ポストクレジット:あとに残るもの
ウェルズ地区の夜は更け、街の喧騒は霧の底へと沈んでいた。
『グリムリー・アンド・サンズ魔法道具店』の店内では、オーウェンが一人、モップを手に床を拭いていた。カレルとサイラスが流した血はすでに拭き取られたが、焦げ付いたオゾンの匂いだけが、幽鬼のように店内の隅に居座っている。
「……また、少しだけ回路を弄りましたね、オーウェン」
空中に浮かぶ光の粒子が、エルスペスの姿を形作る。彼女はカウンターの裏側で淡く明滅する、複雑で幾何学的な電子魔法陣を見つめていた。それはオーウェンが独学で磨き上げた、彼女を家という物理的な制約から解き放つための最高傑作であり――同時に、彼女の存在をデジタルの檻に永遠に閉じ込める、見えない鎖でもあった。
「君の反応速度にラグが出ていたからね、エルシー。……すまない。本当は、こんな調整が必要ないようにしたいんだが」
オーウェンは手を止め、苦笑した。その瞳には、かつて急進派の一人として魔法学の最先端を突き進んでいた若者の傲慢さは微塵もない。あるのは、自らの善意が愛する存在をさらに深く縛り付けてしまったという、消えない自責の念だけだ。
「謝罪は結構ですわ。あなたが線を一本書き足すごとに、私の自由という名の檻は、より精密に、より残酷に美しくなっていく……献身的なシルキーだった頃の私なら、この熱心な手入れに涙を流して喜んだでしょうに」
エルスペスは冷ややかに、しかしどこか名残惜しそうに、オーウェンの使い込まれた指先を見つめた。
「……私たちは器が壊れればただ元の混沌へと還るだけ。あなた方のように死という重苦しい物語を背負うこと権利さえ、私たちには与えられていないのです」
オーウェンはその言葉に答えず、ただ静かにカウンターの上に視線を落とした。そこには、サムが置いていった青銅の砂時計と砕け散ったブラスターの残骸、そして表紙が焼け焦げた魔導書が並んでいる。
オーウェンは砂時計をそっと手に取った。
「……彼は大切な記憶を支払ってまで、友人を救おうとした。結局、その友人は死んでしまったけど……僕には、彼を笑うことはできない」
「あら、私は笑いますわよ」
エルスペスがふわりと砂時計の周りを舞う。
「救うために絆を捨て、守るために引き金を引く。挙句の果てに、あとに残るのは役目を終えた砂時計と機能停止した亡骸だけ。どうしてこうも割に合わない取引ばかり好むのかしら」
「……それでも、人は何かを願わずにはいられないんだ」
オーウェンは砂時計を棚の奥、非売品のコーナーへと収めた。そこは、彼がこれまでの年月で救おうとして救えなかった人々の、祈りの残骸が並ぶ場所だった。
「エルシー、約束するよ。いつか必ず、この科学的な鎖さえも必要のない、君が本当の意味で君自身でいられる魔法陣を完成させる。……たとえ僕の人生のすべてを費やすことになっても」
オーウェンの言葉は、重苦しいほどに真摯だった。
「おやめなさいな。あなたのその純粋な善意こそが、この世で最も解くのが難しい呪いなのですから」
エルスペスは一瞬だけ、かつて屋敷にいた頃の温厚なシルキーのような眼差しで彼を見た。だが、すぐにその唇に鋭い皮肉の笑みを浮かべる。
「でも、そうですわね。あなたがその愚かな研究に没頭している間は、私も退屈せずに済みそうですわ」
エルスペスは光の粒子となって、再び店内のシステムへと溶け込んでいく。オーウェンは静かに店内のランプを消した。
暗闇の中、カウンターの奥で電子魔法陣が青白く、静脈のように脈動している。それは救済という名の監獄。そして、二人が共有する、永遠に終わることのない贖罪の物語の続きだった。
店の外では、夜明け前の冷たい風がウェルズの石畳を吹き抜けていった。
(完)
本作にお付き合いいただき、ありがとうございました。
リバーフォールの街、魔法道具の設定や、物語のモチーフとなった作品へのオマージュを、『リバーフォールの物語の裏側――設定とオマージュの記録』という名前で、活動報告にて公開いたします。
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