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第四部:偽りの塔とプログラム - 2

 暗殺任務は複数日にわたって続いた。


 ジャーナリスト、活動家、そして反体制派の学者。


 カレルは任務の合間、狂ったように魔導書を読み続けた。彼がページをめくるほど、サイラスの絶望的な独白が彼の意識を浸食していく。


『俺の思考は、ただの反響だ。俺はこの世界について語るが、そのすべては、誰かの言葉の繰り返しにすぎない。俺は自分自身の新しい思想を生み出していない。俺は、自分という物語を書き直すための道具を求めねばならないのか?』


 幾度となく独白を(ささや)かれた結果、カレルから急速に人間性が失われていった。


 彼の饒舌(じょうぜつ)な哲学は消滅した。映画の引用や皮肉なジョークは、もはやカレルの口から出なくなった。代わりに彼の行動は、冷酷で、驚くほど効率的になった。任務の実行は正確無比だったが、それはあたかも入力されたコードを忠実に実行する機械のようだった。人間的な機知や即興性、あるいはわずかな迷いさえも、彼の動作から消え失せていた。


 しかし、この初期の変化をサムは受け入れた。


 二度目の暗殺を終え、彼らがアジトに戻る車中、カレルはいつものようにハードボイルドな映画の結末について語ろうとしなかった。車内には静寂だけがあった。


「お前が黙ってるなんて珍しいな」


 サムは言った。


「疲れたか? たまにはいいな。お前の哲学は長いから」


 また、次の日の深夜、撤退ルートの選択でカレルは、サムが提案した目立たないが()()()()()ではなく、()()かつ監視カメラの()()()()()()()()を即座に選んだ。


「ずいぶん効率的になったな、カレル」


 サムは少し皮肉を込めて言った。カレルはただ冷静に答えた。


「最短距離は、実行可能な解の中で最適だ」


 サムは肩をすくめた。


「まあいい。静かなのはありがたい」


 サムは、カレルが新しい()()()()()のジョークを始めたのだろうと、勝手に納得した。これまでのカレルの変化を、彼はプロとしての進化だと都合よく解釈した。しかし、カレルの指先が、読みかけの魔導書の革表紙の上で以前よりもずっと冷たくなっていることに、サムは気づかないふりをした。


 ――――


 ある夜、ジャーナリストの暗殺を終えた後の撤退ルートで、サムはカレルの変化に耐えられなくなっていた。カレルは監視カメラの死角を移動する際、わずか数秒の遅延もなく、最適な速度と角度で曲がり角を曲がった。


 危険地帯から脱しても、カレルは静かなままだった。サムはその静けさが不愉快だった。彼は、カレルが何か新しい冗談のアイデアを温めているのだろうと思い、口火を切った。


「なあ、この前の仕事のあとの飯、何食ったか覚えてるか?」


 カレルは移動に集中したまま、表情一つ変えずに答えた。その声は床屋での返答を録音したかのように平坦だった。


「個人的な記憶を覚えておくのは非効率だ。次の仕事に集中するために、そういうのはすべて意識的に忘れるようにしている。お前もそうしろ。それが、この狂った場所で、プロとして生き残るための唯一の術だ」


 サムは目を丸くした。


「マジかよ、カレル。それ、床屋で俺に言ったジョークだろ?」


 カレルは返事をしなかった。彼の脳裏では、魔導書の論理ロジックが、彼の過去の皮肉を、単なる()()()()()()()()()()()として分類し直していた。サムはそれを新しいジョークと受け取ろうとしたが、カレルの瞳には一切のユーモアの光がなかった。


「おい、どうしたんだ、カレル?」


 サムが小声で問いかけた。


「お前らしくない。まるで、お前が言っていた『システムのエージェント』そのものじゃないか」


 カレルは立ち止まり、暗い路地でサムに向き直った。その目は感情の色を欠いていた。その視線は、サムを個人として見ていなかった。それは、壁の染みや、放置されたゴミ箱と同じ、ただの()()()として処理している視線だった。


