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カナン・サガ1~月の雫~  作者: 藤田 暁己
第2話 砂上幻想
8/33

2-1

 


 死の瘴気の漂う渓谷にそびえ立つ、巨大な岩の城。

 その玉座に泰然と腰かける男が一人――。

 男は物憂げに、銀の短剣を指先でもてあそんでいる。

 玉座の前には、長い黒髪の青年がひざまずいていた。橄欖(オリーブ)色の肌をした青年は、何の怪我か、右眼が生々しく灼け爛れ、潰れている。

 やがて男は、短剣を撫でる手を止めると、簡素な革の鞘に納め、立ち上がった。


「愚か者め……。分かっているのだろうな、ライガ」


 青年は、蒼褪めた表情のまま動かない。

 男の右手が掲げられ、そこに網膜に感じることのない光が集中する。

 それが男の能力(ヴィス)の凝集だと青年が気付いた瞬間、光は、絶大な破壊力をもって放たれた。

 ――と。

 小さな影が飛来したかと思うと、光は青年に到達する前に爆発した。

 一人の少年が、空間を切り裂いて現われ、男の攻撃を阻んだのだ。

 玉座の男の眉が、すっと吊り上がる。


「どういうつもりだ、サミ」


 サミと呼ばれた少年は、無言で青年を背に庇った。男の声に、わずかに険が宿る。


「その愚か者は空間移動(トランスフェーズ)に失敗して帝都の手のものを呼び寄せたのみならず、呪術師ごときに捕らわれ、中央捜査局まで出動させる騒ぎを起こしたのだぞ?」

