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会議終わりの雰囲気(読み切り)

作者: San
掲載日:2026/09/13

会議は、もう終わっていた。


 少なくとも、僕にはそう思えた。


 最後の議題について社長が話し終えてから、もう何分か経っている。


 誰も何も言わない。


 会議室には、空調の音だけがしていた。


 低い音だった。


 一定の音で、ずっと同じところを回っている。


 僕は目の前に置かれた資料を見た。


 最後のページ。


 そこには、さっき社長が話していた内容が印刷されている。


 もう読むところはない。


 それでも僕は、ページの端を指で押さえたままにしていた。


 閉じるべきなのか。


 それとも、まだ開いておくべきなのか。


 そんなことを考えていた。


 向かい側に座っている田中さんが、少しだけ椅子を動かした。


 ギ、と小さな音がした。


 僕は顔を上げた。


 田中さんは社長を見ていた。


 社長は資料を見ている。


 田中さんは何も言わなかった。


 僕も何も言わなかった。


 田中さんの椅子が動いたのは、帰る準備なのだろうか。


 それとも、単に座り直しただけなのだろうか。


 分からない。


 僕は資料に目を戻した。


 そのとき、隣に座っていた佐藤さんが腕時計を見た。


 ほんの一瞬だった。


 僕はそれを見逃さなかった。


 午後四時五十八分。


 会議が始まったのは三時だったから、もう二時間近く経っている。


 佐藤さんも帰りたいのかもしれない。


 そう思った。


 けれど、佐藤さんはすぐに腕を机の下へ戻した。


 僕は何もなかったような顔をした。


 いや。


 僕が気にしすぎているだけなのかもしれない。


 時間を確認しただけだ。


 仕事をしていれば時計を見ることくらいある。


 そう考えていると、今度は僕自身が時計を見たくなった。


 でも、見なかった。


 今ここで僕が時計を見たら、


 「この人、帰りたいんだな」


 と思われる気がした。


 そんなことを考えている自分がおかしかった。


 誰もそんなことを考えていないかもしれない。


 それなのに、僕は誰かに見られているような気がしていた。


 社長が資料を一枚めくった。


 紙の音がした。


 全員の視線が、一瞬だけ社長へ向いた。


 僕も向けた。


 社長は資料を見ている。


 そして、またページをめくった。


 僕は少しだけ背筋を伸ばした。


 まだ終わっていないのかもしれない。


 そう思った。


 社長が資料をめくったということは、何か確認しているのだろう。


 もしかしたら、まだ話がある。


 そう考えた瞬間、田中さんがペンを置いた。


 カチッ。


 小さな音だった。


 僕はまた田中さんを見た。


 田中さんはペンを机の上に横向きに置いている。


 さっきまで握っていたペンを置いただけ。


 それだけのことなのに、僕にはそれが妙に大きな意味を持っているように見えた。


 もう書くことはない。


 だから置いた。


 つまり、終わったと思っている。


 そういうことだろうか。


 僕は田中さんの顔を見た。


 田中さんもこちらを見た。


 一秒ほど目が合った。


 田中さんは、ほんの少しだけ眉を上げた。


 僕は何も言わなかった。


 田中さんも何も言わなかった。


 その視線の意味が分からなかった。


 「まだかな」


 だったのかもしれない。


 「終わったよね」


 だったのかもしれない。


 あるいは、何も意味などなかったのかもしれない。


 僕は視線を逸らした。


 その直後、斜め前の女性社員が資料を重ね始めた。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 紙が揃えられていく。


 僕は思った。


 終わる。


 きっと終わる。


 けれど、彼女は資料を揃え終えると、その上に両手を置いたまま動かなくなった。


 立たない。


 誰も立たない。


 僕も立てない。


 会議室には、四人の人間と、一人の社長がいる。


 全員が座っている。


 誰も「終わりましょう」と言わない。


 時計の秒針の音が聞こえるような気がした。


 実際には、この部屋の時計は秒針が音を立てるタイプではなかった。


 それでも、時間だけが妙にはっきり感じられた。


 四時五十九分。


 あと一分で五時になる。


 五時になったら、帰っていいのだろうか。


 僕はそんなことを考えた。


 でも、五時という時刻に意味があるわけではない。


 仕事が終わる時間だからといって、会議が終わるとは限らない。


 だから余計に困った。


 五時になった。


 誰も動かなかった。


 僕は心の中で小さく息を吐いた。


 五時になったことを、みんな知っている。


 でも誰も時計を見ない。


 誰もそれを話題にしない。


 まるで、五時になったことを認めたら、誰かが「では、終わりましょう」と言わなければならなくなるみたいだった。


 社長が咳払いをした。


「……」


 全員が社長を見る。


 社長は何も言わなかった。


 ただ、少し喉を整えただけだったらしい。


 僕は視線を資料に戻した。


 恥ずかしくなった。


 どうしてこんなに気にしているのだろう。


 帰りたいなら帰ればいい。


 そう思う。


 でも、帰れない。


 自分が最初に立つ勇気がない。


 だったら誰かが立つのを待てばいい。


 でも、みんな同じことを考えていたら?


 そう考えたところで、僕は少し笑いそうになった。


 もしかしたら、この部屋にいる全員が、


 「誰かが立ったら立とう」


 と思っているのかもしれない。


 それなら、誰も立たない。


 誰もが他人を待っているからだ。


 そのとき、佐藤さんが鞄に手を伸ばした。


 僕は見た。


 田中さんも見た。


 向かいの女性社員も見た。


 佐藤さんは鞄の取っ手を握った。


 持ち上げる。


 ……と思った。


 しかし、佐藤さんは鞄を持ち上げなかった。


 ただ、位置を少し直しただけだった。


 僕は心の中で、


 「ああ」


 と思った。


 そして同時に、


 少しだけ安心した。


 自分だけではなかった。


 みんな、同じように迷っている。


 そう思った。


 社長が再び資料に目を落とした。


 僕も資料を見た。


 田中さんも資料を見た。


 誰も読んでいない。


 ただ、見ている。


 会議は終わっている。


 なのに、終わっていない。


 その境目に、僕たちは座っていた。


 四時五十八分から始まったような、五分にも満たない時間が、ひどく長く感じられた。


 そして五分ほど経った頃。


 社長が突然、資料を閉じた。


 パタン。


 今度は誰も社長を見なかった。


 見てはいけないような気がした。


 社長は資料を机の端へ置いた。


 そして椅子の背もたれに、ゆっくり体を預けた。


 それだけだった。


 誰も言葉を発しない。


 僕は隣を見た。


 田中さんもこちらを見ていた。


 ほんの一瞬だけ。


 そして田中さんが立った。


 誰も止めなかった。


 僕も立った。


 すると、向かいの女性社員も立った。


 佐藤さんも立った。


 最後に社長が立ち上がった。


「……お疲れさまでした」


 社長が言った。


「お疲れさまでした」


 僕たちはほとんど同時に答えた。


 会議は終わった。


 けれど、僕には最後まで分からなかった。


 あの五分間。


 社長が終わらせるのを待っていたのは、僕たちだったのか。


 それとも社長が、僕たちが立ち上がるのを待っていたのか。


 たぶん、誰にも分からない。


 ただ一つ分かるのは、


 誰かが最初に立たなければ、


 あの会議は、もう少し長く続いていたということだった。

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