表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第2話 砂上幻想
9/33

2-2

 


 真っ白な太陽が天頂を過ぎる頃――。

 聖宝奪回の任を負ったレイ・セジェウィクは、罪の帳消しと多額の礼金に同行を受諾したディーン・グラティアスと共に灼熱の砂漠を旅していた。

 〝アルビオンの入り口〟であるテスの州境から中央捜査局の警備隊と別れ、駱駝らくだに乗り替えての道行きである。


 乗物を替えたからではないだろうが、〝馬が合う〟とはお世辞にも言いがたい二人だが、幸い大きな喧嘩もなく、二日目を迎えた。

 その要因はひとつに、レイに喧嘩をする余裕がなかったことにある。

 初めての旅が、アル・リマール砂漠を横断する過酷なものだ。いくら日頃から体を鍛えているとはいえ、聖宝盗難にテスでの事件、そして砂漠の旅と休む間もない出来事の連続に、レイの疲労は限界に近づきつつあった。


 砂埃と直射日光を遮るために、頭部から首に巻きつけた頭布(シェーシ)が、暑く蒸れている。

 レイは、眼を痛めないよう自分の影に視線を落としたまま、なかば機械的に、頬に伝う汗をぬぐった。

 日毎に口数が減り、歩みも遅くなっていくレイを、先に立つディーンが振り返った。砂漠の旅は二度目だという彼は、荷物を乗せた駱駝をいている。


「そろそろ一息入れないか?」


 日の高い正午の移動は体力を消耗するだけなので、普通ならば休憩を挟むのだが、先を急ぐレイは、それを早めに切り上げたのだ。付き添い役であるディーンは、その決定にあえて逆らうことはなかった。