砂巳(サミ)!》


 蒼白となった青年が、背後から少年の肩を掴んで押し止める。男はあくまで冷ややかにそれを見やる。


「仲間同士の庇い合いか。よもや逆らうつもりではあるまいな?」

《……》

「……まあ、よい。帝都の連中に一泡吹かせてやれたことではあるし、いい余興と言えなくもなかったからな。だが……償いはしてもらう」


 胸先に垂れる金髪を、さらりと背へ払った。


「三日のうちに、帝都の追っ手を残らず始末して来い」


 残酷な内容ながら、淡々とした口調は甘く、どこか芝居じみている。

 ふと、それまで黙っていた少年が、口を開いた。


《お願いがございます》

「何だ?」

雷呀(ライガ)は手負いの身。このまま討伐に出れば、再び失敗するは確実かと……。ぜひとも今回は、わたくしにお任せくださいませ》


 男はしばし考え、やがて鷹揚に首肯した。


「よかろう。――よいか、サミ。奴らの首を帝都への手土産にするのだ。その時こそ、帝都は私を甘く見たことを後悔することになるだろう」

《ありがとうございます。必ずや、御期待に沿いましょう》


 少年は、金髪の頭を下げて一礼し、青年と共に玉間から消えた。

 一人きりとなった広間で、男は、誰に話すでもなく独りごちる。


「しかし……まさか、月が消えるとはな」


 エファイオス王国の[西の塔]から、男が聖宝を奪って三日が経つ。

 世を護る聖宝――それは、六本の円柱のみが立つ[西の塔]に、人の目に触れぬよう厳重な封印の奥に隠されていた。

 神話上の産物であるはずの聖宝が実在すると知った男は、実に十年以上の年月をかけて封印を解き、それを手に入れたのであった。

 聖宝は、その強大な霊力で統一世界(カナン)を支えると言われる。

 [大災厄(クライシス)]以来、事件や災害の多発する世界は、聖宝が彼の手に落ちた今、存亡の危機に瀕していた。その象徴が、聖宝盗難直後の月の消失である。

 空間に生じた大きな歪みのために世界規模で姿を消した月は、聖母の法力によって、再び現われることを得た。しかし、現状はいまだ不安定なままであった。

 予想だにしなかった結果に、男は満足気にほくそ笑んだ。


「歪みはどうやら想像以上のようだな。帝都はさぞ蒼くなったことだろう。二日で元に戻ったのは残念だが、思いがけない余興であった。だが――聖母よ」


 褐色の顔に、切れるような闘志が刻み込まれる。


「いつまで持ち堪えていられるかな。あの小僧どもでは、あれを取り戻すことなどできはすまい。おまえが私の足元にひざまずくのも……もはや、時間の問題だ」


 男の隣でそれは、その言葉に反発するように、一層輝きを強めた。

 眼に見えぬ光をまぶしげに眺め、男は愉悦を噛み殺すごとく、低い笑い声を洩らした。


   *   *   *


 場所は変わって、帝都。

 聖宝盗難から、早くも四日が過ぎようとしていた。

 内宮に程近い宮殿の中庭の一画で、その数日間を激務に忙殺された二人の男が、束の間の休息を取っていた。とはいえ、話題はどうしても聖宝盗難とその関連の問題に集中してしまう。

 瞳の色に合わせて青い縦襟の上下を着た青年は、紅茶の碗を手に取り、やわらかな低声で相手へ話しかけた。


「御苦労だったな、ノア。テスを日帰りするとは、せわしい真似をさせた」

「たいしたことはありません。偶然とはいえ、こちらの管轄下の事件に関わっていらしたのですから、幸運でした」


 紅茶を一口飲み、斜め向かいに座る男が答える。

 青年よりも一回り年長に見えるその男は、第三自治州テスに中央捜査局特別司令官として訪れた男であった。彼は、その時とはまた違った格好をしている。

 飾り玉で留めた左のびんの一房を残し、黒髪を後ろで束ねるのはそのままだが、額には銀のサークレットを嵌め、袖の広がった丈の長い上着をゆったりと着こなしている。

 直線距離で約二十万公里(ミール)離れたテス州と帝都との往復の疲れを欠片も見せず、ノアは優雅に微笑んだ。


「ルークシェスト様の御活躍で、どうやら月の消失の方も決着がついたようですね」

「強引に気象の変化による眼の錯覚ということで押し通しただけだ。後で祭主殿に嫌味を言われた時は、おまえに任せるからな」


 青年は、精神的疲労の影をうかがわせて言った。ノアが苦笑する。


「貴方を差し置いて私がテスに向かったことをまだ根に持っておいでなのですか? あれは、ああする以外に方法が――」

「それは分かっている。そのことよりも私は、あの子の旅に得体の知れない男を同行させたことに腹を立てているのだ」


 滅多に人の訪れない宮殿の一画とはいえ、内容が内容だけに、さすがに青年も大声で怒鳴るようなことはしない。だが、険しい口ぶりと態度が、彼の本気をうかがわせた。


「御心配なさるお気持ちは、よく存じております。ですが、事情を知られてしまった以上、こちらの手の届くところにいてもらわねばなりません」

「ならば、どこぞへでも拘留しておけばよいだろう。聞けば、旅行符も持たぬ剣士くずれの若造だというではないか。同行させたところで何の役に立つというのだ? 途中で逃げ出すのは目に見えている!」


