第七部:物語の追跡とアウトロー・ジャーニー - 3
イヴリンとサムが乗り込んだのは、サムが廃車置き場で調達した塗装の剥げかけた小型車だった。内装のひび割れたビニールレザーからは染み付いた煙草の臭いが立ちのぼり、車のサスペンションが悲鳴を上げるたびに、早朝の都市の静寂を不快に乱していた。それは、かつてカレルとサムが我が物顔で乗り回していたドミニクの高級セダンとは対極にある、みすぼらしい乗り物だった。
車窓の外を流れる景色を見つめるイヴリンの心は、未だに、自分の魔術が罪なき者をも巻き込んだかもしれないという後悔で満ちていた。彼女の怒りは正しかった。だが、その怒りの矛先を間違えた。癒し手として積み上げてきた自己の根幹を、たった一晩の激情で汚してしまったという事実にひどく苦しんでいた。
残酷な見方をすれば、彼女の苦痛の本質は灰になった男たちの命そのものへの哀悼ではなかった。その行為によって、自分がもはや清廉な魔女ではなくなったと知ってしまったことへの失望だった。
人間という種は、他人の死そのものよりも、自分の倫理観に傷がつくことを恐れる。いわゆる良心とは、多くの場合、善意という哀れな自己愛の別名に過ぎないのだ。
運転席のサムは、大破したセダンから組織の機密データの入ったマイクロSDカードと【魂の砂時計】を回収していたが、その犠牲として、止血帯をした左肩の傷口がまた開きかけていた。彼は荒い息を奥歯で噛み殺し、脂汗を滲ませながらハンドルを握っていた。メンテナンスされていないアスファルトの継ぎ目を乗り越えるたび、安物の車体が激しく揺れ、その振動がサムの肩に走る激痛と連動する。
後部座席に座るイヴリンの鼻先を濃厚な鉄の臭いがかすめた。その生々しい匂いがイヴリンを自己憐憫の海から現実へと引き戻した。
車内は沈黙に包まれていたが、イヴリンは意を決して口を開いた。
「あなたはさっき、元マフィアだと言ったわね。……マフィアって、具体的にどんなことをする人たちなの? 映画みたいに、邪魔な人を殺して回るのが仕事?」
そのような無垢な問いをされると思っていなかったサムは、バックミラー越しに彼女を見た。揺れる車体のせいで痛む肩を気にしながら、わずかに言葉を選ぶように答えた。
「映画とは少し違うな。マフィアってのは、基本的にはビジネスだ。支配するんだよ。警察も法律も届かない場所に、俺たちのルールと税金を持ち込む。俺の主な仕事は、運転手と運び屋だ。おかしな話だが、今あんたと一緒にいるのも、結局は同じ役割だ」
サムは痛む肩を反対の手で抑え直した。
「だが、あんたの質問に答えるなら、そうだ。邪魔な人間は殺す。この場合は命の取り立て屋ってことだ。あんたの住む世界からは遠い話だろう」
「命の……取り立て屋」
イヴリンは眉をひそめた。
「あなたは、なりたくて、その取り立て屋になったの?」
サムは鼻で笑った。その笑いには乾いた皮肉が混じっていた。それは、少しだけ元相棒に似ていた。
「なりたくてなる奴なんて、この世界にはいない。他に選択肢がなかっただけだ。俺には、あんたみたいに自分の意志で選べる世界はなかった。逃げるか、従うか。それだけだ」
イヴリンは窓の外に目を向けた。ガラスに映る自分の顔は、ひどく疲れて見えた。
「そうね。あなただけじゃないわ」
「……どういう意味だ?」
「私も、あなたと同じよ。魔女の血筋に生まれた私の才能、私の力は、普通の人間としての自由な選択を最初から許さなかった。魔法の学校を出て、薬の店を選んだのは自由かもしれない。でも、その前に、私自身が『魔女以外の何者か』になる自由は、誰にも与えられなかった」
サムは初めてイヴリンという人間を正面から見た気がした。彼女の言葉が、彼が長く抱えてきた諦念と奇妙に共鳴したからだ。
彼らの間には、車体の軋む音と、都市の喧騒だけが流れていた。
