SF小説 『毎日、君は転入してくる』
高校二年の冬だった。
窓の外では、昼前から細かな雪が降っていた。積もるほどではない。灰色の空から、白い粒だけがいつまでも落ち続けている。
四時間目が始まる直前、担任が教室へ入ってきた。
「今日は転校生を紹介する」
教室がざわついた。
二月に転校生なんて珍しい。
担任の後ろから、一人の女子生徒が入ってきた。
肩までの黒髪。色の白い顔。少し大きめの制服を着ている。
黒板に名前を書く。
白石美奈。
「白石です。よろしくお願いします」
声は小さかった。
担任が教室を見渡す。
「席は……相沢の隣が空いてるな」
彼女は僕の隣へ座った。
僕は相沢壮太。
特別目立つわけでもなく、成績も運動も真ん中くらい。高校生活なんて、昨日と今日が同じように続いていくものだと思っていた。
美奈は鞄を机の横に掛けると、小さく息を吐いた。
僕は何となく話しかけた。
「急な転校だね」
「うん」
「前の学校、遠いの?」
彼女は少し考えてから答えた。
「すごく遠い」
「県外?」
「たぶん」
変な答えだった。
けれど、それ以上に変だったのは、その次だった。
美奈は窓の外を見ながら言った。
「私、明日卒業するから」
僕は笑った。
「何それ」
「本当」
「まだ二年だよ」
「知ってる」
「じゃあ卒業できないだろ」
美奈は僕を見た。
笑っていなかった。
「でも、明日にはいなくなる」
チャイムが鳴った。
僕はそれを、転校初日の冗談だと思った。
その日の放課後、美奈と一緒に駅まで歩いた。
美奈はこの町のことを何も知らなかった。
コンビニを珍しそうに眺め、公園のブランコを見て立ち止まり、駅前のたい焼き屋ではメニューを何度も読み返していた。
「転校してきたばかりだから当然か」
僕が言うと、美奈はたい焼きを両手で持ったまま笑った。
「そうだね」
その笑顔を見たとき、僕は妙な感じがした。
初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っていたような。
翌朝。
教室へ入った僕は、足を止めた。
隣の机がない。
正確には机はある。
でも、美奈の鞄も教科書も、昨日貼られていた名前のシールも消えていた。
僕は後ろの席の友人に聞いた。
「白石は?」
「誰?」
「昨日の転校生」
「転校生?」
冗談だと思った。
だが誰に聞いても同じだった。
担任にも聞いた。
「白石美奈?」
担任は名簿を確認した。
「そんな生徒はいないぞ」
背中が冷たくなった。
スマートフォンを開く。
昨日、美奈と撮った写真があったはずだった。
駅前のたい焼き屋で、美奈がたい焼きを持って笑っていた写真。
しかし写真には僕しか写っていなかった。
僕の隣だけ、不自然に空いていた。
メッセージ履歴もない。
僕は慌ててノートを開いた。
昨日、忘れないように書いた名前。
白石美奈。
その文字すら消えていた。
頭がおかしくなったのかと思った。
だが翌日。
四時間目の前。
担任が教室に入ってきた。
「今日は転校生を紹介する」
僕は立ち上がった。
教室の扉が開く。
美奈が入ってきた。
黒板に、白石美奈と書く。
「白石です。よろしくお願いします」
そして昨日と同じように僕の隣へ座った。
僕は彼女の腕を掴んだ。
「美奈」
彼女が目を丸くした。
「覚えてるの?」
「どういうことだよ」
美奈は少しだけ笑った。
その顔は、嬉しそうだった。
「やっぱり覚えてた」
「昨日どこにいた?」
「卒業した」
「何から」
「分からない」
美奈は自分でも説明できないらしかった。
彼女は毎日、僕たちの学校へ転入してくる。
そして翌朝には消える。
学校から。
写真から。
記録から。
人の記憶から。
そして翌日、また転入してくる。
ただ一人。
僕だけを除いて。
それから僕たちは、毎日を一日目として過ごした。
美奈は毎朝転校してくる。
クラスメイトは毎回初めて彼女を見る。
僕だけが昨日を覚えている。
最初、美奈はそれを面白がっていた。
「今日の私は何回目?」
「十四回目」
「十四回も転校してるの?」
「転校のプロだな」
「履歴書に書けるかな」
「書いた瞬間消えるだろ」
二人で笑った。
僕は毎日、美奈に昨日までの出来事を話した。
初めて食べたたい焼き。
雪の日に二人で傘を忘れて走ったこと。
図書室で美奈が寝てしまったこと。
誰もいない音楽室でピアノを一音だけ鳴らして逃げたこと。
美奈は昨日の自分を覚えていた。
だから僕たちは完全に初対面からやり直しているわけではなかった。
でも世界だけが、僕たちの積み重ねを認めなかった。
ある日、美奈が言った。
「証拠を残そう」
二人でノートを買った。
表紙に大きく書いた。
白石美奈はここにいた。
その日の出来事を全部書いた。
帰宅前、僕が持って帰った。
翌朝。
ノートは真っ白だった。
僕は腹が立った。
世界そのものに否定されたような気がした。