 ルークシェストは一気にまくしたてると、乱暴に茶器を置いた。

 苛々いらいらと金髪をかきあげる彼を横目に、ノアは二杯目の紅茶を注いで、手に取る。ノアが何か言おうと口を開いた時、近くの低木が、がさりと揺れた。

 男たちが注目する中、濃く茂った緑の合間から、白い服の女が現われる。

 曙の空のごとく朱金の髪を、ふっつりと顎の線で切りそろえたその女性は、パンと果物を乗せた銀の盆を掲げ、二人に笑いかけた。


「おくつろぎのところを失礼します。軽いお食事などはいかがでしょう?」


 突然の来訪に驚いた二人は、彼女の肩上で揺れる髪を見て、二度驚く。


「イルレイア、貴方のその髪は一体――?!」


 動きやすいように、両脇に切れ込みの入った上着を着た聖騎士の姫は、盆を食卓(テーブル)に置いて、空いている席に腰かけた。


「この髪型になって、もう三日になりますのよ。今頃お気づきになられたのは、宮中でお二方くらいですわ」


 巴旦杏(アーモンド)形の褐色の瞳が笑う。仕事に追われ、まったく注意を払わなかった二人は、ばつが悪そうな顔になった。慌てて、ノアが褒める。


「よくお似合いですよ」

「そうだな、だが、それにしてももったいない。あんなに美しい、まるで曙の女神のようだったものを……」


 残念がるルークシェストに、イルレイアは半分以下になった髪の先を撫で、静かに首を振った。


「良いのです。身寄りのない私個人の財産といえば、この身ひとつ。レイ様の御無事と引き換えになるのならば、髪など惜しくもありません」


 光明神教(ルクシオン)の唯一神ルシアは、供物と引き換えに、その全能なる霊力をもって祈るものの願いを叶えるという。

 イリヤは、聖宝奪回という困難極まりない役目を負ったレイを案じ、自身の髪を捧げてその無事を祈願したのだ。

 立場を越えて兄弟のように慕いあう二人の関係に、ノアはあたたかい微笑みを向けた。


「何よりもすばらしい供物です。きっとレイファシェール様を想う姫の御心が、あの方を御守りすることでしょう」

「ありがとうございます、ノア様」


 嬉しそうに言うイリヤを、青年が複雑な表情で見やる。


「……なんとなく妬けるな」

「おや、どちらにです?」

「無論、姫にそこまで想われるあの子に、だ」


 茶々を入れるノアを睨み、ルークシェストは、短くともなお夜明けの輝きをたたえる姫の髪に指を触れる。


「もしも私が聖宝奪回を任されていたら、貴方は同じように、私のために髪を切ってくれたのかな?」


 イルレイアは青年の手から、つ、とのがれると、微笑みを絶やさずに答えた。


「そのときはルークシェスト様をお慕いする大勢の姫君や侍女たちが髪を捧げるでしょうから、私は切る暇もないと思いますわ」


 なかば真剣だった台詞を簡単にかわされ、ルークシェストは言うべき言葉を失った。

 ノアが、紅茶瓶(ティーポット)の陰で笑いを堪える。

 イルレイアは、あくまでもしとやかにノアが注いだ紅茶を一口飲み、二人に問いかけた。


「そういえば、先程険悪なご様子でしたけれど、何かございましたの?」


 気を取り直し、青く熟れたカリカの果肉を縦に割り、小刀(ナイフ)肉叉(フォーク)で薄い皮をはがしていたルークシェストは率直に答える。


「ああ、レイファシェールに同行させた少年について話をしていたのだ」

「確か、カルディアロス出身のまだ十七才の少年とか……そうでしたわね、ノア様?」


 ノアからすれば、二人ともその少年と同じように幼いのだが、置かれている立場がそうさせるのだろうか。大人びた口調で語る二人に、思わずノアの顔がほころぶ。


「そうです。若いながら旅には慣れているようですし、剣の腕もなかなかのものです。旅の同行者としては、まずまずの人材だと思うのですが……?」

「お言葉ですが、私にはそうは思えませんわ。もっと法力をもつ優秀な人物を護衛として派遣すべきではありませんか?」

「同感だ」


 姫の意見に、ルークシェストが大きく賛同した。


「確かに、聖宝奪回のための重要な戦力となる人物といえないことは、私も認めます。ですが彼は、この旅には絶対に必要な人物なのです」

「どういう意味でしょう?」

「聖母は私に、聖宝を取り戻すことができる人物はレイファシェール様を措いて他になし、とおっしゃられました。そして、その協力者はレイファシェール様自らがお選びになるだろう、とも」


 青年の精悍な顔が、不審げに曇る。


「つまり……あの少年は、あの子自身が同行者として選んだ、ということか?」

「端的に言ってしまえば、そうです。私がテスに着いた時はもう、レイファシェール様はかの少年と行動を共になさっておいででした」

「……ただの偶然にすぎない」

「そうでしょうか。偶然と片付けてしまうには不自然なほど、いい関係でしたよ。粗雑で口の悪い少年ですが、何か魅かれるものがあります。磨き方次第で、彼はすばらしく輝く可能性を秘めていると思いますよ」

