Ⅲ-2(日)銀狐
ドイツ行きの指令を受けた日の夜、高杉銀子は街へ出た。ある男との約束があったのだ。
2ヶ月ほど前に知り合った若い男は、寡黙でぶっきらぼうな男だった。
そんな男など相手にしないはずの銀子だったが、なぜかズルズルと流されてしまった。
男は飛行隊の隊員だった。およそ男に執着がない銀子と、出撃となれば命の保証は無い飛行隊員。何か通じ合うものがあったのかもしれない。
銀子は先週逢った時の事を思い出していた。
「悪いな、俺は戦闘機乗りだ。今は防空担当だが、いずれ南方へ引っ張られるだろう」
「アタイもヤキが回ったかな。寝た男がこんな坊やだったとはさ」
「お前、なに言ってるんだ」
「アンタに、“悪いな”なんて言われるほどアタイはアンタに惚れちゃいないし、ヤワでもないんだよ」
「ホント口が悪いな。何だか白けるぜ」
「やる事やっといて何が白けるだよ」
「ははっ、そりゃそうだ」
名前も聞かない。そんな関係だった。
名前なんて意味がないんだよ、約束できないんだから。
約束の時間に来なけりゃ帰るしかない。そんな約束だった。
銀子が、くすっと笑った瞬間に男は現れた。男はぎょっとした顔をしている。
「何だってんだい、そんな顔して」
「いや、お前、随分と可愛く笑ってたぞ」
「はぁ?ケンカ売ってんのかい?」「まぁイイや、今日はこれで帰るよ」
「おいおい、こっちはやっと出てきてるんだ、そりゃないぜ」
「待ってただけでもありがたいと思いなよ。アタイはもうここには来れないよ」
「どうしたんだよ、随分と急じゃないか」
「理由を聞くのかい?」
「・・・そうか、わかった。待ちぼうけしなくて済んだよ」
「じゃ、行くよ」
「待てよ」
「何だってのさ、しょうがないだろ」
「いや、もう来れないって言うために待ってるなんて、お前らしくないなと思ってな」
銀子は一瞬驚いた顔をしたが、柔らかく笑って、背中を向けた。
「こりゃ、少しは本気だったのかな。このアタイがさ・・・」
◇*◇*◇*◇*◇
特務飛行隊に異動命令が出たという噂が航空隊に流れた数日後の事、特務飛行隊との合同訓練が行われるとの伝達があった。
飛行隊長の大尉は大声を張り上げた。
「明日、特務隊と合同訓練を行う。内容は模擬戦闘訓練だ。まぁ、こちらからは何度となく申し込んでいたんだが、あちらさんがなかなか首を縦に振らなくてな」
「貴様らも特務飛行隊を見た事はあるだろう。ひょろっとした青びょうたんだ。空戦は頭じゃないって事を教えてやれ」
「特務特務と何かといえば特別待遇のやつらに負けるわけにはいかんからな。貴様ら、必ず勝利しろ、我が隊の威信を賭けてな」