 だが、それにしても、レイの歩みがあまりに遅い。ディーンが冗談めかして続けた。


「なあ、こう暑くっちゃ、いくら何でもこいつらもへばっちまうぜ?」


 こいつら、というのは、二人を乗せる駱駝のことである。

 しかし、レイの答えはなかった。代わりに歩みは、ますます遅くなる。


「あんたなぁ、こっちは慈善で付き合ってるんじゃないんだぞ。こんなところで日干しになるなんて、俺はごめん――!」


 業を煮やしたディーンが怒鳴ったその時、駱駝に乗るレイの体が、ぐらりと横に傾いた。

 手綱から手が離れ、滑るように、レイはそのまま地面に落下する。


「おいっ!」


 ディーンは慌てて駱駝を戻すと、飛び降りて、地面に倒れるレイに走り寄った。

 ただでさえ色白の顔は血の気を失い、ぐったりと眼を閉じている。力ない体を抱き起こし、ディーンは大声で呼びかけた。


「大丈夫か。しっかりしろ!」


 下が砂地だったのが幸いだった。

 身長の倍近い高さから落下したはずだが、目立った傷は見当たらない。だが土気色の顔には、玉のような汗が浮かんでいた。

 レイの額に手を当て、ディーンは舌打ちをする。

 細い身体は熱く火照り、小刻みに震えていた。

 ディーンは腰に提げていた水筒を取り出し、惜しげもなく、貴重な水をレイの頭から浴びせかけた。頬を手のひらで叩き、


「おい! おい、聞こえるか?」

「――」


 幾度目かのディーンの呼びかけに、蒼い眼がうっすらと開いた。


「ほら、水だ」


 まだはっきりと瞳の定まらぬレイは、差し出された水筒を掴むと、夢中で口をつける。


「ぐ……っほっ。ごほっ……ごほっ!」


 一気に水を流し込み、レイがむせ返る。ディーンはその手から水筒を取り上げ、


「一度に飲むんじゃない、馬鹿。ちょっとずつ噛むように飲むんだ。ほら……」


 じんわりと、乾いた唇に水滴を垂らして含ませた。

 レイは、支えられたまま数口飲み、もういらないと身振りで伝えた。


「あと二時間くらいでオアシスに着く。日陰もあるだろうし、ここで休むよりずっと楽だとは思う。どうする? 辛いんなら、ここで休んでもいい」


 ディーンの問いかけに、レイはわずかに首を横に振った。


「オアシスに行くんだな。動けるか?」

「……多分」

「分かった。もうしゃべるな。余計辛くなるぞ」


 ディーンは短く命じると、自分の駱駝に積んでいた荷物をレイの駱駝に移し、三頭の手綱をつないで戻った。レイの肩に腕を回して起こし、


「移動するぞ」


 ディーンは、足元がおぼつかないレイを抱き上げるようにして駱駝に乗せる。


「しっかり掴まってろよ」


 声をかけ、ディーンが後ろに跨った。背後からレイをかかえて手綱を取ると、駱駝は折り曲げていた長い脚を伸ばして、のっそりと立ち上がった。

 ディーンの掛け声に、駱駝たちが集まり、歩みはじめる。

 規則正しい大きな上下の波に揺られながら、レイの意識は再び遠退いていった。


   *


――ここは……?


 目を覚ましたレイは、自分が毛布にくるまれて横たわっていることに気が付いた。

 かすかに湿った緑と、何かが燃える煙の匂い。ぱちぱちと木のぜる音。

 灼熱の大気はいつしか、鳥肌が立つほど冷え冷えとしている。


――そうだ。私は倒れて、それから……。


 レイは、次第に抜け落ちた記憶を取り戻す。

 倒れた後、オアシスに向かう途中で再び気を失ったレイは、しばらくしてディーンにオアシスに到着したことを知らされた。それから、駱駝から下ろされ、無理矢理苦い薬を飲まされたことまでは覚えている。

 その頃はまだ、太陽が西へ傾く前だった。


――あれから、どのくらい経ったのだろうか……。


 ぼんやりと考えながら、レイは辺りを見回した。

 林というほどでもない低木の茂みが、周囲を覆っている。

 何かがひっそりと息づいているような闇の中、傍らの焚き火だけが、赤々と燃えていた。

 ちゃぽん、と水音がして、横合いから革の水筒が差し出される。

 ディーンだった。


「やっと起きたな。飲めよ」


 水筒を受け取ったレイは、勢いよく飲もうとして、手を止めた。飲みたさをこらえ、少しずつ一滴一滴味わうように、水を口に含む。

 その様子を脇で見ていたディーンが、何を思ったか、いきなり身を乗り出してレイの額に手を当てた。硬直するレイを無視して、一人でよしよしと頷く。


「どうやら熱は下がったみたいだな。気分はどうだ?」

「あ……ああ。もう大丈夫だ」


 答えて、半身を起こそうとしたレイは、左手首に鋭い痛みを感じた。


「痛……っ」


 外傷はないが、駱駝から落ちた時に筋をひねったようだ。


「見せてみろ」


 何気なくディーンが手を差し伸べた途端。


「――触るなっ!!」


 激しい剣幕でレイが身を引いた。ディーンがびっくりして動きを止める。


「わ……私のことは構わないでくれ。自分のことは自分でする」


 ディーンは、しばし行き場のなくなった右手を見つめ、がしがしと頭布(シェーシ)を巻いた頭をかいた。不快そうに、


「あのなぁ。こんな格好してるから勘違いする奴もいるけどなぁ、俺はそっちの気は全くないんだからな!」


 その発言に、今度はレイが驚いた。

 ディーンは華奢なわけではないが、細身のしなやかな体つきで、頭布(シェーシ)に包んだ長い黒髪から手首、足首などを様々な装身具(アクセサリー)で派手に飾り立てている。

 レイが知ることはないが、ちょっと見れば、街にいる少年男娼に見えないこともない。

 何度かそういう扱いを受けて慣れている少年は、きっぱりと断言する。


「安心しろ。俺はれっきとした異性愛者(ストレート)だ」

「……私もだ」


 その答えにディーンは破顔し、荷物の中から、湿布薬と包帯を探して投げ渡す。


「じゃあ問題ないな。一人でできそうか?」

「ああ」

「なんか少し腹に入れとけよ。何食べる……って言っても、乾燥肉と豆しかねーけど」

「別に、何でも」

「じゃ、ちょっと待ってろ。俺も飯まだなんだ。腕によりかけて作ってやるから、おとなしくしてろよ」


 明るく言い残し、ディーンは夕飯の材料を取りに行く。


――悪い奴、ではないのだな。


 体格はそう変わらない少年の背中を眼で追い、レイは思う。


――だけど、乾燥肉と豆しかないのに、どうやって腕によりをかけるつもりだ……?


