心霊現象と粒子学
心霊現象、あるいは霊そのものについての考証。
いわゆる「霊感が強い人」や「霊が見える人」と、そういった類のものが見えない人の差はどこにあるのだろうか?
「見える」という事は、眼が視覚情報として霊を捉え、かつ脳がそれを認識していると言える。
見える人にはそれが当たり前であり、見えない人にはやはりそれが当たり前…この点が霊の存在についての論点ではないだろうか。
筆者の立場は「霊は存在する」側である。
なぜそう言えるのか?
答えは古代日本神道に見出すことができる。
~全てのモノには魂がある~
この言葉を拡大解釈すれば、この世に「物質でないモノ」は存在しないと読み取る事は出来ないだろうか。
つまり、見えないはずの霊も実は物質としてこの世界に存在し、それを認識できる人だけが見える事ができると。
そんなモノが物質世界に存在するのだろうか?
それはYesである。
我々が何も無いと認識している空間には、酸素や窒素などの「物質」が分子レベルで存在している。
言われてみれば当たり前のことだが、それを意識して生活している人はいない。
分子というものが余りに小さ過ぎて、眼が酸素分子やもっと大きいアンモニア分子でさえも見えない‥脳が認識出来ないのだ。
そこに、霊の実在を示す鍵があると筆者は考えるのである。
ここで一つの仮定を提唱したい。
霊とは魂という粒子が物質世界に残存したものではないか。
それがある遺伝子を持った人だけに「見る」事が出来るのではないかと。
これは霊が見える方のお子さんがやはり霊が見えたり、巫女という役割を一部の一族だけが継承している事と一致する。
家族で霊が見えるという方も、親戚筋を辿れば霊が見える方がいたりするケースも充分に考える事が出来る。
もしくは、突然変異的に遺伝子情報の中に霊という粒子に反応する因子を持って産まれた方もいるだろう。
とにかく、霊は粒子という形を持って物質世界に存在する、という説明である程度の霊の存在を証明する事ができると思う。
次に検証するのは、心霊写真についてである。
筆者は元々、写真家を志していた事もあって若い方から「心霊写真って撮った事ある?」と聞かれる事がある。
また、仲間うちでも「心霊写真って、どう撮るんだろう?」などと話すことがある。
その場に存在しなかったモノが写真に写り込んでいる、あるいは体の一部が消えているなど、心霊写真も様々なバリエーションがあるが、これを先程の仮定である霊は粒子という形で存在するという視点で検証してみたい。
デジタルカメラであれ、フィルムカメラであれ、カメラというものは光をセンサーや化学反応によって写し取るという原理に違いはない。
光の反射する物に色が付いていればその色を実際の色に近づけて感光するし、光を吸収あるいは当たらない所は影として感光する。
そこにある条件〜光の加減や空気の湿度、光源の角度など〜を満たした時に、心霊写真は撮影可能となるのではないのだろうか。
当然、前提条件としてそこに霊が存在することが重要である。
そう考えると、心霊スポットと呼ばれる場所で心霊写真が多く撮影されるのは道理と言えよう。
また、体の一部が消えてしまう現象はある人物の前に希薄な霊が存在すれば、当然その部分が消えてしまった様に見えるのではないだろうか。
実際に霊に体を掴まれたという体験談も、よく聞く話である。
これケースでは、霊は粒子という形ではなく完全に物質化しているケースと言えよう。
粒子が物質化する〜本来、粒子も物質であるのだからそれらが集合体となって、人間や異形のモノの姿となる〜と考えられるが、なぜそこまで粒子が巨大化するのか…。
残念ながら、現状では巨大なエネルギーを含蓄している粒子が存在するのか、単純に粒子でなく分子レベルまで魂が巨大化したのか、推察の域を脱しない点ではある。
霊の完全な物質化については、今後の課題である。
最後に、完全に物質化した霊と遭遇した時はパニックに陥らずに冷静に対処する事をお勧めする。
それが人の姿であれ異形の姿であれ、完全に物質化したという事は物質的な対処あるいは攻撃が可能なのであるから‥。