盗んだボロの車でイヴリンの『青い薬草の庭』に急いでいると、スパイア地区特有の石畳の路地に異様な光景が目に飛び込んできた。
サムは車を停めずに徐行させて様子を伺う。彼の視線が、路地の石畳に散乱した真鍮の薬莢と、まだ新しい血痕のすぐ手前で止まった。
工房の表玄関の狭い通路には、うつ伏せに倒れた男の死体が転がっていた。男の首からは血が流れ出し、石畳の目地を赤く埋めている。その手には、細いワイヤー状のストックを本体に密着させて折り畳んだ、極めて小型の短機関銃が握られたままだ。
「……あれはサヴェージの連中が好む銃だ。あいつらの定番だな。だとすると、ここでは警察は動かない」
「私の店が……戦場に」
イヴリンは自分の店の看板の横に飛び散った血痕を見て、激しく動揺した。聖域が冒涜された衝撃が、彼女の顔から血の気を奪う。
サムはイヴリンをミラー越しに鋭く観察して言った。
「サヴェージの奴らにもう特定されたか……? だが、それなら奴らは誰に撃たれた?」
イヴリンは返事をせず、コートから古風な手鏡を取り出した。彼女は血と硝煙に満ちた路地を前に、熱心にその鏡を覗き込む。サムから見れば、それは場違いで不可解な行動だった。
イヴリンは手鏡のインプを使って工房の中と周囲を確認するが、映るのは死体だけ。生者の気配はない。
「イヴリン、あんたの家に他に住んでいる人は?」
イヴリンは無言で首を振った。彼女の店は、静かな孤独の空間だった。
イヴリンは深呼吸した。彼女はサムを治療するという約束をした。魔法社会において魔女の約束とは、自己の魔力と名誉を賭けた契約に等しい。その言葉を違えれば、魔法の力が衰えることさえあり得る。彼女は償いの第一歩として、この約束を遂行しなければならかった。
イヴリンは手鏡をローブのポケットにしまい込んだ。彼女の視線がルームミラー越しに運転席のサムの目と交差する。
サムはイヴリンの覚悟を察して頷いた。
彼は工房から少し離れた路地の脇に車を停め、ワインの物流施設で奪った自動火器を手に取った。頑丈な樹脂製の固定ストックを備えたその銃は、過酷な状況下での高い信頼性と接近戦にも対応できる火力を両立させたプロの道具だった。
イヴリンが慎重に工房に近づいていく。サムがその背後をカバーする。
「この血と硝煙はまだ新しい。中にいる奴らが死んだのか、ただ隠れているのかもわからない」
「大丈夫よ。人は、もう中にいない」
イヴリンは視線を工房の入り口に固定したまま、静かに、しかし確信を持って言った。
サムはイヴリンの言葉を鵜呑みにはしなかった。彼は短機関銃を持った死体を跨ぎ、慎重にクリアリングを行いながら内部へ踏み込む。
「クリアだ。だが、誰かがこの四人を瞬時に排除した」
サムは、四体の死体のうち三体が頭部に正確な射撃を受け、一体が喉を鋭利な刃物で一撃で仕留められていることを確認した。迷いのない殺しの痕跡。
「イヴリン、知り合いの中にこんな芸当ができる奴は?」
「私の知る人たちの中に、銃を使う人なんていないわ」
イヴリンはサムの後ろから半壊した工房へと踏み込んだ。
そこは惨状だった。床は砕けたガラス瓶、飛び散った薬液、そして千切れたハーブの葉と、鮮やかな血で汚されていた。壁には銃弾の痕がいくつも走り、棚に並んでいた魔導書や調合の道具が散り散りになっている。
彼女は散乱した棚の奥から、奇跡的に無傷で残っていた一本の小瓶を回収した。それは、黒猫と共に完成させた最も強力な【小夜啼鳥のポーション】だった。瓶の底には、あの日の猫との魔力の交感が、静かに澱のように眠っている。
「……これが、あの子が残してくれた最後の守りよ」
イヴリンは小さく呟くと、据え付けられた錬金作業台の大釜が完全に無傷であることを確認し、安堵した。それは仕事道具であり、彼女の力の源でもある。
彼女はサムに向き直り、ポーションを差し出した。
「飲んで。味は保証しないけれど」
サムがそれをあおり、飲み干した瞬間だった。
ドクンッ!
