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セラの森  作者: 奥森 蛍
3章 ロドリア
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第17話 マーティスの帰省

 オミールの息子マーティスが帰省したのは夏のことだった。

 いきなり準備中の店内に日焼けた青年が入ってきたので、船乗りかとセラは身構えた。あいにくオミールは食材の買い出しに出かけていていない。青年はセラの姿を認めると「新しい子?」と問いかけた。


 セラは適当な言葉を返せずに大量の玉ねぎを切り分けながら「オミールさん出かけてるんです」と答えた。そう、と返事した青年はセラと同年代だろうか。セラの作業している炊事場の前に沿うカウンターのイスに腰かけるとセラの顔をじっとみつめた。


「オレ、マーティスっていうんだけど」


 その名乗りで初めて彼がオミールの息子だと知った。笑うとくしゃくしゃっとなる目尻がよく似ているだろうか。丸っこい瞳の童顔だ、セラより年上の十八歳だと聞いている。


「名乗ってよ」

「セラです」

「ふううん」


 肘をついて人の名前に対してふううんとはどういう感想だろう。ビー玉を転がしたようにくるくると変わる滑稽な仕草を見ているとつい笑いたくなってくる。


「オミールさん、楽しみにしてましたよ」

「ふううん」


 今度のふううんは少し音が良かっただろうか。嬉しさが滲んでいる気がした。


「コレさ、母さんに土産物で買ってきたんだけどさ、どう思う?」


 それは初対面の自分に聞くことなのだろうかと顔を向けてセラは吹き出した。

 マーティスが袋から取り出したのは、とある部族の男性が股間にあてる角笛型の装飾具で……


「そんなの店に飾れませんよ!」


 ケタケタと笑うとマーティスが楽しそうにした。


「知ってるんだ。すごいね」

「本で読みました」


 マーティスが胸を張る。


「使用済みじゃあないからね」

「気色悪いですよ」


 あまりに可笑しくて包丁を持った手で目元をぬぐう。こんな風に親子は再会を楽しんでいるのかもしれないと想像すると急に心が温かくなった。オミールが一人に耐えられるわけだ。


「壁に吊るしておくぐらい良いさ」

「アンティークじゃないんですか」

「しつこいな」


 マーティスが口先を尖らせておどける。まるで長年連るんだ友人のような会話だった。


 入り口に気配がして顔を上げると丁度オミールが帰ったところだった。


「マーティス、戻ってたのかい」


 彼女の背後には食材をたんまり乗せた荷車がある。セラはそれを運ぶ手伝いに向かった。マーティスがカウンターから振り返って母に話しかける。


「今晩さ、皆来るっていうんだ。いいよね」

「もちろんだよ。あんたが日頃お世話になってる礼をたんまりとしなくちゃならないからね」

「お世話してるんだよ、されてるんじゃなくて」

「どうだい、分からないよ」


 親子のやり取りを耳に心地よく聴きながら、セラは食材をカウンターへと運んだ。




 夕方になり、酒場はマーティスの同僚であふれ返った。

 広い店内は船舶のご一行さんで貸し切り状態。皆、水を得た魚のように生き生きとして酒を次から次へと煽り、出来たての料理を大量に掻きこんだ。オミールが休むことなく作り上げた料理はセラが休みなく給仕する。二人仕事だ。ビールを注ぐのもセラの担当だったので、店内を巡るように絶え間なく歩いた。


 船乗りの豪快な笑いが轟く中でしばらく忙しくしていたけれど、酒が深くなり腹が満たされてくると壁際にへたり込んで眠るものも出てくる。長旅に疲れているのだ。それでもテーブルの上の酒と料理は綺麗に平らげられていた。


 祭りの後のような店内で、ちびちびと飲みながら語り合っている人もわずかにいて、その邪魔をせぬように皿を片づけていく。


 セラの給仕は慣れたもので、手のひらや腕にまで乗せて皿を速やかに運んでいく。

 空いた皿をまとめようと腰を曲げた時、そばにいた口ひげを蓄えた副船長の男が「でっかい刺青だなあ」といった。


 ひやりと心臓を鷲掴みされたような緊張が走った。


「刺青? セラそんなものしてるのか」


 副船長の相手をしていたマーティスが興味深げにセラの胸元をのぞき込んだ。

セラはとっさに薄手の服を引き上げたけれど、髭の彼にはしっかりと見られていたらしい。副船長は煙草を燻らせた後、落ち着き払った声で「遺恨に似ている」と呟いた。


「遺恨?」


 セラは耳慣れぬ言葉に皿を置いて問い返した。


「精霊の遺恨だ。この世には善良な精霊と悪意を持った精霊がいて、悪意を持った精霊は触れた人間に遺恨を残す。遺恨は宿主となった人間を死ぬまで苦しめ、人生を奪う」

「……」

「と、本で読んだ」


 そういって副船長は高笑いをした。自身の経路を、まるで森からここまでの咎の道のりをいい当てられた気持ちになって身がすくむ思いだった。


「何という本ですか」


 言葉がつんのめる。焦りが出てしまったのだろう。副船長は「ん?」と片眉を吊り上げた。本という言葉を交わすのも久しぶりだ。セラは思えば長らく本を読んでいなかった。


「あー、何だったかな。リドル……いや、違うな。スタッ……そうだ、スタックリドリーという学者の本だ。タイトルは『精霊学』といったかな。ああ、船に置いてある。今から持ってこよう」


 そういってよろめいて立ち上がるのでそれをオミールと二人で押しとどめる。


「何の冗談だい、副船長さん。本は明日にしてくれよ。海にでも落っこちたら大変だ」

「オレ泳いで助けますよ」


 マーティスがさっと手を挙げたのでオミールがそれを弾く。


「酔っ払いがバカいってるんじゃないよ」


 皆で豪快に笑ったけれど、セラは笑う気になれず、副船長の口にした『遺恨』という言葉を反芻していた。




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