「ほう。おまえにそこまで言わせるとは、是非とも会ってみたいものだ。できれば、あの子に会わせる前の方がよかったが、な」


 あくまでも刺々しい態度を崩さない青年に、イルレイアが吹き出す。


「ルークシェスト様。もう、それくらいになさいませ。まるで過保護の父親のようですわよ?」


 あながち的外(まとはず)れとも言えない指摘に、青年は返答に窮する。


「仕方もないことでしょう。ルークシェスト様が御兄弟と呼べるのは、あの方以外にレイファシェール様だけですから、兄君としてご心配なさるのは当然かと思いますが――」


 ノアが助け舟を出したが、当人の次の一言で、それはあっけなく沈没した。


「ですが、麗しき兄弟愛というよりはむしろ、単なる嫉妬ですね、これは」

「まあ。宮中の御婦人方のお耳に入りましたら、卒倒するような御意見ですわね。至高の騎士アモンリーザの再来と呼び名も高いルークシェスト様に、そこまで想われるレイ様もお幸せですこと」

「まったくです」


 ルークシェストを槍玉やりだまに挙げて、二人は声を揃えて笑う。

 憮然とする青年に気付き、ノアは笑いをおさめた。


「ただ傍観して待つ、というのは、なかなか大変なことです。ですが、見守ってくれる存在があってこそ物事は無事に進んでいくもの……。今から起こることを案じるばかりでなく、いつ何が起こっても手助けをできるよう、万全の態勢を整えておくことが大切でしょう?」


 二十代にも見える若々しい容姿に、老人の落ち着きを漂わせ、ノアは言う。


「共に旅はしなくとも、我々はレイファシェール様の協力者なのです。違いますか?」


 ルークシェストは、ようやく蒼天のような瞳をなごませた。


「おまえに説教されるなどとは、久しぶりだな」

「お許し下さい。説教というつもりではありませんが……。どうも年を取ると、口うるさくなっていけませんね」


 幼い頃から知る年令不詳の男の言い草に、青年は、苦笑するよりなかった。


「まったく、おまえにはかなわんな。――ところで」


 ルークシェストは、一口大に切り分けたカリカを一切れ食べ、話を転じる。


「犯人の魔術師の正体は掴めたのか?」

「依然不明のままです。聖宝を狙ったことから、神官の経験をもつもの――おそらく高位の――と推測されますが、何分人数が多く、絞り込むのにまだしばらく時間がかかると思われます」

「やはり、聖宝の霊力を狙っての犯行でしょうか?」


 姫の問いに頷いて、ノアは眉を寄せた。


「おそらくはそうでしょう。帝都の威信に関わる問題ですから、何らかの取引が目的とも考えられなくもありませんが、今まで何の音沙汰もありませんし、それが一番妥当な線かと思われます。聖宝を手に入れば、強大な霊力が我がものになると考えたのではないでしょうか。結果、おのれの住まう世界を崩壊に導くことになるとは予想だにせずに……素人の悲しさです」

「あれは、選ばれた者にしか扱えぬものを――。だが、いとも簡単に玉兎石の封印が破られたのはどういうことだ?」

「分かりません。それに、妖魔と共謀しているのも不可解です。妖魔にとって、聖なる霊力を秘めた聖宝は害悪以外の何物でもないでしょうが……」


 言い差して、ノアは口をつぐんだ。緑玉の双眸に、言い知れぬかげが落ちる。


「ひょっとしたら、この事件は私たちが考える以上に複雑なのかもしれませんね――」


 呟くような言葉に秘められた、予言ともいえる不吉な印象は、その場に重い沈黙をもたらした。

 それは、同じ想いを感じた二人の胸中にも、苦いしこりとなって残った。




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