自由って素敵ね
一夫多妻の国、ラーダヴァーの第十七王女アルジェンナはシラリア王国のユリウス王子との婚姻のため、馬車に乗って移動していた。
四人乗りの大きな馬車に乗っているのは二人。アルジェンナと、その侍女のシャナイアだ。
「なぜぇ、姫様がぁ、こんなはるか遠くの異国の地へぇ……」
シャナイアは異国に投げ捨てるように嫁がされる気の毒な主人を思い、さめざめと泣いている。
「泣かないで、シャナイア。私は一夫一妻の国に嫁ぐ機会を貰ってうれしいわよ。それにシラリアでは女性も自由に配偶者や仕事を選べると聞くわ。私達にとっては楽園のような国かもしれないわよ」
アルジェンナは素直な感想を口にした。王女とはいえ、側室である母とともに王宮ではほとんどいるかいないかわからない扱いを受けてきたシャナイアにとって、未来の皇后の地位が手に入るというのは願ってもないことだった。
「ほら、ユリウス王子の絵姿を見たでしょう? 金髪碧眼なんて、まるで物語の登場人物のようよね」
黒髪黒目のアルジェンナはユリウスの外見を気に入っているようだ。しかしシャナイアにとってはそれこそが懸念事項だった。
「しかし、あちらが政略結婚を受け入れたのは『一夫多妻の国なら浮気耐性があるよね?』という理由らしいじゃないですかぁ」
シャナイアは手ぬぐいから潤んだ黒い瞳をのぞかせた。
「そうね……まあ、大丈夫よ。少し観察して、まずそうな人だったら私はあなたを身代わりにして逃げるから!」
「えーっ! そんなぁ、で、でも、アルジェンナ様がそうおっしゃるのなら……」
「ばかね、冗談よ。大事なシャナイアを置いていくなんてことはしないわ。幼なじみですものね」
「アルジェンナ様……」
頭を撫でられて、シャナイアの瞳に今度は感激の涙が溜まった。
「あ。でも……」
「?」
「状況によっては、身代わりというのはいい案かもしれないわね」
アルジェンナはそう言って、にっこりと微笑んだ。
■■■
(なぜ、私が姫様のフリをしてここにいるのか……)
侍女シャナイアは絹のヴェールの陰で小さくため息をついた。豪奢なラーダヴァー式の正装は肌はおろか顔も隠されており、誰もパーティーに参加している王子の婚約者の中身が侍女だとは思わない。
(しかも……当のアルジェンナ様は踊り子の格好をなさっている……)
広場の中央では華やかで扇情的な衣装を着た踊り子たちが舞っている。その中央で一際目立っているのが、シャナイアの敬愛する主人であるアルジェンナだ。
シャナイアは主人のふりをしてユリウス王子主催のパーティーに参加するように言い渡されたのだ。
(いったい、姫様は何をするつもりなのか……)
シャナイアは壁ぎわに移動し、これまでの出来事に思いを馳せた。
二人はシラリア王国に到着すると、すぐに離宮に通された。用意された場所は一応は故郷の風景を模し、調度品も豪華なものだったが、ユリウス王子は顔を出さず、代わりに手紙が置いてあった。
「親愛なるアルジェンナへ。ようこそシラリアへ。早速だが、これは政略結婚なので僕は君を愛することはない。君も自由に過ごしてくれたまえ」
とだけ書かれていた。それを見たシャナイアは「やっぱりユリウス様は姫様だけを大事になさるおつもりはないようですね……!」とまた泣いた。
「なるほどねえ」
未来の夫は私に興味がないらしい、とアルジェンナは考えこんだ。
「会いにも来ず、愛する気もなく、好きに過ごせ──冷遇されないだけマシ……ところで、好きにしていいって……具体的にはどのくらいかしら」
「さ、さあ……?」
アルジェンナがそこまで悲しんでいないのを見て、シャナイアの涙は引っこんだ。
「私ね、男女の駆け引きというものを一度やってみたかったのよ」
「はぁ」
どうやら強がりではなくて素直にそう思っているのだと、シャナイアにはわかった。
「だからねシャナイア、お願いしたいことがあるのよ」
やってくれるかしら、と問われてシャナイアは力強く頷いた。
その結果がこれだ。
(なんでこんなことに……)
シャナイアにはまだアルジェンナの真意がはかりきれない。しかし彼女が水を得た魚のように生き生きと踊っているのは紛れもない事実だ。
(、あぁ、いいか。アルジェンナ様は楽しそうだし。しばらく様子を見ましょう)
「やあアルジェンナ、楽しんでいるかい?」
「は、はい」
突然ユリウス王子に話しかけられて、シャナイアはびくびくしながらも返事をした。
「『例の話』、君も了承してくれたようで嬉しいよ」
「は、はあ。そうするほかなかったので……」
「だろうね。それにしても、怒りもしないんだね。……ま、君って自分の意見とかなさそうだもんね」
ユリウスは鼻で笑うと、ワインに口をつけた。
彼の言葉はシャナイアではなくアルジェンナに向けられたものだ。
けれどそちらこそこの現状を知らないのではないかと、シャナイアはヴェールの向こうでわずかに口角を上げた。
「僕は王室の、型にはまった伝統的な王子として過ごすつもりはないんだ。ただ言われたことをして、国の求める偶像として生きるなんて、つまらないよね」
ユリウスは酒に弱いのか、妙に饒舌だ。
興味がないならさっさとどこかに行けばいいのに、とシャナイアは思った。
「その結果が浮気三昧ですか?」
「浮気じゃないよ。ただ、真実の愛を探しているだけさ。しかし、僕は王子。自分の好きな相手を見つけることができなくとも、諦めて身を固めるしかない……」
ユリウスはわざとらしくため息をついて、自分に酔っているかのように気取った仕草でグラスを煽った。
「はあ」
「じゃあ、君も自由にしてていいから」
と言ってユリウスがシャナイアから離れようとしたそのとき、タンバリンの音が大広間に響いた。
ユリウスとシャナイアは視線を音の方へ向けた。発信源は踊り子に扮したアルジェンナだ。
彼女はくるりと一回転すると、頭部と顔を覆っているヴェールをするりと外した。なめらかな艶のある髪と、黒曜石のような瞳がシャンデリアの光を受けてきらめく。
その様子を、ユリウスは硬直したまま見つめている。その間抜け面に向かって、アルジェンナはにっこりと笑いかけた。
「う……美しいっ!」
(ええ~!)
