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セラの森  作者: 奥森 蛍
5章 海を渡る
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第29話 トニヤの受難

 ほとんどの日、午前と午後の二回漁をして、島々に寄港しながらセレス号はだんだん北上して行った。暖流に乗っているので、船速は速い。投げれば大量の日が続いた。


 だが、ロドリアの港を出港して一カ月が経ったこの頃、トニヤの身にある問題が起き始めていた。


(ああ、つまんない)


 疲れ切った体を船縁に持たせながら海面をぼうっと眺めた。

 そう、トニヤは海上生活に飽きていた。毎日、漁をして、魚を売りさばいて、変わりもしない町並みを見学して、また船に乗り。


 繰り返される変化の無い日々にやる気を見い出せず、この頃こうして海面を眺めてため息ばかり吐いている。ルウなどはやりがいを感じているらしく、日に日に成長しているのはそばにいるトニヤにさえ分かる。トニヤだけがみんなから置き去り。


 何しろトニヤの夢は船乗りになることではないのだから。


「おい、トニヤ。いつまでぐずぐずしてるんだ。午後の漁の準備をしないと」

「いやだ」

「ああ?」


 ジャンクの片眉がつり上がる。


「いやだ。ボクもう船降りる」




 ディードが騒ぎを聞きつけて甲板に顔を出すと、ジャンクが馬乗りになってトニヤを殴りつけていた。


「おい、ジャンクどうしたんだ」


 ジャンクは血走る目をディードに向けた後、怒りをぶちまけた。


「こいつが舐めたことぬかしやがるんだ。漁が嫌だとよ」

「漁が嫌なんて言ってない。船が嫌だっていったんだ」


 トニヤが腫れた顔で叫んだ。


「一緒のことだろが」


 そういうとジャンクはまたトニヤを殴りつけた。乗組員で協力し何とかジャンクをトニヤから放すと、青あざを作ったトニヤにディードがそっと話しかけた。


「トニヤ、船に乗るのが嫌になったのかい」

「嫌だ。飽きた」

「舐めたこと抜かすんじゃねえよ。オレ等が何年乗ってると思ってるんだ」

「ジャンクは黙って」


 ディードはうんざりした様子でジャンクを制するとトニヤにそっと語った。


「船に乗るのが嫌なら次の港で降ろそう」


 するとトニヤの目から涙があふれる。


「降りたくない」

「降りろ」


 ジャンクが乱暴に吐き捨てる。


「……降りたくない」


 そういうと声を上げてうわあんと泣き始めた。


「どっちなんだよ」


 ジャンクが呆れたようにこぼした。




 その夜、トニヤはやっぱり星空を眺めていた。良く晴れて綺麗な夜空だった。昼間わんわん泣いたせいか頭がすっきりしている。

 星といえば、少し小さい頃のことになるがセラは星に詳しく、よく小さなトニヤを森で一番高い展望台へと連れて行ってくれた。夜空を眺めながら、星の名前をたくさん教えてくれたものだ。今ではもう肝心の星の名はほとんど忘れてしまったけれど、その思い出は消えずトニヤの心で燦然と輝き続けている。


「あ、イシュファー」


 セラがイシュファーは騎士の星だといっていた。騎士のまたがった馬の尾の付け根にあたる星で、目を凝らすと赤く光っている。とても年老いた星なんだよ、とそのことだけはなぜか覚えていた。


 きいと背後で木戸の音がして振り向くとジャンクが酒瓶片手にやってきた。

 黙ってトニヤの隣に座るとぐびぐびと酒を喉に流し込んだ。心地の良い嚥下音がする。


「殴って悪かったな」


 そういうと酒瓶をドンッと甲板に置いた。気配が荒い。少し酔っているのだろうか。彼は再び流し込んで長い沈黙の後、おもむろに語りだした。


「世の中にはよう、なんでこんなこと頑張ってんだ、って人間がいるんだ。いや、それが世間の大半か」


 トニヤは顔を向けた。自分に何かを語ろうとしている意図が感じられた。


「毎日、毎日漁をして漁港に運んでそれを売って。こんなこと頑張って何になるんだ、って思う時もまあ、三年に一回くらいはある。でも、考えてみろよ。オレたちみたいに魚獲る人間がいねえと皆魚が食えなくなっちまうんだ。楽しみにしている人たちがいるのに何も与えられなくなっちまうんだ」


 トニヤは静かに頷く。


「お前の着ているその服、靴、魚、肉、野菜、果物。お前の生活はそういう馬鹿らしい(・・・・・)を乗り越えてきた人間の仕事で成り立ってるんだぜ」


 トニヤはいわんとしていることを感じてハッとした。自分の浅はかな我儘はそれに関わるすべての人たちを馬鹿にしたのだ。急に心が空くのを感じた。


「華やかに映らないものが時につまらないこともあるだろう。でも、長い人生ではそういったものの中に喜びを見つけることが必要になる」


 トニヤは目頭が熱くなるのを感じた。目を懸命に擦り、泣くのを我慢する。ここで泣くのであれば自分はやっぱり子供だ。


 ジャンクがその様子を見て頭をぽりぽりと掻く。


「ああ、説教臭くなるが何事も慣れるには三年が必要だ。一端の漁師になりたいなら三年は乗らないと……」


 急に照れ隠しで話題を逸らしたのがトニヤには伝わった。可笑しくてつい笑ってしまった。ジャンクはトニヤから視線を外すとすっと眼差しを上げて星空を見た。赤いイシュファーが光っている。


「頑張れるな」

「はい」


 トニヤは小さな声で頷いた。


「ごめんなさい」


 堪え切れない涙がほろほろと零れてくる、それを懸命に拭った。


「構わねえよ」


 ジャンクはそういうと残りの酒飲み干した。


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