 少々疑問を感じたが、ディーンは鼻歌を歌いながら、鍋に豆と乾燥肉を入れて火にかけると、手近にあった石を即席の俎板に仕立て、集めてきた野草を刻んで加える。小枝で鍋をかき混ぜつつ、灰汁(あく)まで取る細やかさで、着々と料理が仕上がっていく。

 しばらくすると、そこはかとなく美味しそうな匂いが漂ってきた。

 最後に塩と胡椒で味をととのえ、ディーンは、食事を持った皿をレイに手渡した。


「できたぞ」


 香ばしい湯気のたつ皿を覗いたレイは、久しぶりの食事らしい食事に急に空腹を覚える。


「料理の腕には自信があるんだ。ノアが、調味料なんかいろいろ持たせてくれたからな。結構いい味に仕上がったと思うんだけど……?」


 こちらを窺うようなディーンの視線に、レイは聖印を切り、一口料理を口にした。


「うん、美味しい」

「おっしゃ!」


 喜びの声をあげ、いそいそとディーンも食事に箸をつけた。

 カルディアロス人のディーンは、国の習慣で箸を愛用している。この旅でも、ほとんどの備品を中央捜査局で用意してもらったのだが、箸だけはテス州で手に入れようがなかったため、自分が今まで使用していたものを持参するというこだわりようだ。

 レイはいたって上品に、ディーンは皿をかき込んで、あっという間に砂漠の夕餉は終わる。


「ディーン、おまえは料理でも習っていたのか?」

「誰が習うか、そんなもの。養父母(おや)が早く亡くなったからな。家事は全部俺がやらなきゃならなかっただけだよ」


 ディーンは簡単に答えたが、レイは困惑した。


「すまない。軽率だったな」

「別に。俺の周りじゃよくある話さ。貴族じゃどうか知らねーけど」


 レイは、一瞬言葉に詰まった。非難されているわけではないのだが、自分がいかに恵まれた世界にいたかを痛感する。


「ま、旅でもこうやって、どうにか美味いものが食べられるんだ。家事やってても、悪いことばっかりじゃないさ」


 ディーンは屈託なく言って、後片付けに立ち上がった。鍋一杯に作られた名づけようのない汁物は、二人できれいに平らげてしまった。

 鍋に代わって、水を入れた茶瓶が火にかけられる。湯が沸くまでの一時、その場をぎこちない沈黙が支配した。

 ぽつん、とレイが洩らす。


「おまえに助けられたのは、これで二度目だな」

「助けられたって……。一緒に旅してるんだから、当たり前だろう」

「だが……」

「だが、も何もない。第一、俺はあんたの付き添いを金で請け負ったんだ。役目に背くようなことをできるわけないだろう」


 ディーンは、あくまでも素っ気ない。

 親切を素直に喜んだレイは、水を差され、不愉快な気分になる。


「金のためなら何でもするのか、おまえは」

「金額と内容による。世の中、綺麗事じゃやっていけないからな」


 あっさりとディーンは答えると、熱湯に茶瓶に板状の茶葉を砕いて入れ、砂糖と香辛料を加えて蓋をした。不思議な香りの漂うアルビオン風の紅茶に、干したカリカの実を添えて、レイに勧める。

