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まだ窓の外は薄暗かった。
携帯のバイブは静かな部屋で止まる様子も無く、持ち主のアクションを待っている。
男はベッド横のサイドテーブルへ腕を伸ばした。
通話ボタンを押しながら、携帯電話を自分の方へと引き寄せる。
「はい」と応答すると同時に、再びベッドサイドへ反対側の腕を伸ばした。
触り慣れたフレームを持ち上げ、それを顔に持って来て装着させる。メガネだった。
『おはっ、おはようございます! このような早朝に申し訳ありません! S県の歩師寺ですっ』
待ちきれなかった、とでも言うように焦った声だ。息遣いも乱れてしまっている。
「あぁ、これはご住職。お久しぶりです、どうなさいました」
相手を確認して意識が切り替わったのか、怠そうだった男の声がハッキリとした声に変わった。
『時々様子を見て頂いているうちの蔵が、今朝、荒らされておりまして!』
「あぁ、はい」
男は「なるほど」とでも言うように、納得の声を出した。このような時間に電話をしてくるその切迫が理解出来たのだろう。
『ひとつ、盗み出されてしまいましたっ』
「おやおや」
『犯人は寺を一歩出た所で息絶えておりました。盗品はその身に持っておりましたが〈中身〉が居りません……!』
「亡くなった、のですか。あれを盗めるとは、なかなかに業の深い者ですね。大方〈呼ばれた〉のでしょう。自業自得だ」
ベッドに腰掛けた男の口元には、小さな笑みが張り付いている。
『特定亜国人の犯行ですから、ニュースになる事はまずないと思いますけど』
「同胞が死のうがどうしようが、知った事っちゃない人達ですからねぇ」
厳重に保管されていればそれだけで〈貴重な品〉だと思い込み、凶悪な呪物を盗む外国人は昔から後を絶たない。
日本人なら本能的に恐れ、手を出せない物でも平気で踏み荒らし、奪ってゆくのだ。
盗品は日本から持ち出され、海外でさばかれるのがメインルートだった。
日本国内の売買ルートに乗らないだけ、国民にとってはマシである。
盗まれた呪いが国内を流通しなくて済むからだ。途中で呪いに巻き込まれる事が少ないと言う事である。
わざわざ異国へ悪徳を積みに来る外国人の気が知れない。
が、そこまで落ちた者は雪崩のように悪徳を溜め込んでゆく。
もう、どうしようもない。
本人の罪は、本人が贖罪するべく地獄へ導かれるものなのだ。
導かれた結果が今回の盗難、でもあるのだろう。
「分かりました、それは近いうちに何とかなります。それより、他の呪物のケアをしましょう。場が乱され、暴れているようです。あなたの感じているのは、そっちの不安ですよ。ご住職」
『ですが、蔵の中でも一番強い奴が逃げ出したんですよ!』
「分かりますよ。村をいくつも破滅させた、元は祠だったあの〈板〉で作られた小さな仏像でしょう? 先代のご住職が一番気に掛けていらっしゃった」
『そうです! だ、大丈夫なのですか? あんなモノが放たれて!』
「それはこちらで何とかします。とりあえず今日はそちらにお伺いして、他の物を落ち着かせましょう。だが今日はどうしても一度出社してからでないと動けませんが、必ず伺います」
『それでしたら、迎えの車を行かせます』
「いや、結構ですよ」
『是非そうさせてください! ああ、私は動揺している。何かをせずには居られないのです』
男は苦笑いを浮かべた。窓の外では鳥が、朝の訪れを告げるように鳴き始めている。
「分かりました。では後ほど」と約束を交わし、電話を切った。
男は立ち上がり、窓辺のカーテンを開ける。
今日も忙しい一日が始まるのだな、と東の空を見上げた。かなり明るくなっている。間もなく陽が登って来るだろう。
「あの〈板〉、ね。きよし、とか言う名の男が前面に出ていたけど、さてどうだろう?」
窓を開ける。空気はヒンヤリと冷たかった。
同居の高校生は今日、市内の陸上競技場で競技会だとか言ってたっけ。
あいつはちゃんと、みんなと仲良く過ごせるだろうか。
数秒考え、男はクスッと笑った。
「無理みたいだな、今日は。さて、必要になりそうな物の準備でもするか」
男は一度、大きく伸びをして……それから部屋を出て行った。