第552話 水槽から涙のように流れる水
「な、なんですか? 別にいつも通り見回りするだけじゃないですか!」
「いつも通りではありません。私の植物園は、お二人にも存分に楽しんでいただけます」
「魔王様~。レイさんとお出かけなんですよね? 私、ラプティキさんを呼んできました」
「よくやったわ、セラ! さあ、魔王様。おめかししましょうね」
「え、ええ? な、なんで、みんなしてそんなに気合入れているんですか~!?」
◇
「あれ、いない」
待ち合わせ場所に来たけれど、フィオナ様はそこにいなかった。
まあ、時間前に来ているし、いない場合もあるだろう。
だけど、彼女も普段は時間前に来る魔族だ。もしかして、何かトラブルか?
「ピルカヤ~。フィオナ様がいないんだけど、様子見てくれない?」
「りょうか~い」
近くの火に話しかけると、ピルカヤはすぐに行動してくれた。
数分も経たないうちに、再び炎から気配を感じると、そのまま結果を教えてくれる。
「レイには教えないでだって~」
「え、どういうこと?」
「別に問題が起きているとかじゃないけど、レイには教えないから、そこで待っていてだって」
「そうか。まあ、よくわからないけどわかった。ありがとう」
……あの魔族が、たまに突拍子もないことをするのは、今に始まったことじゃないからな。
現にこの状況もそうだ。同じ部屋で朝を迎えたのに、なぜか別々に行動して待ち合わせなんてしている。
一緒に寝ているのだから、ここに来るのも一緒で良いと思うのに、なんか違うらしい。
「お、お待たせしました」
「いえ、別にそこまで待っては……」
振り向くとそこには、深い青と黒のグラデーションで彩られた、深海色のワンピースを着たフィオナ様が立っていた。
……いつもと違うな。これはラプティキさんが用意した服だろうか?
「……」
「……」
いつもみたいに、アホなフィオナ様でないからやりづらい。
この魔族は、たまにこうなるんだよなあ。
なんだか……こっちまで気恥ずかしくなってくるじゃないか。
「えっと……に、似合っていますよ?」
「そ、そうですか。あ、ありがとうございます」
服装のせいだな。きっとそうに違いない。中身はただのフィオナ様だ。
だから、こんなに緊張する必要なんて、どこにもないじゃないか。
「行きましょうか」
「え、ええ。エスコート頼みましたよ!」
よし、若干アホなフィオナ様に戻ってくれた。
ただ、差し出した手を握られるも少し熱い気がするのは、俺自身がまだ緊張しているせいかもしれない。
◇
「あれ、奥居」
水族館の受付は一応作ってはいるものの、まだ担当者を決めていない状態だ。
ダークエルフか昆虫人あたりに頼もうと思っているが、なんか奥居が堂々と受付をしている。
「はい。私の水族館へようこそ」
「江梨子ちゃ~ん……。まだ、江梨子ちゃんのじゃないよ」
「たしかに私には海があるわ。でも、ここの責任者が決まっていない以上は、今はまだ私のものと言っても差し支えないと思うの」
「私、江梨子ちゃんの話は難しくてわからないよ……」
これだけの熱があるのなら、奥居に任せたいところではある。
だけど、さすがに海と水族館の両方の管理は無理だろう……。
無理と言うと語弊があるか。ロペスみたいに、総合的な管理者ならできるかもしれないが、奥居としてはどちらの現場も担当したいようだし、体が二つないとどうしようもない。
「いっそ、水族館の従業員は、奥居に選んでもらうのも良いかもしれないな」
「できます」
「江梨子ちゃん。リピアネムさんみたいだよ~……」
それ、脳筋って意味で言ってない?
たしかに、リピアネムも二つ返事でなんでもできるって言うけれど。
「まあ、その話は追々するとして、今日は中を見せてもらうぞ」
「デートですね!」
「違うけど!?」
「違いますけど!?」
「え~……。魔王様とレイさんの関係、難しくてわかんない……」
上司と部下だよ。そして、デートじゃなくて視察だ。
俺が作った水族館を魔王様に見てもらって、人類向けや内部向けに営業して問題ないか許可をもらう。要するにお仕事なんだ。これは。
「ごゆっくり~」
そりゃあ、ゆっくり見て回るつもりだけど……。
まあいいや。さっさと中に入ってしまおう。
◇
「うわ~。すごいですねえ」
「うちって、凝り性が多いですからね」
中に入ると、まずは大きなガラスの壁。その中にはルトラの部下たちが管理している海水があり、様々な魚たちが泳いでいる。
入り口は小さくて色鮮やかな魚ばかりのため、フィオナ様は屈みながら、それらの動きを追うように見つめていた。
「モンスターではありませんね。魚はアルマセグシアから仕入れたのですか?」
「奥居が外出許可を申請して、風間たちを巻き込んで意気込んでいましたから」
「あの子、けっこう暴走しますねえ」
そのくらいのほうが健全なのかもしれない。
うちの常識人って、何かにつけて貧乏くじを引きがちだし。
そう考えると、最近では風間が心配だ。
原と世良は、風間関連になるとこれまた暴走するけれど、最近の風間はまともゆえに巻き込まれてばかりだもんな。
「そんなみんなの努力の結晶ですし、じっくりと楽しみましょう」
