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第4章

 「ほい、健治」

「…うん」

「これ、そこに一緒に供えておいといて」

「あんたに先に越されたからね…」

 母は、そう言って、小脇から丸い筒状の缶を取り出し、僕の方へと差し出した。

愛煙家の父が好んだ煙草、『缶ピー』。

それは缶で作られた容器に50本ほど納まった両切り煙草である。

缶の底に触れた時、ザラつきを感じた。錆がまとわりついていた。

「…これ、お父さんの?」

「父さんが最期に封を切った缶ピースだよ」

缶の中は、まだ半分以上も残っていた。

「…どうして、それを」

「父さん、健康診断の再検査を受ける時に、そのまま置いていったんよ」

「お父さん、そのままだったんだね」

そう呟きながら僕は、父の『缶ピー』も写真横に置いた。

 「父さん、ここで吸うね」

「…なんでそう思う」

「お母さんには、分かるんよ」

「父さんと何年一緒だったかしってるん」

 母は、そう言って父の写真に眼差しを向けた。

父が亡くなってからの時間の方が一緒にいた時を上回ってるはず。それでも、父のことを深く理解していた。


「ここに帰ってきたんだし、健治にも本当の事を…」

母は、何故か父の退職の事を話し始めた。僕の知らない父の事を。

 同僚をかばっての事だった。横領した会社の同僚をかばった。

後にして分かった事らしい。父の1年忌の時、その同僚だった方が線香を上げに訪れた。そして、母に頭を深々と下げ、事の真相を伝えた。

子供の高額な医療費を払うために必要だったらしい。貯金を切り崩し、親戚からの援助、最期は消費者金融からの借り入れ。

 頑張って返済したが、膨らむばかりの借金。そこまで追い込まれてしまい、会社のお金に手をつけた。経理部に所属していたという事もあって、手を汚してしまった。

 金額は、さほど高額ではなかった。その頃、不審に思った父は、その事を知りつつも見て見ぬ振りをした。以前から、事情を知っていてた。かばった訳ではない。

 すぐさま、お金は戻されたが、父は自分の気持ちが許せなかった。母にも語らず、それなりの理由付けとし会社を後にした。負い目もあったせいか、故郷に戻らず、家族一家で母の故郷へ移住した。母も深く問いたださなかった。それなりの理由わけがあると信じた。

 幸いその時点では、会社には分からなかった。しかし、監査が入れば分かる。

 退職時に同僚との間で交わされた言葉が、

「おれも、悪かった、早く、お前を救うべきだった」

 その同僚も口を閉ざしていたが、良心の呵責かしゃくに耐え切れず、その事を会社へ事の真相を伝え、退職した。

風の便りで父の死去を知った。いつか話しておくべきと判断しての事だった。

その方への憎しみはない。そう言ったら嘘かもしれない。母は、父の決断を否定しなかったし、全てを受け入れてたから。


 技術職だった父は退職後、母方の知人の紹介で小さな電気会社で働いていた。

東京での生活とは、全然違っていた時間の流れ。ゆっくりと流れていた。そこでは、誰も知らない過去の事。

 それ以後、語らなかったおじいちゃんと父。親子の会話を僕は見た事は無いままだった。

 おばあちゃんは、時々僕達に連絡をしてきた。おじいちゃんに見つからないように。何か父へ話をしていたと思う。それは、僕達子供にとって知り得ぬものだったと今思う。


 「父さん、色々言わんかったやろ」

「…うん」

「父さん、ここに帰りたかったんよ」

「本当は、おじいちゃんとゆっくりと話したかったんよ」


 「このままでいいね」

「今日は、父さんの里帰りと知恵の結婚記念日とめでたい事」

「…そうだね」

「…お母さん、お父さん喜んでるよ、きっとね…」

涙混じりで言葉で呟いた。

「健治、泣いてるんね」

「…んん」

 僕は、うつむいて、母の言葉を跳ね除けるように、かぶりを振った。

 口を閉ざして呻くように、やっぱり僕は泣けてきた。

 涙をこらえながら、母の方へ眼差しを向けると壁に並んだ先祖の写真を見上げてる。僕に見られないようにしてる。涙がわいて、零れ落ちるのを押えきれない事を。

 母は、仏壇に振り向き、ゆっくり目をつむって、閉じた目から更にいっぱいの涙を溢れている。

そして両手を合わせ、今度は深々と頭を下げていた。僕は、線香を一掴ひとつかみし、ロウソクで火を灯す。線香の消え行く火と流れる煙が入れ替わる。

 明日からは、ここに父が居る。折れ曲がった写真じゃ、おじいちゃんと仲直りできそうもない。堂々とした写真を壁に吊りかけようと思う。

 そして今、父の生きてきた人生の時間を僕は越えた。今なら、あの時の父の気持ちが分かるような気がする。

いつか僕が亡くなった時、自分の息子は何を考えるだろう?何を思って手を合わせるだろうか。


 ロウソクが揺れている。部屋のふすまが薄く開いていた。

その隙間から流れ込んでくる風は、まだ少し冷たい春の夕暮れに混ざった空気を運んでる。

 縁側のサッシから部屋に差し込む日差しは、オレンジ色の弱い夕陽となりこの部屋を包み込んでいた。

時折、父の写真を揺らすロウソクがなびいていた。母の横顔をも揺らす。そして、僕の心も揺らす。

生まれた場所に戻りたくなる気持ちは、誰しも思うこと。僕も、生まれた場所に何時かは戻るだろう。

きっと…。そんな時が来るだろう。きっと…。



ありがとうございました。

最後を書き終えて良かったです。

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