……何よ」


「こ……怖いっ。こんな高い場所、怖いぃ!」


「ダムの堤防に立ってた時は平気だったクセに」


「だってだって、こんなの……あたし、寝てたの? こんな場所でっ?」


 アビーに必死で抱きついて、泣いている。見たまんまの女の子だ。これが化け物だとは、ちょっと考えられない。


 龍壱が呆然と見ていると、結衣子と目が合った。

 彼女はギョッとして目を見開き、反射的に顔を反らした。そして。


「誰っ? アビー、あれ誰っ?」


「誰って言うか……うーん……ちょっとあの人と話があるから、結衣子はそのまま、ダムの補強の為に頑張ってなさい」


「えっ! どこか行くのっ?」


「行かないわよ、どこも。ただ、そこで話すだけよ。ね?」


 同意を求められ、思わず「おう」と返事をする龍壱。

 アビーは結衣子を背後に下し、それから自分も手摺りから降りた。


「じゃ、そこでいい子にしてるのよ」


「……アビー」と、いかにも寂しそうに呟くのだ。ちょっと可哀想かな。


 龍壱がやるべき事は、エネルギーの収集を止めさせる事である。アビーより、集めている結衣子と話したかった。

 だから半泣きの少女から視線を外せない、のに。


「ダメよ」とアビーに腕を引っ張られる。


「結衣子も、不安そうな顔しないの。少し離れて話すだけなんだから」


 結衣子はコクンと頷いた。何と言う甘ったれだろう。

 それか、よほどアビーに心を許しているのか、好きなのか。


 何なのだろう。結衣子は、悪い子には見えない。ただ、アビーは分からない。

 姉妹にも見えないし、どう言う関係なのだろう。疑問だらけだ。


 アビーに袖を引っ張られて三十歩ほど、結衣子から離れただろうか。普通の声量なら、結衣子に聞かれる事はないだろう。


「なぁ、ダムってナンだよ」


「あなたには関係無いわ」


「あるよっ。ここの敷地から出入り出来ないし、携帯も繋がらないし、みんな目覚めないし! お前のせいなんだな?」


「そうね、そうかも」


「お前がみんなを殺すつもりなら」


 アビーは鼻でフッ、と笑った。

 それがとてもバカにされているようで、龍壱はイラッ! となる。


 ――全然可愛くない。外見との、このギャップ!


「気が短いのね。そして素直だわ、ボクちゃん。今ムカついたでしょ、顔に出てる」


「ぼ……」


 同級生の中でも比較的背の高い龍壱は他人に、これまでボクちゃんなどと呼ばれた事はない。あれは、幼さを揶揄する言葉なのだろう?

 そこまで考えてドキッ、とする。

 自分がまだ〈生まれたて〉だと、バレているようで。


 ――そう言えばさっき、人じゃないのねって言われたぞ! バレてるじゃんっ。


 バレているのに、こちらは相手の事が分からない。全く分からないのだ。これはマズい。完全にマズい状況である。


「悪いけど、お前が女の子だって事、忘れさせてもらう」


「あら、人ではないのに暴力で解決するつもりなの? スマートじゃないわ。モテないわ」


「も……モテたくてお前らを止めようとしてるわけじゃねぇつーの!」


 龍壱は拳を彼女に向けて放った。

 アビーはつまらなそうな表情で、龍壱の腕をスッと避ける。最小限の動きだ。

 龍壱は更に踏み込み、彼女を狙った。龍壱の身体は反射神経など、どちらかと言うといい方なのだが。

 何度も腕を伸ばすが、全然ヒットしない。


「ねぇ、もうムダだから止めたら? 女の子は殴らないようにと言われてるんでしょ?」


 アビーは後退しながら、軽く言った。

 龍壱はムカッ! として妙に力が入ってしまい、前のめりになる。

 バランスを崩した時、アビーがスッと近寄って来た。


 龍壱は背中に重力を感じ、前傾姿勢となる。

 前屈みになった時、背中にアビーが座ったのが分かった。


 軽いけれど、何と言う屈辱感だろうか!


「てめえっ!」


 腕を背後に回して殴ろうとするのだが、あまり上手く動かない。

 ジタバタしていると不意に、拳を両手で挟まれた感触があった。


 それ以来、身体はピタリと止まってしまい、身動き出来なくなったのだ。


 ――あっ……あれっ?