「なんでだよ」
屋上で僕は叫んだ。
「いたじゃん。ちゃんといたじゃん」
美奈はフェンスにもたれて空を見ていた。
「壮太が覚えてるなら、それでいいよ」
「よくない」
「私はいい」
「僕が忘れたらどうするんだよ」
美奈は少し黙った。
それから笑った。
「そのときは、本当に卒業かな」
春が近づいたころ。
僕は美奈を好きになっていた。
いつからなのか分からない。
毎朝彼女を見るたびに安心した。
今日も来た。
今日もいる。
そんな恋だった。
告白しようと思った日は何度もあった。
けれど口にできなかった。
言葉にした瞬間、何かが終わってしまいそうだった。
ある日の帰り道。
桜のつぼみが膨らみ始めていた。
美奈が立ち止まった。
「ねえ壮太」
「ん?」
「たぶん私、明日、卒業してるんじゃない」
僕は笑おうとした。
「毎日卒業してるじゃん」
「そうじゃなくて」
美奈は首を振った。
「今度は、この世界から」
風が吹いた。
「なんでそんなこと分かるんだよ」
「分からない」
「じゃあ適当なこと言うなよ」
「でも、なんとなく」
「明日も来る」
「うん」
「絶対来る」
「うん」
「来なかったら僕が探す」
美奈は笑った。
「どこを?」
「全部」
彼女はしばらく僕を見ていた。
そして言った。
「ありがとう」
僕は結局、好きだと言えなかった。
翌日。
担任は転校生を連れてこなかった。
次の日も。
その次の日も。
白石美奈は転入してこなかった。
突然。
彼女は僕の前から卒業した。
高校を卒業したあと、僕は大学へ進学した。
東京の大学だった。
けれど授業よりも、僕は美奈を探すことに時間を使った。
白石美奈。
名前だけを手掛かりにした。
全国の学校。
卒業名簿。
SNS。
古い新聞。
役所の記録。
同姓同名は何人もいた。
でも、僕の知っている美奈はいなかった。
三年目の夏。
ようやく一件だけ気になる記録を見つけた。
僕の高校がある町から電車で二時間ほど離れた、小さな海辺の町。
そこに、白石美奈という名前があった。
僕はその町へ行った。
住所を頼りに歩いた。
古い一軒家。
インターホンを押す。
出てきたのは六十代くらいの女性だった。
「白石美奈さんをご存じですか」
女性の顔が固まった。
しばらくして、小さく答えた。
「娘です」
心臓が跳ねた。
「今、どちらに?」
女性は僕を見た。
不思議そうに。
そして言った。
「美奈は、十年前に亡くなりました」
僕は何も言えなかった。
美奈は七歳だった。
冬の日。
病気で亡くなった。
写真を見せてもらった。
ランドセルを背負った小さな女の子。
でも分かった。
目が同じだった。
笑ったときの口元も。
僕の知っている美奈だった。
女性は尋ねた。
「あなたは、美奈を知っているんですか?」
僕は答えられなかった。
高校生の美奈を知っています。
毎日転校してきました。
たい焼きを食べました。
雪の中を走りました。
そんなことを言っても信じてもらえない。
帰り際。
女性が一枚の写真をくれた。
幼い美奈が小学校の卒業式でもないのに、なぜか大きな卒業証書を抱えて笑っている。
裏には子供の字で書かれていた。
《いつか高校生になったら、いっぱい友だちをつくる》
僕は駅まで歩いた。
海が見えた。
夕日が水平線へ沈んでいく。
僕は写真を握りしめた。
美奈は高校生になりたかったのかもしれない。
制服を着て。
友達をつくって。
放課後に寄り道して。
誰かを好きになって。
もしかしたら僕と過ごしたあの日々は、
彼女が生きられなかった高校生活だったのかもしれない。
証拠はない。
誰も覚えていない。
写真にも残っていない。
世界中のどこを探しても、
高校生の白石美奈は存在しない。
それでも僕は知っている。
彼女はいた。
僕の隣の席に座っていた。
たい焼きを食べて笑った。
雪の中を一緒に走った。
そして毎日、
僕の学校へ転入してきた。
あの日から僕は、人の記憶というものを少しだけ信じるようになった。
記録から消えても。
写真から消えても。
誰にも証明できなくても。
一人でも覚えている人間がいるなら、
その人は完全には消えない。
僕は海に向かって言った。
「美奈」
返事はない。
波の音だけが聞こえる。
「卒業、おめでとう」
それから少しだけ間を置いた。
高校時代に言えなかった言葉を、
ようやく口にした。
「好きだったよ」
風が吹いた。
手の中の写真が揺れた。
その瞬間だった。
写真の幼い美奈の隣に、
見覚えのない文字が浮かんでいた。
たった一行。
薄く、消えかけた鉛筆の文字。
《私も。》
僕は立ち尽くした。
次の瞬間には、その文字はもう消えていた。
けれど構わなかった。
今度は、ちゃんと覚えているから。
『毎日、君は転入してくる』
完結
漫画化しました。
https://rookie.shonenjump.com/series/TWpXKpY83HA