俺の手を引いて、フィオナ様はさらに奥へと進んで行く。
エスコートって話だったけれど、完全に彼女に先導されて気の向くままに進んでいる。
でもそれでいい。俺はそっちのフィオナ様のほうが好きだし。
「おっきなサメですねえ!」
「あ、これはモンスターです。頭が良いので普通のサメより安全ですよ」
「クラゲ……?」
「これもモンスターですね。なんか綺麗ですけど、バジリスクたちみたいに毒を持っているそうです」
「亀が泳いでますけど、この子も見覚えが……」
「モンスターですね。海エリアからこちらにお引越しさせました」
「う~ん。モンスター園、水の章って感じですねえ」
「お気に召しませんでしたか?」
「まさか。むしろ、地底魔界はこのほうがらしいでしょう。好きですよ。この場所」
良かった。そう言ってもらえたのなら、作ったかいがあるというものだ。
フィオナ様の喜ぶ顔が見たくて、けっこうがんばったからなあ。
「フィオナ様って、昔は地底魔界に町やいろんな施設を作ったって話でしたけど、水族館は作らなかったんですか?」
「私では、このような水槽を作る技術がありませんからねえ。なので、とても新鮮で楽しいです」
そう言いながら、フィオナ様は四方と床と天井を囲むガラスの水槽を見回す。
奥居が渾身のプレゼンをして、なんとか作成した水槽のトンネルだ。
設置しているときは罠にでもしようかと思っていたが、こうして水と魚やモンスターが入ると、なんとも幻想的な場所で悪くないじゃないか。
「私、水槽って水と魚たちくらいと思っていましたけれど、水草や石や砂が綺麗に配置されていて、この中だけで世界が作られているみたいですね」
「そっちは、プリミラもわりと真剣にやっていましたね。ちなみに、時任のセンスは前衛的すぎるとかで却下されていました」
「トキトウ。いったいどんな世界を創造しようと……」
意外とああいうのが、平和な世界を創造するのかもしれない。
ただ、モンスターならともかく、仕入れてきた魚やエビを考えなしに同じ水槽に入れるのは、一歩間違えると残虐な光景になるからなあ。
……ふだんのダンジョンよりは、残虐じゃないからいいのか?
「さあ、次に行きましょう。きっと、出口まで素敵な場所ですからね」
そうして俺の手を引きながらフィオナ様を見ると、この施設は成功したんだなと実感がわいてくる。
モンスターがいるため、残念ながら外向けに営業はまだできない。
モンスター園のように、客が離れる可能性があるので、そちらが解決してから本格的に運用を考えよう。
それまでは、俺とフィオナ様のための施設ということになる。
なんとも贅沢なことだ。だけど、それも製作者の特権だな。
◆
「そういえば、水族館というのも見てみたいですね……。よし、作ってみますか」
海が見られないのなら、せめて地底魔界に海の生き物を集めましょう。
私の地底魔界だって、きっと素敵な場所になります。
外の世界がなんだというんですか。別に……そんなものに興味はありません。
「さて、こんな感じでしょうか」
誰にも聞けないので、手探りで作る。
だけど、わりと楽しかったです。これなら、寂しさを埋めることにもなるでしょう。
ガラスの中に水を注ぎ、魚たちを泳がせる。
色とりどりというわけにはいきません。種類も数もそんなに多くありません。
でも、かわいらしく泳ぐ姿に、少しだけ癒された気がしました。
「魔王様。侵入者です」
「わかりました。すぐいきます」
もう少しゆっくりと見ていたかったのですが、仕方ありませんね。
すぐに殺して、またここに戻りましょう。
「この揺れは……」
「侵入者の魔法ですね。おそらく、大規模な攻撃魔法を放っているところです」
「みんなは無事ですか?」
「問題ありません。十魔将が戦闘に参加しているため、侵入者もすぐ撃退できるでしょう」
よかった。こんな状態とはいえ、この子たちを失うのは辛いですから。
そう安堵していると揺れは激しくなり、嫌な音が耳へと届きました。
「あ……。え……?」
それは亀裂が走る音で、目の前にあったガラスが、徐々に水圧に耐えられなくなる音で……。
もう、私にもどうすることもできなくて……。
「あ、ああ……そ、そんな……」
そうして、私の用意した水槽は、盛大に水とともに魚たちを地面へと流しました。
ごめんなさい。私なんかにつかまったせいで、そんなことになってしまって。
ごめんなさい。私なんかが余計なことをしたせいで。
「私の水族館……」
◇
「そうですよ? これは、フィオナ様の水族館です」
小さな声でつぶやいたため、その言葉を肯定する。
すると、フィオナ様は驚いた顔で、こちらを見つめてきた。
どういう感情なんだろう? なんというか、喜びだけでなく、わずかな悲しみ……いや、穏やかな笑顔。
う~ん。目まぐるしく感情が変わる方だなあ。
「私に、くれるのですか?」
「当然じゃないですか。俺はフィオナ様のために、地底魔界を楽園にするんですから」
「そうですか……。ええ、期待していますよ。私のレイ」
はにかみながら俺の腕に抱きつくフィオナ様は、うっとりと水槽の中を眺めつづけていた。