シャナイアはずぎゅん、と恋の矢が王子に刺さったような気さえした。
「あんなに素敵な女性は見たことがない。彼女こそが僕の求めていた運命の相手に違いないっ!」
ユリウスは目の前の相手が一応は政略結婚の相手だということをすっかり忘れてしまうほどに、アルジェンナに心を奪われてしまったようだ。
(……あ、あれ。それならこれで万事丸く収まる、のかしら?)
シャナイアは一足先に盛り上がっているパーティー会場から離脱した。
■■■
「アルジェンナ様! 私、姫様の作戦に感服いたしました! 確かに、姫様のお顔を見ればあの王子も思い直す。名案でございますね!」
予定より一時間ほど遅れて戻ってきたアルジェンナに、シャナイアは本日の感想を述べた。
「うーん、ちょっと違うのよ」
しかし、アルジェンナの顔には目的完遂の喜びがまだないように見えた。
「違う?」
「だって、このままだとユリウス様が得をするだけでしょう? 惚れられるだけでは、足りないわ」
アルジェンナはまだ作戦は続くのだ、と言った。
■■■
「アルジェンナ、君って本当に地味だよね」
二回目のパーティーでも、ユリウスはアルジェンナに化けたシャナイアに向けて失礼な言動を繰り返した。そのたびに、シャナイアは心のノートに書きとどめておく。
「はあ、申し訳ありません、これが正装でして」
「あの踊り子の彼女を見習いなよ。君と同じラーダヴァー人なのに、あんなに華やかで美しい」
ユリウスが指し示したのは、もちろん踊り子に扮したアルジェンナだ。彼はすっかり彼女に夢中で、隙あらば口説き落とそうとしているのだった。
「ユリウス様はあのような方がお好みですか」
「ああ、彼女はとても美しい。君とちがって話もうまいし、言葉も流暢だし、なにより美しい」
ユリウスは踊り子のアルジェンナに向かって手を振ったが、彼女はそれにちらりと視線をやってから無視をした。
「くう~っ。あの冷たい、僕に興味がなさそうな瞳……たまらないね」
「好きの順位でいくと何番目ぐらいですか?」
シャナイアはこの浮気者のチャラ男の気持ちにどれほどの価値があるものかよ、と思いながら問いかけた。
「それはもう、一番だよ! 人生で一番、ね! 今まで生きてきた中で、一番の衝撃だ。もう彼女さえいれば、他の女性と一生会話ができなくても気にならないぐらいだ」
とユリウスが言ったので、シャナイアは一先ず安心した。
(えー、でもそれだと……『足りない』んですよね、姫様?)