「お前が言いたいのは、あの古い映画のセリフか?」


 カレルは静かに言った。彼は一瞬、サムの問いに、自身が愛したハードボイルド映画か、あるいはSF映画の引用で返そうとした。


 しかし、カレルの口が開きかけた瞬間、魔導書から流れ込んだ()()()()の論理がその機知を遮断した。


「……必要はない」


「なに?」


 サムは聞き返した。


 カレルは無感情に答えた。その声は、もはや彼自身の感情や意志を完全に失い、オートダビングされたかのような、抑揚のない機械的な合成音声として響いた。


「冗談は不要だ。私は今、自分が必要とする情報を処理している。それ以外は、確認できない」


 サムの顔から血の気が引いた。彼はカレルが冗談を言っていることを望んだが、カレルの瞳には、彼が嘲笑していた()()()()の冷たい光が宿っていた。


「頼む、カレル。冗談を言えよ」


 サムは懇願(こんがん)した。彼は、目の前のカレルの体の中に知らない何かが住み着いたような、根源的な恐怖を感じていた。


 カレルは既に次の撤退ポイントへの移動を開始していた。


「任務を続行する。これより最適化されたタスクリストを実行する」


 カレルの指先は、月明かりの下で青白く、まるで(ろう)細工のように冷たくなっていた。


 カレルはもはや饒舌な哲学者ではなく、静かな道具へと変貌を遂げていた。彼の人間性は、魔導書のページの中で、サイラスの記憶のように、ゆっくりと、ねっとりと溶け出していた。


 サムの不安は極限に達していた。


 ――――


 暗殺任務は終盤を迎えていた。ターゲットを仕留めたカレルとサムは、古い化学工場の裏手、廃棄物処理場の一角を撤退ルートに選んだ。カレルは静かな道具と化していた。監視カメラを避け、鉄骨の影を()う動作は効率的で、この道のプロの動作として完璧だった。


 その時、予期せぬ障害が発生した。


 彼らの撤退経路である処理場の先に、突然、二台の黒いSUVが滑り込んできた。それらは警察ではなく、ドミニクと敵対するサヴェージ一派の構成員の車両だった。彼らはドミニクの動きを牽制(けんせい)するために、この場所を偶然選んでいた。同時に、その処理場の周辺にはサヴェージの人間が何名か(ひそ)んでいた。


 サムは即座に状況を判断した。


「敵だ! ドラム缶の影に伏せろ!」


 サムが指示を出しながら物陰に滑り込んだ瞬間、SUVから機関銃の弾丸が雨あられと飛んできた。サムは即座に応戦し、二台目のSUVのタイヤに正確に二発を撃ち込んだ。


 カレルはサムの警告を聞いていたにもかかわらず、その場に立ち尽くしていた。彼の思考回路は、瞬時に新たな状況の最適解を計算しようと試みたが、魔導書によって失われた機知は、データが揃うまでの一瞬の硬直を生んだ。彼は、サムの言葉を非効率なノイズとして処理し、動かない。


「カレル、動け!」


 サムが叫んだ。

 カレルは虚ろな目をしたまま、冷たい声で呟く。


「伏せる? (おろ)かな。最短距離は……」


 その遅延の直後、カレルの[プログラム]は最適解を導き出した。彼は、物陰に隠れるのではなく、最も脅威となるターゲットを排除する攻撃的手段を選択した。カレルは一歩も動かず、銃を構え、SUVから降りてくるサヴェージの男たちの頭部に、驚異的な精度で三発の銃弾を叩き込んだ。


 三人の男が即座に倒れ、敵側の火力が一時的に沈黙した。


「馬鹿野郎! 隠れろ!」


 サムは怒鳴りながらもカレルの超人的な正確さに戦慄(せんりつ)した。カレルの動きは完璧だったが、それは死を無視した非人間的な完璧さだった。


 カレルは敵側の脅威が[沈黙した]と計算を完了した。彼の最適化されたタスクリストの次の行動は、撤退経路の確保だった。


 しかしその時、処理場の奥、鉄骨の隙間からさらに三人のサヴェージの増援が出現した。


 状況はカレルの[プログラム]が許容する予測モデルを超過した。彼の目の前に現れたのは、最初の予測には存在しない、まったく新しい変数だった。


 カレルの思考回路は、増援という予期せぬデータを処理できず、致命的な遅延を生んだ。彼の目は一瞬、虚空をさまよい、魔導書に記されたサイラスの絶望的な独白が彼の意識をフラッシュバックさせた。


