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ワンナウトの嫁

作者: 川里隼生

 俺の嫁の家系は、代々二度まで生き返るらしい。三度目に死んだとき、本当に死んでしまう。嫁は小学生の頃にうっかり笑い死んでしまい、母親から『もったいない』と怒られたことがあるという。


 あと一回は死ねる、が口癖の嫁は大学で知り合ってからずっと自由奔放な性格で、ビルの屋上から身を乗り出したり、台風の日に川を見に行ったりして、俺の寿命を縮めている。俺は生き返らない家系なのに。


 人命救助に積極的なのが俺の嫁の自慢なのだが、高校生の頃に燃え盛る家屋からその家のおじいさんを救出したことがあり、地元の新聞に載った。理想の二回目の死に方は『他人を生かせるための犠打』だそうだ。三回目についてはまだ決めていないと話していた。


 そんな嫁がこのほど妊娠した。結婚一週目にして早くも妊娠させるとは我ながら恐れ入った。経過はとても順調で、トントン拍子に出産当日を迎えた。分娩室に移動したのは二〇二一年四月一日二十三時四十七分。腕時計を見て確認した。歴史的瞬間の時刻を記録しようとしたのだ。


 やがて、看護師が俺の名を呼んだ。用件が朗報でないことは表情と口調からすぐに伝わった。出産には成功したが、産声が上がらないらしい。自発呼吸をしてくれなければ新生児が生きていけない。産婦人科総出で処置をするも、四月二日九時二分、その子の心臓は活動を停止した。仏滅の日だった。


 知らせを聞いた嫁は一時間黙って虚空を見つめた。ペットボトルの水を飲んでから、この妊婦生活で辛かったこと、嬉しかったこと、感じたことを泣きながら話した。最初はゆっくり呟くようにしていたが、徐々にそれは叫びに変わっていった。最後の言葉はこうだった。

「あの子じゃなくて私が死ねば良かったのに!」


 黙れ、と怒鳴ってしまった。ごめんなさい、と嫁が言って、また病室は静かになった。同じ部屋の人が何事かとこちらを見る。心配してくれているのだと理性ではわかっていても、その幸せで満たされたお腹が視界に入るのが嫌になった。俺は目を閉じた。明日以降も夫婦生活を維持できるのだろうか、脳内で一人討論会を始めた。


 例えあと一度生き返ることができるとしても、嫁にそんなことを言ってほしくなかった。死にたがるような人を人生のパートナーにすることに抵抗がないか自問した。回答できなかった。俺と嫁は死に対する考え方が根本から違うのだ。そのことを思い知らされる台詞だった。俺はその現実を受け入れられなかった。


 絶望の二文字を頭に浮かべていたそのとき、産婦人科医が病室のドアを荒々しく開けた。常に冷静だった彼の顔が青ざめているのは初めて見た。

「奇跡ですよ!」

 嫁が産んだ子がたった今、産声を上げたそうだ。

「ああ、あの子も……。もったいない」

 嫁が言った。

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