「龍壱っ!」


「へっ?」


 声がした方に思わず視線を向けると。


 キラリ!


 真っ白な光のスパークが目に入り、思わず身を屈める。


 太陽の輝きが、水玻璃の道具に反応した時の光であった。

 それは水しぶきのように飛び跳ね、水玻璃の道具であるコンパクトに吸い込まれる。


 と同時に、背中の上にあったアビーの体重が無くなった。

 重しの無くなった龍壱の身体は、地面にのめり込むように倒れる。


 コンパクトに吸い込まれ、反射した光は周囲の空気を巻き込みながら、身体のすぐ真上を走ってゆく。

 何せ光だ。光速の速さ、なのである。


「お……オレを殺す気かっ!」


「ブザマな醜態さらして、恥ずかしくないの! まさかこんな状況で、他校の女の子とイチャイチャしてるとは思わなかったわよっ!」


 水玻璃がいつものように、白いコンパクトを手にしてこちらへ走り込んで来る。

 その視線は龍壱より少し背後に合わせられていた。多分、アビーを睨んでいるのだろう。


「話が違うわよっ」と言ったのはアビーの声だった。


「へっ? 何だよ話って」


「どうしてあなた以外に動いてる人が居るのよっ。しかも、ふたりもっ!」


 どうして、と言われても。


「文句言う前に逃げろ。いくらお前の身体が軽くても、光の速度には敵わないだろ」


「ちょっと、どうしてあんたが〈そっち側〉なわけ!」


 水玻璃はコンパクトを反射させ、光を操る。

 その光は太陽のエネルギーをそのまま反射しており、攻撃として使われたらひとたまりもない。と思われる。龍壱がその光の餌食になった事は、まだ無いので。

 ただ、人では無いモノが消し炭のようにされたのは、何度か目撃した。


 龍壱が身体で感じた限り、アビーは生身の女の子なのだと思う。

 あの光に触れれば、無事では居られないだろう。注意のひとつくらい、いいではないか。


 だが女子は女子同士。容赦は無いようで。

 水玻璃は戸惑う事も無く、アビーに向かって光を走らせた。


 もちろんアビーが光の速度から逃げ切る事など出来るわけもなく、その身体が貫かれる。


「うわっ!」と思わず声を漏らし、顔を背ける龍壱。女子同士は容赦ないどころではなく、えげつない!


 でもイタリアから来た、小さな白い陶器に棲んでいた意識体――本人は自分の事を「空の住人だから、天使だ」なんて言っていたけれど……そんなモノをその身体に〈入れて〉も平気な水玻璃だから。


 もしかしたら分かっていたのかも知れない。光によるダメージを受けたとしても、アビーが死んだりはしない、と言う事を。


「龍壱っ! 何なの、あの子っ」


 龍壱は恐る恐る、アビーの方を振り向いた。

 彼女は鉄柵の、手すりの上に立ってこっちを見下ろしていた。涼しげに微笑んでいる。


 ――避けた……のか?


 いや。目に焼き付いている。

 アビーはその腹部を、水玻璃の光に貫かれたのだ。間違い無く自分は見た。


 ――生身の女の子だと思っていたのに、なぜ!


「人を呪うと、それは本人に還るのよ? それくらい知ってるわよね」


「じゃ、お前じゃなくて結衣子にっ?」


 龍壱は結衣子の居た方を振り向き、その姿を探した。

 彼女はさっきの場所からこちらを見ていた。不安そうな表情で。

 そこでいい子にしてるのよ、とアビーが言ったから? 身動きもせず半泣きでこっちを見ているのか?

