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床が見えない程に散らかった安アパートの一室に無造作に放り出されたアダルトDVDのパッケージが、敷きっ話しの煎餅布団に寝転がる、この部屋の住人、関口孝史の視界の隅に映った。
手を伸ばしても届きそうに無かったので、足元に、やはり無造作に放り出された孫の手を両足の先で挟んで手繰り寄せ、それを使ってパッケージを手元へ引き寄せた。
再生するには、DVDをプレーヤーにセットする為に起き上がらなければならないが、そんな煩わしい思いをする位なら、パッケージの裏の写真を見るだけで十分だった。そもそも、パッケージの中身は空かもしれない。
寝間着用のハーフパンツと、その下に履いたトランクスを同時にずり下ろし、左手に持ったパッケージ裏の写真を凝視しながら、血が上って硬くなり始めた陰茎を右手で握り締め、しごく事約数分。二枚に重ねたティッシュの上に、白く濁った精液を放出する。同時に漏れた溜息も、どこか濁った響きがある。
一瞬の恍惚。しかし次の瞬間ふと我に返ると、どうしようもない虚しさに襲われる。自慰で果てる度に自分を恥じても、孝史のような自堕落な人間に、三大欲求の一つである性欲を抑制しきれるはずもなく、学校のある日は朝晩一度ずつ、なんの予定もない日は、数えるのが自分でも恐ろしくなるほど、自慰に耽ってしまう。
何もしていないから、刺激がないから、だらだらと過ごしているその最中は、退屈で、憂鬱で、いつまでたっても時計の針が進まないのに、ふと過ごした時間を振り返ってみると、時計の針とは対照的に、カレンダーの日付はあっという間に進んでいて、驚くことがある。
そんな空虚な時間を浪費する日々に焦りを感じ、遣り場のない自己嫌悪にげんなりとしながら、亀頭の先端に残った精液を、新しいティッシュで拭き取り、さっきの重ねたティッシュと一緒に丸めて、数日前に開封して半分ほど食べ残したままのスナック菓子の袋にねじ込む。ゴミ箱は手に届く範囲にあったが、今や部屋全体がゴミ箱同然と化したこの部屋では、もはやその存在意義は無いも同然だった。
ずり下ろしたハーフパンツとトランクスを上げる事もせず、だらしなく萎れた陰茎を晒したまま仰向けになる。横向きの姿勢で寝転がっていると、上京して一人暮らしを始めてからの乱れた食生活で、みるみるうちに肥えた腹の重みを感じやすいため、気分が滅入るのだ。それに、仰向けになれば、最早〝散らかっている〟等という言葉では形容しきれない惨状を見せる部屋の床からは目を逸らせる為、幾分気持ちが楽なのだ。
自分は一体、何をしているのだろう。
高校を卒業後、まだ就職はしたくないから、というだけの理由で、一浪して都内の二流大学へ進んだ。惰性で選んだ道とはいえ、入学前はサークルなどで友人を作り、週末には居酒屋やカラオケで深夜まで遊び、夏休みなどの長期休暇には連れ立って旅行へ行くような、大学生活を謳歌している自分の姿を夢想したりもしていたが、生来人見知りで内向的な孝史に、誰一人顔見知りのいない環境で、そんな人間関係が構築できるはずもなく、まだ一年生の前期を終えたばかりだというのに、既に学校へ行く目的は、最低限の単位取得の為だけに顔を出す事のみになっていた。留年だけは、ぎりぎり免れるかもしれないが、仮に卒業出来た所で、自分のような人間がどんな企業に就職出来るというのだろうか。形ばかりの大卒という肩書きを手にする為に、実家の両親にかけている負担を思うと、申し訳なさと情けなさで、胸が一杯になる。しかし、そんな溜まりに溜まった負の感情を、ぶつけるあてがあるわけもなく、ただただ、胸の裡で燻らせているのであった。