彼の心臓が早鐘のように激しく打ち始め、全身の血管が蛇のように浮き上がった。
「ぐっ……!?」
サムが苦悶の声を上げ、膝をつく。それは癒やしというより、細胞の強制的な再構築だった。魔術的な加速再生が始まり、瞬く間に彼の全身の傷が癒え、左肩の深い銃創さえも湯気を立てて塞がり、傷跡一つなく消え失せた。
サムは自分の肩を触り、その超常的な力の即効性に、代償としての激しい動悸に荒い息を吐きながら驚愕した。彼はイヴリンとの取引の真の価値を身を持って理解した。これは科学の法則を絶対的に超えている。
イヴリンは工房を離れたがらなかった。床に散乱した、何年もかけて集めた貴重な薬草や、母から受け継いだ魔導書に、彼女の視線は釘付けになっていた。この店は彼女の聖域であり、この惨状は、彼女の平穏な世界がマフィアの争いという外部の暴力に完全に侵略されたことを示していた。
彼女は、その場に留まり、散乱した魔導書を拾い上げ、壊れたガラスを修復し、全てを元通りにしたいという衝動に駆られた。
「イヴリン」
サムの声が彼女の意識を現実に引き戻した。
「奴らは戻ってくる。それと、この四人を片付けた『誰か』もだ。あんたの店はもう安全じゃない。道具は最低限回収しただろう。行くぞ」
サムは彼女が手を伸ばそうとしていたハーブから遠ざけるように、彼女の腕を掴んだ。サムの体温がイヴリンの冷静さを失いかけていた肌に現実の重みとして伝わった。孤独な魔女として生きてきたイヴリンにとって、それは長らく感じることのなかった、生身の人間の強い熱だった。
「……わかったわ」
彼女は最後の別れのように工房を見つめ、サムと共に盗んだ車へと向かった。
――――
イヴリンがサムと共に工房の扉を閉め、盗んだ車へと向かうその直後。
地下室に身を潜めていたカレルは、脳内をハンマーで叩かれるような激しい頭痛に苦しんでいた。彼は膝立てて仰向けに横たわり、過熱した処理装置を冷却するかのように、荒い呼吸を整えることしかできない。
その痛みと意識の混濁の中で、サイラスの残された感情の波がカレルの思考を洗い流した。それは純粋な失望だった。
「――失敗、か」
カレルの喉から、かすれた声が漏れた。その声はプログラムが吐き出すエラーコードではなく、かつて彼が持っていた、人間味のある饒舌な皮肉を帯びていた。
地下室の湿気を肌で感じながら、床に描かれた幾何学模様の魔法陣を見つめる。それはもう魔力を失い、ただのチョークの染みとして静まり返っていた。
カレルの脳内で独り言のような思考が続く。古書が示した薬屋。これは、記憶喪失の男がたどり着いた最初の希望だった。彼が求めたのは過去を元に戻す魔法の薬。だが、このオカルティストが癒せるような病ではなかったのだ。そうでなければ、サイラスは後に自身を上書きするための道具など求めたりはしない。
カレルは確信する。サイラスは、この工房で目的を達成していない。
もし達成していれば物語はここで終わる。そう、彼の物語は絶望を起点として今もなお進行中なのだ。カレルは任務を遂行するエージェントとしてではなく、一人の読者として、物語の結末を見届けなければならないという、奇妙な義務感に駆られていた。
カレルは頭痛がわずかに収まったのを感じ、地下から工房へ這い上がった。彼の視界はまだ微かに歪んでいた。
彼は工房から路地へと出た。
その時、路地の先に止めてあった安物の車に乗り込んでいるイヴリンとサムの二つの顔がカレルの視界に捉えられた。
カレルの脳裏で、先ほど回収した写真――黒猫を抱く笑顔の女性――と目の前の女が完全に重なった。
カレルは内ポケットの写真の感触を確かめた。サイラスの足跡を闇雲に探すよりも、この女性を捕らえ、尋問する方が効率的だ。物語の次のページをめくる鍵は間違いなくこの女性が握っている。
彼の追跡は、もはや組織から課せられた任務遂行のためだけではない。それは、結末のページが失われた物語を最後まで読み切りたいという、プログラムにはないはずの渇望だった。
車が排気ガスを残して路地を曲がり、姿を消していく。車を凝視しているカレルの唇が、かつての形に歪む。
「逃げ出した殺し屋とオカルティストの薬屋か。この街で最もおかしなロードムービーのコンビだな」
カレルは、プロの勘とわずかに戻った皮肉を道連れに、二人の追跡を開始した。