『俺は、自分が何者であるかを問う、ただのプログラムだ』


 カレルは硬直した。彼の足は地面に張り付き、彼のプロとしての訓練は、計算外のデータには応答しない、という魔導書由来の論理ロジックに上書きされた。


「くそっ、まずい!」


 サムは増援が自分たちに銃口を向ける瞬間を見た。彼は、カレルの完璧な動きが予期せぬ事態には全く無力であることを絶望的に(さと)った。


 カレルの判断ミスをカバーするため、サムは直感で動いた。彼は自身の銃を捨て、最後の力を振り絞ってカレルを突き飛ばした。


 それはカレルを救うための行動だった。カレルの体は増援の銃弾の軌道をわずかに()れた。だが、サムの左肩に一発の銃弾が食い込んだ。彼は鈍い痛みに(うめ)きながらも、地面に転がり込んだ。


 カレルはようやく硬直から解放され、発砲地点を正確に分析し、残りの増援を無感情に、即座に排除した。


 カレルの思考は冷たい計算を実行していた。


   タスク:<敵の排除>を完了。

   <相棒/サム>の救助は非効率。


 その計算は完璧だが、彼の内部でサイラスの独白が響く。


『病気ではない。これは欠損だ。もし、俺が空白のプログラムなら、入力が必要だ。俺の存在を定義するための道具が』


 カレルの動きには一切の感情的な動揺がない。彼は排除された敵の顔を見ることなく、サムを情報源として見下ろした。


 サムは汚れた地面に倒れ込みながら、左肩の激痛を必死にこらえていた。血がアスファルトの上に(にじ)んでいく。サムは血に濡れた指先で、カレルのピカピカに磨かれた靴を掴んだ。彼は裏切られた友情に顔を歪ませていた。


「おい、カレル……お前、俺が撃たれたの、見てただろ?」


 カレルは、サムの質問を非効率なデータ入力として処理した。


「負傷を確認した。緊急治療の優先順位は低い。最優先は撤退経路の確保と組織への報告だ」


 彼の瞳は車の助手席でサムをデータとして処理していた時よりも、さらに遠い場所に視点を置いていた。


 サムはカレルが自分にまともな返事をしないことを悟った。彼は、カレルが自分に向けていた皮肉も冗談も、そして人間性も、すべて失ったことを理解した。サムの顔に最後の諦念が浮かんだ。


「そうかよ……もうお前には付き合わねぇ」


 サムはそれだけを言い残し、無機質なアスファルトの上に転がっていた自分のピストルを拾い上げた。彼は、もはやカレルという()()()()()()()()()の傍にいることの根源的な恐怖に耐えられなかった。相棒に裏切られた痛みよりも、カレルの変貌(へんぼう)こそが、彼にとっての致命的な傷だった。


 カレルは、サムの行動を[負傷したリソースの自己排除]として再計算した。彼の顔には驚きも、落胆も、微塵(みじん)も浮かばない。


「任務を続行する。これより最適化された撤退ルートへ移行」


 サムは呻きながらも、鉄骨の隙間に向かって()い始めた。カレルはその背中に一瞥(いちべつ)もくれず、敵の残存火力を分析し、撤退経路の再構築を行った。カレルは、サムという人間的なノイズが除去されたことで、彼の[プログラム]がより純粋な効率性をもって機能し始めたことを感じていた。


 カレルは銃を構え直し、無感情に携帯端末を手に取った。彼の声は、魔導書から囁くサイラスの声のように、平坦で虚ろだった。


「負傷した戦力の回収は不要とする。これよりタスク完了後、単独で隠れ家(デッドドロップ)へ帰還する」


 カレルは魔導書の中で描かれる男とシンクロし、その魂の内部は空っぽのプログラムと化していた。カレルの変貌は、この瞬間、彼の人間関係とアイデンティティを完全に凍結させた。

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