先々週末に、履修科目の全テストを消化し、大学生活最初の夏休みに入って、早十日。しかし、連れ立ってに遊びに行くような友人は学内には一人もおらず、もちろん学外にもいない。
中学時代までは、親しい友人と呼べる存在が三人ほどいた。といっても彼らは皆、小学校低学年の頃にできた友人。つまり、意識して「友達を作ろう」としなくても、ある程度自然に友人が出来ていた頃にできた友人だった。それ以降にも多少は友人らしきものと呼べなくもない程度の付き合いをしていた者はいたが、彼らとの交流も、古い付き合いの友人たちを通じて、間接的に営まれていたに過ぎなかった。いわば孝史は、幼少期の僅かばかりの貯金のようなもので、中学時代までを辛うじて孤立せずに乗り切ることができていたのだ。
そういう自分の性格を、ある程度自覚していただけに、危機感は感じていた。当時孝史と友人たち四人の内、孝史以外の三人は平均的か、もしくはそれを若干下回る程度の成績だったが、孝史の成績は彼らよりも、もうワンランク下のレベルだった。
このままでは、別々の高校へ行く羽目になる。それだけは、なんとしても避けなくてはという思いから、一念発起して受験勉強に打ち込むことを誓った。孝史は両親にとって、結婚から十年後にようやく授かった一人息子だった。経済的にも比較的裕福な家庭だったこともあり、どちらかといえば甘やかされて育てられていたせいか、孝史は元来あまり学業に熱心ではなかったが、この時は、両親に塾へ通いたいと、自ら申し出た。そのとき、両親の喜びようがあまりにも大仰であったため、自分が受験勉強に熱を入れる動機に些か後ろめたさも感じたが、自分にとっても両親にとっても、得はあっても損はないではないかと言い聞かせ、その後ろめたい気持ちを振り払った。
そしてその努力の甲斐あって、当初は厳しいと言われていた、友人たちと同じの高校を第一志望で受験し、辛うじて合格を勝ち取ったのだ。所が、肝心の友人たちが、揃いも揃って落ちてしまったのだ。第二志望の高校へは、孝史も含め全員合格していたのだが、第一志望校に受かったのは、孝史ただ一人だった。
少し偏差値が低くても構わないから、第二志望の高校へ行きたいと両親に申し出たが、受験勉強の為につぎ込んだ塾代を無駄にする気かと、まるで取り合ってもらえなかった。本末転倒とはこのことかと、孝史は己の不運を呪った。
旧友達とは、中学卒業後も暫くは度々顔を合わせていた。しかし、やはり一人だけ学校の違う孝史は、彼らの中ですら浮いた存在になってしまっていた。彼らが、同じ高校で新しく知りあった友人や教師などの話題で盛り上げっている時に、一人輪の中には入れない孝史は、愛想笑いが引き攣りそうになるのを懸命に堪えながら、適当に相槌を打っていた。そして次第に彼らとも疎遠になってゆき、いつしか連絡が来ることもなくなり、高校でも友人らしい友人を一人も作ることができなかった。更に成績の方も、もともと合格ラインぎりぎりで受かったということもあってか完全に落ちこぼれてしまい、テストの時には、平均点どころか、赤点を取らないようにするだけで精一杯だった。そして結局三年間、何一ついい思い出を作れぬまま、卒業の日を迎えたのだ。
大学受験の際は、実家から通える大学も無いわけではなかったが、違う環境に身を置いて見たいと両親に頼み込み、東京の大学を受験させてもらった。過去の自分を知る人間がいない場所で、新しい人間関係を構築し直したいと思ったのだ。高校受験の時のことを考えると、両親が自分の希望を受け入れてくれるかどうか不安だったが、両親は意外にも、すんなりと了承してくれた。もしかしたら、旧友たちと同じ高校へ行かせてやらなかったことが、高校で孝史が友人を作れなかったことに少なからず影響したことに責任を感じており、それを悔いていた気持ちがあったのかもしれないが、直接確認する勇気はなかった。