 レイは茶碗を受け取ったが、言葉はなかった。

 再び訪れた沈黙を先に破ったのは、ディーンだった。


「今日のことは俺の過失(ミス)だ。あんたは気にするな」


 思いもよらない台詞に、レイは驚きのまま言葉を返した。


「だが、私が自己管理できていなかったから――」

「それはそうだ。自分の身体は自分で診てやるしかない。だけど、あんたはこれが初めての旅だ。俺が気をつけておくべきだった。悪いことをしたと思ってる」


 レイは、心から意外そうにディーンを見つめた。普段の彼からは思いもよらぬ真剣な表情が、そこにはあった。


「謝ることはないだろう。私は今、こうして無事なわけだし……」


 戸惑うレイに、ディーンは真面目な態度を崩さない。


「今はそうかもしれないが、この次倒れたら、確実にあの世行きだぞ」

「大袈裟だな。もう大丈夫だ。明日から今までどおり進めよう。今日の遅れを取り戻さねばならん」

「遅れを取り戻すだぁ? 何をふざけたことを言ってんだよ!」


 ディーンの眉が吊り上がった。


「お宝を取り戻すのは、あんたの役目だ。急ぐ気持ちも分かる。だけど、テーベまでの三百公里(ミール)を五日間で行こうってのが、だいたい無理な話なんだよ! 俺は付き添いだから意見する気なんてさらさらなかったけどなあ、今日という今日は言わせてもらうぜっ!」


 乱暴にまくしたて、ディーンは指を突きつけた。


「てめえ、少しは自分ってものを考えてから物事を進めやがれっ! ここは砂漠なんだぞ!! 少しの無理が命取りになるってことが、分かんねーのか!!」

「そう言われても……」

「どんなに大事なものか知らないけどさ、お宝取り戻す前にてめえがくたばっちまったら、それこそ大間抜けじゃねーのか? 違うか?」


 迫力に圧倒されていたレイは、次第にディーンが何を言いたいか理解してきた。


「……分かった。なるべく無理をしないように心がける」

「それじゃダメだ」


 一言いちごんもとに、ディーンは却下する。


「進むのは日の出と日没後、それぞれ四時間の間。一日に進む距離は四十公里(ミール)以内。それから、後一度はオアシスに行くために、多少道程(ルート)を変更する」

「何? それでは遅すぎる!」

「テーベに着くのは、順調にいって六日後だ。旅に慣れた隊商でも、合わせて七日はかかる道程だ。これが普通だ」


 ディーンは容赦なく断言した。

 倒れた立場上、強気に出られないレイに、さらに追い討ちをかける。


「放っとくと、どんな無理するか分からねぇからな。今後あんたは、俺の指示に従ってもらう」

「どういう意味だ?」

「今回の旅の一切を俺が管理するっていうんだよ。ただし、例の泥棒に関しては口を挟まない。その代わり、食事や寝場所の確保なんかも全部俺がしてやる。勿論、身の安全も保障するぜ?」


 つまり、ディーンはレイの旅先案内人というわけだ。

 自分の未熟さを見せ付けられているような提案に、レイは渋い顔になる。


「私は何をするのだ?」

「魔術師と妖魔を倒す体力を残すのに専念することだな。……まあ、無事にお宝を取り戻したあかつきに、どーしても感謝したければ、五万アルムほど上乗せしてくれてもいいけど」


 立場が有利なのをいいことに、ディーンはとんでもないことまで言い出す。

 レイはしばらく考えていたが、やがて神妙な面持ちで尋ねた。


「分かった。では、私は今からどうすればいい?」

 

 満面の笑顔となったディーンは、無言で、煮立っている茶瓶ポットを指差す。話の間に、茶瓶には紅茶の代わりに得体のしれない薬草が煎じられ、煮出されていた。

 とろりとした、何とも言えない臭気の漂う褐色の液体は、いかにも効き目がありそうだ。


 茶碗一杯に注がれた薬湯を、レイは顔を顰めてしばらく眺めていたが、思い切って飲み干した。あまりの不味さに、下を向いてこっそり舌を出す。

 ディーンが満足げに、目の前の銀色の頭を撫でた。


「よしよし。明日は日の出後、すぐに出発だ。しっかり休んでおくんだな」


 実に偉そうな言い様に、レイは言い返すことなく、毛布を頭から被って横になった。

 遠くで、風が木々の間をすり抜けていく。

 ぱちぱちという焚き火の音を子守唄に、レイは安らかな眠りの中に落ちていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