 いや、恐ろしくて身動きが出来ないだけなのかも知れないけれど。


 でも、結衣子も無事だ。ダメージの様子は無い。


「ふぅん、あの子の事まで心配してくれるんだぁ。ふふっ、おかしい」


「何だと?」


「あ、言葉間違えちゃった。優しい、ね? ふふっ」


 革靴で手摺りの上をカンカンカン、と歩いてアビーは結衣子の元へと移動した。


「予定より随分少ないけれど、無いよりはマシかしら。戻るわよ、結衣子。また違う場所から採取しなくちゃ」


 アビーが手摺りの上から結衣子に手を差し出すと、結衣子ははにかんでその手を取った。

 あの子は余程、アビーの事が好きらしい。見ているだけで分かる。


「ちょっと待てよ、このまま行かせないからな!」


 アビーがこちらをチラッ、と見て。


「一週間も寝込めば、全員起きられるようになるわよ」


「それって、人間にとっては大ダメージじゃねーか! フザケんなっ」


 アビーは結衣子を引っ張り上げ、手摺りから飛び降りた。もちろん、柵の向こうに、だ。

 結衣子の絶叫が迸る。


「待ててめー!」と叫びながら龍壱も、手摺りまでダッシュして下を覗き込んだ。

 ふたりが落下してゆくのを見ながら「ミハリ、坂っ」と怒鳴る。身体は柵を越えようとして、足を手摺りに絡めながら。


「こんな角度で坂は無意味っ」と、水玻璃の声が背後に走り寄って来るのが分かった。その時。


「あっ、きっ……!」


 消えた。

 キラッ、と一瞬だけ光って……下に居たふたりが、消えた。


「追えるか? 水玻璃」


「あっ」


「どうした」


「……逃げ道、閉じられちゃった。トンネルを塞ぐみたいに。あそこからは、もう追えない」


「落下速度を利用して〈跳んだ〉のか」


 アビーと結衣子は、どこの、どう言う人間なのだろう。いや、人間かどうかは分からないが。


 振り返ると梨果が、口を開けてこっちを見ていた。

 可愛いけど、アホっぽい表情である。


「さっきの女の子ふたり、は?」


「んー、逃げられちゃった」


 ぽろり、と梨果の瞳から涙が零れた。


「な……なんでどうして、こんな事になっちゃってるの? あなた達だって、何なのっ」


 水玻璃が苦笑いを浮かべてこっちを見る。龍壱だって、梨果に上手く説明出来るとは思っていない。


「助けてよっ! みんなの事、目覚めさせてよっ!」


 梨果が両手で顔を覆い「うえーん」と泣き始めた。

 その時。


 パトカーと救急車のサイレンが聞こえ始めた。

 遅刻したあの男が連絡してくれたのか? だけど、ここに入って来れないなら……と思い、龍壱は再び下を見た。


「あれっ! 入って来たぞ!」


 敷地内に幾つもの車両が入って来ている。

 するとマイクのハウリングが不快に流れた。敷地内の幾つものスピーカーから『あ、あれっ?』と、間の抜けた人間の声が聞こえて来たのである。


「戻った、みたいだな」


「そうね」


「え? なぁに? どう言う事っ?」


「戻ろう。きっとみんな、目覚めてるはずだから」


 龍壱は梨果の腕を取って走った。梨果は抵抗せず「えっ? えっ?」と困惑の声を漏らすだけ。


 階段を駆け下りフロアに出てみると、みんな怠そうにしてはいるが、動いている。座ったままの人や、フラフラながらも立ち上がっている人、そしてまだ寝転がってはいるけれど、意識は戻っている人。


「梨果の学校は、どこに集合してたんだ?」


「テニスコートの方」


「て事は、こっちか。行ってみよう」


「龍壱、あたしはウチの学校を見て来る」


「おう、そっちは任せた」


 サイレンと人がうるさく行き交っている。倒れた全員を救急車に乗せて搬送するわけにもいかないだろうし、どうするんだろうか。


 建物から出る時、救急隊員とぶつかりそうになった。


「あっ、きみ達は大丈夫っ?」


 龍壱は足を止めず「オレ達、遅刻して今来たばっかだからさぁ!」と誤摩化し、逃げた。自分達だけが無事だなんて、疑われるに決まっているし。


 一緒に走りながら、梨果は言う。


「今来たばかりなのに体育館から出るのって、おかしくないかな」


「みんな忙しいから、そんな小さな疑問なんて抱かないだろ。お前も誰かに聞かれたら遅刻したって誤摩化しとけ」


「……うん」



 しばらくすると地元マスコミが押し寄せて来て、あちこちで取材を始めた。

 体調不良の生徒達を見境無く捕まえては、カメラとマイクを向けている。

 アビーは一週間の安静が必要だと言っていたのに、具合の悪い人間に対して容赦ないのだな。

 救急隊員に怒られても、平気な顔をして取材を続けている。邪魔なのに酷い奴らだ。


 梨果を友達の元に置いて集合場所に戻った龍壱は、教師に解散していいのかと確認し、水玻璃と共に競技場を離れた。

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