アルジェンナが満足するまでは、シャナイアはひたすら影として徹するつもりだ。
「ところでアルジェンナ。婚約破棄をしよう」
「えっ!? いきなりですね!?」
急に婚約破棄を切り出されて、シャナイアは面食らった。
「僕はあの踊り子の彼女を正妃とする。僕の愛を求める旅の終着点は彼女なんだ」
「わ、私にはなんとも……お返事が……」
「もちろん慰謝料は払うよ、他の婚約者を探してあげてもいいし。それじゃあね」
ユリウスは返事を待たずにすたすたと、踊り子たちの集団へ歩き出した。彼が向かうのはもちろん本物の婚約者であるアルジェンナのもとだ。
大広間の人々の視線は自然と、王子と踊り子に集まる。
「美しき人よ。正直に言う。僕は、君を愛している。ぜひこのユリウスの妻、そしてシラリアの王妃となってくれないか」
ユリウスは跪き、アルジェンナに向かって手を差し伸べた。
王子の突拍子もない言動に大広間の喧噪は一瞬にして消え去り、息を殺したように二人の行く末を見守っている。
「あなたにはラーダヴァーの王女がいらっしゃるのでは?」
当然の疑問に、ユリウスは首を振った。
「今婚約破棄をしてきたから大丈夫さ! 君さえいれば、それでいい」
「まあ……ユリウス様。本当に私のことを想ってくださっているのですね。けれど……」
アルジェンナはくるりとユリウスに背を向けた。
「どうしてだい」
「ごめんなさい。私……四つん這いになった男の方を踏みつけるのが趣味なんです。あなた様は、私に跪くことなどできませんでしょう?」
「……はは、驚かせるね。だが、それくらいで君を諦めると思うかい!」
ユリウスは酔っ払っているのか、素直に四つん這いになった。
「ほら。これで証明になるだろう」
「まあ、ユリウス様。本当に……よろしいのでしょうか」
「ああ。君が望むなら、どんな形でも応えよう。僕は次世代の王として革新的な王室を作る。そしてその隣に立つのは君だ。誰にも邪魔させないとも……さあ、頭を踏みつけてくれたまえ」
「わかりました、では」
アルジェンナは素足になって、ユリウスの頭を思いっきり踏みつけた。ゴンっ、と鈍い音が響いて、それからシャナイアの拍手が響いた。
「これはこれで……なかなか、悪くない。いや、むしろいい」
「本当ですか?」
「ああ。これで僕の元に来てくれるかい、美しい人よ」
「うふふ。けれどユリウス様、あなたは私の名前もご存じでいらっしゃらない」
「では、名前を聞かせておくれ、愛しい人よ!」
愛を受け入れられたと確信したユリウスはにこやかにアルジェンナの手を取った。家臣たちの冷たい緯線も燃え上がる愛の炎の前では無力なようだ。
「はい、もちろん」
美しい微笑みに、大広間の人々も見蕩れた。
「私はラーダヴァー第十七王女、アルジェンナと申します」
「は……?」
名乗りに、ユリウスは口を開けたまま硬直した。
「婚約者どころか、浮気相手にも選んでいただけるとは、光栄ですわ」
ユリウスは後ずさったが、アルジェンナは手をがっちりと掴んでいて離さない。
「な……なぜ……」
「なぜ? あなた様がご挨拶にいらっしゃらなかった私の顔を知らなかったからでは?」
「……」
「好きにしていいとおっしゃられたので、私も自由にさせていただきました」
「ま、待ってくれ。それなら話は早いよね? 君と僕は両思いってことで……」
「あら……。ねえシャナイア、先ほどはお二人でどんな会話をしていたの?」
「さっき、婚約破棄されました!」
話を振られたシャナイアはヴェールをむしりとり、素顔を晒して叫んだ。
「あら、そうなのね」
アルジェンナは予測通りだと言わんばかりに、鷹揚に応えた。
「はい! 他の婚約者を探してあげると言われました!」
「なるほど、ユリウス様は私のことをそう思っていらっしゃったのね」
アルジェンナは頬に手をあてて、ふうと物憂げなため息をついた。
「それは……その……」
王女の顔を知らなかったから、とユリウスはもごもごと呟いた。
「最終的に私を選んでくださったなら、よろしいのです。しかし」
「し、しかし?」
ユリウスの顔はアルジェンナに振り回されて、赤くなったり青くなったりで忙しい。
「せっかくユリウス様に美人だと証明していただけたので、もう少し自由に過ごして、真実の愛が他にないか確認してまいりますわね」
あなたには浮気耐性がおありですし、とアルジェンナはにっこりと微笑んだ。
「そ、それは、い、いやだーっ!」
「それではお互い、筋が通りませんでしょう?」
「ち、ち、誓います。浮気はもう、いたしません。だから許してくれ……ください」
恋は人をこんなにも愚かにできるのかと、シャナイアを含めた大広間の人は思った。異国の姫と自国の王子、どちらの立場が上なのかは明らかだったからだ。
「仕方がないですね……それでは臣下と国民に誓って、このアルジェンナに永久不変の貞操を誓いますか?」
「は、はいっ!」
「よろしい。では、明日、離宮へ。婚約者への挨拶からやり直しです」
「愛しのアルジェンナよ、喜んで!」
こうして二人の立場は完全に逆転した。
■■■
「いいんですか、アルジェンナ様……あの人で」
「まだ分からないわよ? やり直すだけだもの。……どうせ政略結婚からは逃れられないのだし、素直な方かもしれないわ」
自由って素敵ね、とアルジェンナは微笑んだ。それを見たシャナイアはまったく素晴らしい主を持ったものだと、誇りに薄い胸を膨らませた。
その後ユリウス王子の浮気癖は完全に消滅し、彼は真面目に執務に励むようになったが、彼は一生妃に頭が上がらなかったと言う。
アルジェンナは王子を改心させ健やかに国を治めた賢妃として、末永く国民からも愛された。
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