7.5
◇◆ウィル◇◆
俺が六歳になった頃から、母さんの体調がだんだん悪くなっていった。
その秋からじゃなくて、ずっとよくはなかったんだけど。そのためにうちは田舎に引っ越してきたんだ。
田舎に来てから、母さんの体調はよくなってきたと思ったのに…。
なんとか冬を乗り切って、春には少し体調のいいような日も増えた。
ちょっとだけ安心できたのに、夏になってからまた悪くなって、とうとう寝込む事が多くなってしまった。
母さん…。
このまま母さんが元気にならなかったらどうしよう。
もしも、もしも母さんが死んじゃったらどうしよう。
そんな事ばかり考えて、本当はとても怖かった。とても心細かった。サラたちが毎日来てくれなかったら、きっと耐えられなかったと思う。
秋になって、サラんちもリンゴの収穫が忙しくなって、みんなでは来られなくなった。
だけどサラは毎日通って来てくれた。
たぶんサラが一番力がなかったのと、歌が歌えたからだと思う。
サラの歌は俺と母さんを元気にしてくれた。
サラの歌には不思議な事にそういう力があった。
サラの家族と俺の家族は、何となく、そうなんじゃないかなと思っていた。
小さなころから聞いている、俺たちにとっては普通の事が普通じゃない。
そんな不思議なサラだから、毎日うちに通わせてくれたんだと思う。
あの日、母さんが亡くなる何日か前のあの日。
涙をこぼす母さんに、サラはきっぱりと言った。
「おばちゃん安心して!私がウィルを幸せにするよ!」
そう言って力強く笑った。
初めて会った日に、サラを転ばせた俺に笑いかけたのと同じ笑顔だった。
「安心して!私が絶対幸せにしてあげるから!」
あの時と同じに強く宣言するサラに、俺と母さんの気持ちは少しだけ軽くなった。
小さな女の子の言う事なのに、不思議と心強くなった。
「ありがとう。安心した」
安心したような母さんの笑顔を忘れない。
ずっとずっと後になってから思い返す。
あれって求婚の言葉だよな、と。
母さんが亡くなってからの何日間かを俺はよく憶えていない。
人の死はよくわからなかったけど、もう二度と母さんと会えないという事だけはわかった。
イヤだよ母さん一緒にいてよ。俺いっぱい手伝いもするしわがままも言わないから。母さんどこにもいかないでよ。俺哀しいよ。
願いは声にならず心の中で繰り返していた。
ふと……
聞きなれた歌声が聞こえた。
今まで誰の声も、何の音も聞こえなかったのに。
歌声が聞こえると、母さんの声も心の中によみがえってきた。
「ウィル、元気で幸せになってね。ウィルと父さんの幸せが、母さんの一番の願いなの」
母さん!
……俺、元気で幸せになるよ!
父さんの事も幸せにしてやるよ!
「安心して!私が絶対幸せにしてあげるから!」
サラの声もよみがえる。
目の焦点が合った。
目の前にはサラがいた。
「サラ、サラ、母さんが…、母さんが!」
「うんうん」
抱き合って、二人で盛大に泣いた。
いつの間にかミアとリアンも抱きついていて一緒に泣いた。
三人がいてくれてよかった。
三人が俺を抱きしめてくれて、一緒に泣いてくれて、思い切り泣けてよかった。
母さんが亡くなったのは変わらず哀しいし淋しい。だけど母さんの願いを叶えなければならない。俺と父さんは、そのためにがんばろうと話し合った。
母さんの願いを叶える事が生きる目標になった。
結果、それは幸せな人生になったのだけど。
ありがとう、母さん。
母さんが亡くなって、俺と父さんは王都のばぁちゃんちに行く事になった。
母さんがいなくなったのに、サラたちとも別れてしまうのはとてもとても淋しかったけど、しょうがない。
俺と父さんだけでは元気には暮らせないだろうからな。それくらい小さくても分かった。
俺たちは来年の秋の再会を約束して別れた。
だいぶ先の約束だけど、小さな繋がりに少しだけ心が強くなった。
荷馬車が動き出す。俺は見えなくなるまでずっとサラたちを見ていた。
サラたちもずっと手を振ってくれていた。
離れてもずっと仲良しだよな。
痛いくらい強く指切りした指は、王都につくまでジンジンしていた。